鍔迫り合いのメロディ 準備運動をしているゾロは、とても楽しそうだとナミは思う。 ミカンの木陰からそっと見る。甲板には船員の大部分が集結しているが、残りはラウンジで夕食の準備中だ。その中にはもちろんサンジが含ま れいてる。甲板でぐるぐると腕を振り回している船長も、本当はそちらへ混ざりたいのだろう。ちらちらと匂いにつられてラウンジを見上げているのが ナミにも分かった。 「砲台に人は」 「もうやった」 どっこらしょ、といった風にミカン畑に顔を出したウソップは、頬に煤がついている。先ほどまで大砲の修理をしていたのだ。 「どっちにしろ近すぎるから、今日は白兵戦だな」 「船が壊れるから、こっちではやらないでね」 「そりゃあ、船長に言ってくれ」 「言ったって無理だもの」 なんだ、分かってるじゃねぇの。ウソップはナミの後ろから乗り出して甲板を見る。下の階からもぞろぞろと出てくる船員たちの黒い姿が蜘蛛の子 のようだ。近接した隣の船を見ると、同じように船の縁には黒集り。幾人かは木梯子と鉤爪のついたロープを準備している。 「あちらさんも同じ事考えてるみてぇだな。…おーい、伝令〜」 携帯式の通信機に話しかけるウソップの様子はなんとも暢気なものだ。ウソップ工場から産出された通信機は、使い勝手がよく軽量で丈夫なの で好評だ。何より電々虫とは異なり傍受される心配がないので、長距離通話にもうってつけのシロモノだった。 「つけられる前に、乗り込んじまえってルフィとゾロに通達。喜んで飛び出していくから、遅れ取るなよ。以上」 そんじゃあ、俺も行くわ。そう言ってさっさと引っ込んだウソップはいつの間にか作戦本部長だ。初めの頃はナミも陣頭指揮を執ったりもしたが、今 ではすっかりウソップの仕事になっている。一見高みの見物だが、戦況を見極めるに一線にいては判断を見誤る。混じったところで遅れを取る腕で は今やなかったが、腕試しよりはこちらの方に明らかに才がある。特にこの船では、船長自らが直ぐに飛び込んでしまうので、ウソップのポジション はより重要性を増していた。 「…気をつけてね」 振り返らず、手を振るだけで答える背中を見送って、ナミは甲板を見下ろした。 優秀な船員たちは、その大半が既に姿を消していた。 小さいものをちまちま片付けるには、少々短気な二人である。 少し離れた場所から狙撃を続けていたスコープの中には、次々と倒れる船員たちが、敵も仲間も入り乱れての混戦模様だ。相討ちを嫌って、こち らも敵さんも目印をつけている。スコープの中では、麦わらの赤いリボンを気取ってバンダナを巻いている者と、白いスカーフを首に巻いた者が刀を 交えている。白いスカーフに標準を合わせながら、ウソップは抜かりなく相手の狙撃手を見つけて一発打ち込んだ。もちろんこちらから狙えるという 事は、向こうからも見えている。素早く移動を繰り返し、さて短気な二人はどこへとスコープを走らせた。 「あーあ…。散らかし放題だな…」 既に船内へ潜入したのか船長の姿は見えないが、片割れは軽い足取りで甲板を前から後ろへ駆けている。気をつけないとスコープから姿消える のは、そのスピードがあまりにも速いからだ。 嵐を孕んだ不吉な風が、後方から吹いてくる。それにつられて船は上下に激しく揺れた。波の高低差が遭遇時よりかなり激しい。ナミが心配して いたのはこれかと、別れ際に添えた一言を思い出した。余計な心配など返って不吉だと、案じる言葉は口にしない女だ。 だが白兵戦に慣れた我が船きっての剣士殿は、波の揺れなどリズムのうちと足元の危うくなる気配さえない。後方から切りかかる敵をひょいと避 けて同士討ちを誘い、上から降りかかる刃を一薙ぎで打ち捨てている。目の前に団体さんが現れれば、十字に合わせた刀を軽く引いた剣圧だけ で切り伏せた。それでも刀を二本使わせているだけでも、連中は優秀といえるのかもしれない。 「なんつっても、大剣豪様だもんなぁ」 知ってか知らずか、命知らずの海賊たちは我先にと切りかかっている。それを軽くあしらって、いつの間にかこちら側へ渡っていた梯子やロープを 切り落としている。普段はぼんやりしている事も多いが、いざ斬り合いが始まると、判断力が格段に上がる。なんとも頼りがいのある男だとうっかり 見惚れたウソップの耳元を、チュイン、と弾丸が駆け抜けた。 「おっと危ねぇ。ゾロのせいで昇天しちまうところだった」 慌てて首を引っ込めて、物陰から弾道の先を見ると、狙撃手を切り伏せたゾロが楽しそうに手を振っていた。 「…何やってんだ」 見てたの、気づいてたな。スコープで覗けば、からかうような笑顔である。口元がにかっとして、いかにも愉快そうだ。 「ばーか!下、来てんぞ!」 この距離では聞こえるはずもなかったが、再び集中した砲火をくぐって叫べば、心得たようにゾロは五十メートルはゆうにある物見台から、頭を下 に飛び降りた。その片手間に、柱を登っていた者を何人か切り落としている。突然落ちてきた仲間に、下ではちょっとした騒ぎになったようだ。喧騒 をよそに、その中央に軽く降り立つ姿はまるで軽やかな羽毛だ。お陰で周りの者は突然の敵襲に気づかない。仲間が二、三人飛ばされて、初め て取り囲むように輪になった。だがそんなものはないと同じといった風に無造作に歩きだし、一振りで半数は吹き飛んだ。 「すげぇな…。すげぇ。アイツ、マジで強くなってる」 多分今のゾロは、自分が知っているゾロではない。鷹の目の男と勝敗を分けたあの時でさえ、その切っ先には僅かばかりの無骨さを残してい た。ゾロの動きは、昔から滑らかで水の流れの様だった。だが今は、その流麗な重みさえ感じさせない、まるで自由な風のようだ。一切の重力と 質量を感じさせない太刀捌きは、一つ一つに一切の無駄はなく、振り下ろす切っ先の連なりは、一片の淀みもない。一つの動きは万事に通じ、お そらく斬られた方はそれと知る前に絶命しているだろう。切り口は繊細すぎて、ともすれば表面は再び繋がっているのではないかと思う程だ。 だが実際ゾロの様子に違いがあるかと言われれば、そうは思わぬと答えるしかない。楽しそうに駆け回る姿はまるで庭を駆ける子供の様に他愛 無く、はしゃぎ回っているようにしかウソップには見えない。だがそれに同意できるのは、きっと一握りの人間に過ぎないということも分かっていた。 ああ、見せてやりてぇなあ。アイツにも。 だがチラリと見下ろした先の扉はぴたりと閉ざされ、準備が整えられるまで決して開くことはないだろう。 きっと喜ぶに違いなかった。 あんなにも嬉しそうな、伸びやかに剣を揮うゾロを見て。 いっそ不謹慎とも取れる喜びを、ウソップは確かに感じている。今のゾロに戻ってきた時に感じた、わずかばかりの違和感や、ぎこちなさはもう存 在しなかった。傍にいる者たちの息吹を許したゾロは、こんなにも奔放だ。海賊とは因果な商売だと思いながら、それでも決して人の生き死にを悪 し様にしているわけではない。尊いと知っているから、交える一瞬の昂りを知っているのだ。 甲板上をほぼ制圧したゾロとその一隊は、しつこく足掻く敵船の船員たちを、海へ蹴り落としている。その間にも風はますます剣呑さを増し、じっ とりとした湿り気が服の隙間に入り込んでじんわりと肌を汗ばませる。下から突き上げるように起こる波の衝撃が引き時を知らせていた。 その時、突然眼下の扉がバシンと開いた。 「てめーら!飯だ!ぐずぐずしてんじゃねーぞ!」 「飯かー!?」 昼食を知らせる料理長の声に、いち早く答えたのは船内で遊んでいた船長だ。体のあちこちに出鱈目な装飾物を纏っている。どうやら宝の山で 本当に遊んでいたらしい。随分と高価そうなヒカリモノをじゃらじゃらと引きずっている。扱いのぞんざいさはナミに見咎められれば怒りを買うのは必 至だった。ルフィは振り返ると追いかけてきた船員にじゃらじゃらとしたものを放り投げ、思い切り良く腕を伸ばした。 「お前ら後はよろしくな〜」 暢気な声が鷹揚に聞こえてくる。あっという間にこちらへ乗り移ったルフィは、遥か上から見下ろすウソップにお前も早く来いよ〜、と楽しそうだ。 お決まりの笑い声はラウンジへ戻ったサンジの背中を追っていく。その一瞬後に戦闘中と見紛うばかりの怒鳴り声と何かを打ち付ける様な音が聞 こえてきた。だがそれは毎日の日課であったので、誰も気になど留める様子もなかった。 『ウソップさん、どうしますか』 ざざ、と周波数を合わせる音に続いて隊を率いる船員の声が通信機から届いた。もう一度敵船に目をやると、背の高い男が手を振っている。それ に手を振り返しながら答えた。 「索敵、お宝の確保。三人で組めよ。深追いはするな。嵐が近いから半時で済ませろ。それに飯が冷めるとコックさんが怒る」 『了解』 遠目にも楽しそうに敬礼し、男は足早に移動しながらあちこちに指示を飛ばしている。船長より余程慣れた様子は元船長と言われればなるほど と納得だ。それが何を思ったかこの船に乗っている。そんな人間がこの船にはごろごろしていた。ウソップは通信機で伝令を飛ばしながら甲板に降 りる。途中何度か強く吹きつけた潮風に目を潰され、遥か上をぐんぐんと流れる雲を見上げてため息を吐いた。下手をすれば海賊や海軍よりも余程 厄介な敵が現れそうだ。 遠目にも雷光が海と空の合間を走るのが良く見えた。 「よ、お疲れさん」 丁度敵船から飛び乗ってきたゾロと鉢合って、ウソップは少し顎を引く。返り血を一切浴びていないゾロはまったく見事としかいい様がないが、染 み付いた血臭は誤魔化しようがない。未だに慣れないウソップに、ゾロは何も言わなかった。 「ああ、お疲れ。飯は?」 「いや、こいつ等の手入れが先だ」 そう言ってぽんと叩いた三本の刀は錯覚でなければどこか誇らしげだ。白黒赤の組み合わせは未だに変わりない。主人の酷使に寿命は短いだ ろうと思ったが、ゾロの腕を侮っていたらしく、そういった意味での負担より海風の塩気がもっとも厄介な敵のようだった。 「放って置くと錆びちまうから」 「手伝うか?」 「いや、大丈夫だ。後から行く」 伝えてくれ、とは言わないがゾロの頭を過ぎった人物の顔は予想がついた。言っておくよと返せば、ゾロはちょっと困ったような顔で頷いた。から かったつもりはなかったのだが、その様に受け取ったらしい。どう反応を返してよいのか量りかねているせいもあるだろう。あまり慣れていないの だ。 「…早く来いよ」 もう一度頷いたのを確認してから踵を返す。きっとコックは上機嫌で皆に料理を振舞っているだろう。勝利を誇りに思うのは海賊なら皆同じだ。戦 利品や土産話に花を咲かせるキッチンへとウソップは軽いステップで急いだ。 |