春の嵐
(it's my life)

























 ずっと、背中ばかりを見ていたから、正面から向かい合う事が未だに気恥ずかしく、サンジは目の前で懸命にうどん
を啜るゾロをちらりと盗み見た。まるで直視すれば正気で居られぬといった具合だ。一方ゾロは、そんな事などまったく
お構いなしである。
 通常より一時間ばかり早いせいか、食堂には人が疎らで、中途半端に空いた時間を持余している学生が眠た気にあ
くびをしている。厨房は静かで、これからの繁盛に備えて一休みといったところだ。窓際の席を陣取り、サンジとゾロは
そんな中に混じりこんでいる。
 こんな時、本当に煙草があってよかったと思う。二人の間に、誰かが介在する時はいい。だが二人きりになった途
端、サンジは何を言っていいのか、視線をどこに投げていいのかさえも分からなくなってしまうのだ。別段、普通にして
いればいいのだが、ゾロと二人きりになると、その普通が思い出せなくなってしまう。
 そんなサンジの動揺を余所に、ゾロの食事のペースは落ちない。昼時は混むからといつもこの時間に食事を摂る事
を知ったのは最近だ。それからサンジは、偶然を装って欠かさずこの時間には食堂に通う。その度にまた会ったな、と
いう風に手を上げた。それをゾロが不審に思っている様子はない。その限りはサンジも止めるつもりはなかった。
「今日はナミさんと一緒じゃねぇの?」
 指を焦がすぎりぎりまで持たせた煙草を未練がましく灰皿に押し付け、観念してサンジは話題を探した。二人の間に
共通項はとても少ない。授業の話などしてもつまらないし、ゾロの好きなものもサンジは知らない。後は噂話や互いの
友人の話くらいしかなく、ゾロは噂話に興味がないから、自ずと話題はこれだけになる。ゾロは丼から顔を上げると、無
表情のままじいっとサンジを見た。
「ナミなら西館で教授の手伝いしてるぜ」
 それだけ言うとまたうどんに執心してしまう。折角向いた関心は、またぷいと逸らされた。
 こんな風にゾロはまったく素っ気無く、必要最低限の事しか話さないし、興味を示さない。だがナミやウソップなどはな
んとも上手にゾロを笑わせたり、怒らせたりしている。いったいどんな魔法を使っているのだと、そのコツを盗もうとサン
ジが傍によると、途端にゾロは押し黙ってむっつりと口を閉ざしてしまうのだ。案外人見知りをするのだとはウソップの
弁だが、知り合ってから一ヶ月、そろそろ慣れてくれてもいいのにとサンジは少々傷心だ。嫌っているのではないと元気
付けられても、所詮は周りの憶測で、実際ゾロがサンジをどのように思っているのかは分からなかった。
「…手伝ってやれば」
 途切れてしまった会話にため息を漏らしかけた時、ゾロが突然口火を切った。一瞬、誰が誰に話しかけているのだと
思い、気を取られて危うく再びつけた煙草を落としそこなった。
「え、だ、誰を?」
「だから、ナミだろう?」
 何を言っているのだと片眉を上げるゾロは不審気だ。どうやら会話は繋がっていたらしい。サンジは慌てて再び煙草
を消した。
「あー…うん」
 今度は両方の眉を上げて疑問を寄越すゾロに、曖昧に笑って誤魔化した。その中にはナミをだしに、ゾロとの会話を
成立させようとした後ろめたさが多分に含まれていた。だがそんな事など分かりはしないゾロはただ、気まぐれな答えに
呆れたようだった。
「変な奴」
 それがゾロの中のサンジの全てだ。変な奴。時々授業が重なるだけの、大して興味もない奴。それは酷く自虐的で、
しかし的を得てサンジに苦笑いを齎した。
 ゾロは考えもしない。サンジがなぜ、いつもこの時間に、この場所に居るのか。思いもしない。お前に会いたいだけだ
なんて、この僅かな時間をどんなにか大切に思っているかなんて。


 サンジが初めてゾロの存在を知ったのは、大学に入って間もなくの事だ。


 大教室の講義で爆睡をかまし、いざ終業時、出席カードを提出する段になって、初めてサンジは自分が全くの手ぶら
である事に気がついた。
 その時、たまたま隣に座っていたのがゾロだった。
 サンジはまだ名前も知らないゾロにペンを借り、速やかにカードを提出する事が出来た。サンジとゾロはどうも選択し
ている授業が似通っていた様で、それから何度もあちこちで顔を合わせた。サンジはなんとなく顔を知っている程度な
ら、平気で挨拶をしてしまうタイプの男だ。だからゾロと二度目に顔を合わせた時、ついいつものノリで挨拶をしたのだ
が、ゾロはそれにきょとんとして、すぐに覚えていない事は分かった。それにサンジはガックリした。そしてガックリした
自分に驚いた。
 たまたま隣に居合わせ、ちょっとペンを借りただけの男。友人どころか、知り合いでもない。サンジが同じ立場であっ
たら、おそらく覚えていないだろう。。
 それなのにサンジはやはりガックリとし、そして気まずいような気分になった。
 なんにしても独りよがりは気恥ずかしい。
 だがそんな気分は、次の瞬間には綺麗にぶっ飛んでいた。
 笑ったのだ。ゾロは。
 まるで、春先に漸く綻んだ花のように。僅かに、口元だけで。
 そして「おはよう」と言ったのだ。
 それからサンジは、同じ教室にゾロを見つければ、必ず傍に座るようになった。本当は隣に座りたかったけれど、名
前も知らない、付き合いもない男が毎回故意に隣に座ったら、相当に気味が悪いと思う。
 それにゾロは必ずしも一人というわけではなかった。
 ものスゴク可愛い女の子といたり、変わった鼻の男といたり、ハデな服装の男といる事もあった。だが一人の時ももち
ろんあり、そんな時はいつもより少しだけ傍に座った。
 それでも結構、勇気がいったものだ。
 そんな風に結局、一度もゾロに話しかける事も出来ないまま、季節はあっという間に夏を迎え、ちょっとしたきっかけ
でサンジはめでたく固有名詞を伴った「顔見知り」になれたのだった。

 だがしかし。そこで満足してしまうほど、サンジは控え目でも思慮深くもない。
 常に上のランクを目指すのが、男というものだろう。


「なあなあ、お前休みに入ったら、どうすんの?」
 前期の試験も残すところ後数コマ。サンジなどは今日の午前で全てが終了し、明日から既に夏期休暇と言っても過言
ではない。ゾロはサンジより幾つか選択授業を多く取っているので、明日の昼まで待たねばならぬが、その後はサンジ
と同じく終業を待たずして休みに入る。実家から通学しているサンジは帰省とは無縁だが、ゾロの出身をサンジは知ら
ない。何気ない言葉に混ぜて踏みこむ事に大層緊張した。
「別に。いつも通り」
「いつも通りって?」
「バイトして、道場通う」
「ドウジョウ?」
 聞き慣れぬ単語に、どんな漢字を当てはめて良いものか迷う。それに気づいたゾロが、珍しく補足した。
「剣術とか、柔術とかの道場。休み中も稽古はあるから」
「お前、そんなのやってたのか…、実家とか、帰えらねぇの?」
「道場が実家だ」
 突然増えた情報量に対応しきれず、サンジは混乱して黙り込んだ。通える距離に実家があるのにどうして一人暮らし
なんだとか、稽古って何してんだよとか。しかし何よりそれを知らなかった事に、サンジの気分はどんよりと下降した。
「お前は?」
「あ?」
「休み」
 なされた問いかけが自分に対してのものであると理解できずに、ぽかんとしてゾロの顔を見た。ゾロは言葉の意味が
通じなかったと思ったのか、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「お前は休み、どうすんだよ」
「あーと、俺も別に…店の手伝いとか」
「店?」
「ウチ、レストランだから」
「…ふーん」
 そういえば、こんな話をしたのは初めてだった。
 一方的に気になって、どうにか近づき名前を覚えさせても、一向に気が済まないサンジは、ゾロを追うのに躍起になっ
て、自分の話をした覚えがほとんどない。本当ならそこから始めるべき基本が、すっかり抜け落ちていた間抜けさに
少々驚いた。
「な、お前俺の名前、知ってる?」
「…なんだよ、急に」
 一転した話に不審気なゾロだが、至って健全な様子でサンジだろう、と答えた。
「じゃ、俺がどこに住んでるか知ってるか?携帯番号は?年は?趣味は?専攻は?」
「な、なんだよ。いきなり。知るか、そんなの」
 めんどくさそうに顔を顰めたゾロに、サンジはかっとして身を乗り出した。
「そんなのって…!そんな言い方あるかよ!俺はこんなにお前の事す――」
 そこでサンジは息を呑んだ。咄嗟に転げ落ちそうになった言葉の意味を、果たして理解しえたものか。
 いきなり怒鳴っていきなり言葉を切ったサンジに、ゾロはますます不審気だ。だが続きが言える筈もなく、口を何度か
パクパクとさせてからどすんと椅子に腰を落とした。
「――マートモバイルの重要性をお前はわかってねぇ」
「はあ?なんだよ、いきなり。あんなもん、なくても困らねぇよ」
 ぶつぶつと茶を飲むゾロを横目に、ぎりぎり誤魔化せたと、苦手なものを突きつけられると前後を忘れるゾロの単純
さを喜びながら、サンジはその間もぐんぐん足元へ落ちる血を止める術もない。今自分の発しようとした言葉の意味
は、それくらいに重要かつ重大なものであった。段々と顔を青くする様に、流石に尋常でないものを感じたのか、ゾロは
席を立って中腰になると、上半身をテーブルに乗り出し向かいに座るサンジの顔を覗き込んだ。
「おい…?お前、すげぇ顔色だぞ」
「え…?」
 少しばかり気の遠くなっていた意識が、目の前の顔に急に彩を取り戻す。要領を得ないサンジに、決して気の長くな
いゾロは無造作にぐいっとサンジの前髪を掴んだ。
「聞いてんのかよ。大丈夫かって」
 それが心配している態度かと思わぬでもなかったが、確かにゾロの目は乱暴な仕草のわりに心配げであり、常にな
いゾロとの距離に、鼓動は勝手に強く跳ね、サンジはますます顔色を悪くした。
「なん、でも、ねぇ。…平気だ」
「そうかよ」
 一気に興味を無くしたように、ぽいと開放されたものの、サンジの前髪はくしゃくしゃとなっている。だがそれを直すに
も気が回らず、サンジは混乱する頭とは裏腹に、すっぱりと道の通った胸の内に呆然とした。
 語るに落ちるとはこの事だ。咄嗟に選んだ言葉は動かし難い。そんな馬鹿なと頭は否定するのに、気持ちはすっかり
落ち着いている。一々納得の行く己の言動の大元を、サンジはじっと見つめた。

 俺は、こいつが好きなのか。

 残りの茶を一飲みするゾロの、遠慮ない仕草はなんとも大らかで男らしい。どこを見ても間違えようのないものを、そ
れでもサンジは見ていたいと思うのだ。ならばなんの偽りがあると思う他ない。だが頭はどこまでも混乱する。
 黙りこんだサンジに何も言わず、ゾロは手持ち無沙汰に窓の外を眺めている。その横顔を眺めながら、ざわざわと波
立つ胸を抱えてサンジはぎゅう、と拳を固めた。


 今まさに、季節外れの春の嵐が到来しようとしていた。























end

(05/03/19)











90000打 高巳様
リクエスト「妄想soul掲載『it's my life』の二人」でした。