好きだよ、と言ったらゾロが酷く驚くので、サンジも同じくらいに驚いた。 とっくに知っていると思ったよ、と言うと、そんな事知らねぇ、と言った。 夜だった。 あまり天候が良くなく、そっと一人で徹夜をする航海士のために、精一杯の心を込めて夜食を作った。ありがとう、と 少し恥ずかしそうな謝辞にどういたしましてと返して、甲板に出てきたところで偶然ゾロと鉢合わせした。 ゾロは見張台で夜の番をしているはずなのに、どうした事かラウンジへ続く階段の下でぼっと海を見ていた。 「お前、見張りは」 「してるだろう」 お前のそれは見張りじゃない、見ているだけだと言えば、ゾロはふてくされたように鼻を鳴らした。それでどうやら夜食 の匂いを嗅ぎつけて来たのだと気づいたのだった。 「…なんか喰うか」 「喰う」 鳴き声みたいな言い方だったから、サンジは階段を昇る振りで緩んだ口元を誤魔化した。 ラウンジに入るとゾロはいつものようにいつもの位置に座り込み、くあ、と大きなあくびを一つして頬杖をついた。ゾロ はラウンジに居ると必ずあくびをする。ともすると寝ている。甲板でも良く寝ているが、サンジにとってラウンジは自分の テリトリーだ。そこで勝手に寝られると、少々据わりの悪い気分だった。 リクエストも特に無いらしいゾロは、何も言わずに座って居る。サンジも特に何も聞かずにコンロに鍋をかけた。無意 識に頭は回転して料理の手順を並べている。ゾロはまたくわあ、とあくびをした。 「あんだけ昼寝しても、まだ眠いのかよ」 「夜は夜で眠いもんだろ」 「…そんなもんかね」 どうでもいい会話だが、サンジは少し気分が晴れた。日中ではそういった他愛も無い会話もゾロとでは難しい。その半 分くらいの責任はサンジにあって、後の半分はゾロにあった。 サンジはゾロを構いたくて、でもゾロはあまりサンジに構わないからだ。 それもこれも全部、サンジがゾロを特別に想っているからだ。それに端を発しているわけだから、サンジの責任を十と してもおかしくはないが、確かにゾロはあまりにもサンジに素っ気無かった。 「どーぞ」 「いただきます」 きちんと両手を合わせるゾロの正面に、サンジは銜え煙草で腰掛けた。 夜のゾロは少し静かだ。闇に喰われたみたいに険が消える。気配もずっと穏やかになるから、サンジはそれが少し嬉 しい。とりあえず眺めていても怒られないからだ。 手元の小鉢を一口食べて、ゾロが難しい顔した。まさか不味いわけがあるまいと顎を浮かしたサンジに、ゾロはこれ、 と言った。 「これ、何」 「菜の花と生ハムのサラダ」 「なのはな」 ゾロはまた微妙な顔をして、それから何度かゆっくりと瞬きをした。気に入らないのかとはサンジは聞けない。プライド のせいもあるが、なんだかゾロの様子がおかしかったからだ。 「なのはな」 「おい、菜の花を馬鹿にすんなよ。鉄分とカルシウムが豊富で、おめぇみたいに直ぐ血ィ流すやつには、ぴったりなんだ ぜ」 「そうか」 ゾロは素直に感心して、ちょっとづつ菜の花を口に入れた。もぐ、もぐ、と細かく咀嚼を繰り返す。好き嫌いを言わない ゾロだが、嫌いなものを食べる時は決まって眉間にしわを寄せるから、とりあえず嫌いではないらしいのは分かる。だ が口元の微妙な感じはまだ消えていなかった。 「むかし」 「あ?」 あまりにゾロの口元を注視していたせいで反応が遅れた。だがゾロは気にした風もなく、半ば独り言のように呟いた。 「ガキの頃、飯の時によく喰った」 「……」 突然昔の事を話し始めたゾロに、サンジは言葉を無くした。何か言いたいような気もしたが、じっと我慢した。 サンジがゾロを想うようには、ゾロはサンジを気に留めない。無視しているわけでも、認められていないとも思わない が、ゾロの中にサンジの席は一つも無かった。ゾロにはサンジが、必ずしも必要ではないのだ。 だからサンジは少々躍起になってゾロを構う。そして喧嘩になる。ゾロはいい加減面倒になって酷く無神経な方法で サンジを遠ざけようともするが、最後の最後で冷酷にはなれないから、そんな時浮かべるゾロの困ったような、でも仕方 ないといった風に眉を下げる顔が見たくて、サンジは何度でもゾロに喧嘩を売った。 だってその時だけは、許されているような気持ちになれるから。 それを見咎めて、時々はナミにからかわれた。サンジ君って、案外本気だとアピールが幼稚なのね、といった風に。 サンジがそれを焦って否定していると、ゾロは飽きてぷいっとどこかへ行ってしまう。それをサンジは、ゾロはゾロなりに 何かを察知しているのだと薄ら寒いような気分で見送った。 「…嫌いかよ」 なんとなくいたたまれず、サンジはそっとゾロの口元から目を逸らした。ゾロは器用に箸を使う。持ち方が綺麗でサン ジはそれを見ているのが好きだった。 「いや、好きだ。懐かしい」 口の辺りをむにむにとして、はにかむ様にゾロが笑った。 あまり普段使わない言葉だ。あまり見ない顔だ。 本人も自覚があったのか、ちょっとだけ目が泳ぐ。多分サンジがあまりにも驚いた顔をしていたせいもあったろう。 「好きだよ」 「は?」 「お前が、好きだよ」 だからサンジも、普段は使わない言葉を使った。 そんな顔をされて、我慢がきくサンジではなかった。 「お前の言うことは脈絡がねぇよ」 今にも箸が落ちそうになっているのに、ゾロは気がつかない。それくらいには驚いているのだ。サンジは今更のように 自分がとんでもない事を言ったのだと気がついた。 「あるよ。お前が好きだとか言って、そんな顔するから、誰かにそんなの見せられたらたまんねぇと思うから言ったんだ よ」 「だ、だからそれが脈絡がねぇっていうんだっ」 だいたい、そんな顔ってなんだ、とゾロは憤慨して顔は真っ赤だったが、それは明らかに怒りのせいではなかった。だ いたいゾロが言葉を詰まらせるなどありえない。動揺しているのだ。 サンジはサンジでもっと動揺していたが、色々と開き直ってもいたから遠慮なく、顔が赤かろうが声が上擦ろうが先を 続けた。 「脈絡なんて、元々お前だってねぇじゃねぇか。だったらなんだ。きちんと手紙でも書けばいいのかよ。それとも…ああ、 そうか」 がたん、とサンジは立ち上がった。ゾロがびくりと体を引いたがサンジは気にせずシンクへ寄った。 シンクの中には、まだ花をつけて水に浸された菜の花があった。 それを一本づつきちんと長さを揃えて束にする。葉についた水滴を軽く払ってから布巾で吸い取った。背後では何に も知らないゾロが、顔を真っ赤にして警戒を解かずにいるのだろう。サンジは今更のように胃が痛くなった。 とっくに気づいているものという気安さも、少なからずあったのだ。サンジには。だがゾロは知らないと素っ気無く言う のだ。それならば、これから事細かに自分の気持ちを言い聞かせなければならない。前振りも何もない言動は、確かに ゾロからしてみれば唐突であったろうし、脈絡もないだろ。だがそれじゃあなかった事に、とは出来ないのだ。脈絡がな かろうと準備がなかろうと、サンジには突き進む他道はない。気が遠くなるような作業だが、諦める気はもちろんなかっ た。 「お前が好きだ」 はい、と手に持った即席の花束をゾロに突き出した。むき出しの細かい花弁にはまだ水滴が残ってチカ、とランプの 光を鋭く弾いた。 「正式に交際を申し込むぜ。…俺とつきあってよ」 今度はあんぐりと口を開けて呆けているゾロの腕を取って、花を押し付ける。 受け取ってから急に正気に戻って、ゾロを花を押し返した。 「な、何言ってんだ。花なんて俺は」 「お前がきちんと段階を踏めって言ったんじゃねぇかよ」 だから告白して、プレゼントだって。その上それ、喰えるし。ムダがねぇよ。花を返そうとするのに両手を上げて拒否を 示すと、ゾロは唇を噛んで悔しそうに花を自分の膝の上に置いた。上手い言い訳や言い逃れを聞く気がない事は分か っているはずだ。そしてもちろん、サンジが本気で言っていると分かっている。だからゾロは、いつものように冷淡な罵り や平坦な対応を出来ないでいるのだ。 そこにつけ込まれるなんて、露とも思わずに。 「じゃあとりあえず、デートしようぜ。デート」 「デ、デート!?」 素っ頓狂な奇声を、ゾロはハッとして手で塞いだ。時刻は真夜中を過ぎている。男達が起きる心配はないが、女性陣 はそうもいかない。ゾロはナミが起きている事を知らないのだ。 「そ、デート。早くそれ、喰っちまいな」 半ばで止まった食事の残りが、ひんやりと皿の上で冷めかけていた。忘れていたのかゾロは慌てて箸を持って向き直 った。 「酒でも持っていくか〜」 猛烈に食べ始めたゾロの横で、サンジは上機嫌で酒を選ぶ。 ゾロは一心不乱に食事をしている。サンジは鼻歌を歌いだした。 これからどうやってゾロに分からせてやろう、と浮かれながら。 どこまで踏み込んで大丈夫だろうか、と目元を少し強張らせながら。 「なあ、これ…」 赤と白、どっちがいいかと振り返ったサンジは、なんだか突然泣きそうになって困った。 前かがみで行儀悪く食事をするゾロの耳は赤かった。 いつもはおざなりに投げ出されているはずの足は、膝の上の花が落ちないようにきちんと揃って気遣われていた。 本当なら、投げ捨てる事だって出来るのに。 お前の、そういうところ、すごく、好きだよ。 言わなかった。立て続けは返って逆効果になる。あまり慣れた風ではないゾロを困らせるだけだと分かっていた。 なあ、ちょっとづつでいいから、俺のための席を、お前の中に作ってよ。 お前の中に、俺を少しだけ、居させてよ。 水っぽい顔を見られないよう、酒を選ぶ振りをしながら、今夜の見張りは大層楽しくなるだろうとサンジは思った。 |