milk 嵐の夜からずっと、鷹の目のところに居た、とケロリとしているゾロに、サンジは大層驚いた。 初めの頃こそ遠慮していたものの、知りたいという欲求は底を知らない。特に自覚してからここまで、大変な月日を費 やしているだけに、離れていた時間に嫉妬しているサンジである。本来ならもっと早くにと思わなくもない。逆にゾロは、 離れていたからこそ今があるのだと言うが、サンジにはどうにも納得できなかった。 「鷹の目を斬ったのは見届けた。先に倒れたのも。だが正直、爆発が酷くて難儀してた」 もっとはっきりと言えば、状況は最悪だった。沈んでいく船は既に原型がなく、それでも絶えずどこかで爆薬が破裂し ていた。劈くような雷鳴と爆発音。ツンとする爆薬の匂いを、サンジは絶望と共によく覚えている。 「元々鷹の目は一人で行動してた訳じゃなかった。俺はてっきりあの黒船一隻かと思い込んでたが、近くに本隊が居 て、気ままに動く鷹の目について回ってたんだ」 だが普段は巻き添えを喰わない為、余程の事がない限り目視できるほど近寄らない。鷹の目の一太刀は、平気で船 一つを切り伏せる事を承知しているからだ。 「細けぇ事は覚えてねぇが、その船に俺は拾われて、そのまま鷹の目の屋敷へ連れてかれたって訳だ」 「そこにずっと居たのか?五年間?」 「いや、居たのはとりあえず傷が癒えるまでだ。その後は…まあ、あれだ」 ぼそぼそと、言い辛そうにしているゾロは耳が赤い。サンジはその後ろにくちづけた。 「迷子か?」 「…迷子じゃねぇ。お前らがちょこちょこ動くから、掴まんなかっただけだ」 唇が悪足掻きで尖っている。笑って突付くと、ゾロはますます顔を顰めた。 「早く手紙でも何でも、出せばよかったのに」 「見つかると思ったんだよ」 頭を撫でるサンジの手をぺし、と払って腹立たしげにゾロはごろりと体を伏した。 ベッドの上での戯れも、既に幾夜過ぎた頃か。ばらばらの部屋を持っていたサンジとゾロだったが、今更隠し立てもな いとウソップが二人の部屋の仕切りをすっぽり取り去った。お陰で部屋は二人分の広々さだ。流石に全ての壁を取り払 ってしまうと、構造上差障りがあるというので、半分は残っているものの、繋がった二つの部屋を自由に行き来できるだ けでも申し分ないし、何より姿がいつも見えるのがいいと、サンジは大層ご満悦だった。ゾロはそういった点に全く頓着 しないので、どうでもいいようだったが悪いとも言わないので、サンジはそれで満足している。嫌なら絶対ゾロは許さな いからだ。 これもまた、結婚祝いと称してウソップに無理やり作らせた大きなベッドの上、ゾロは長々と寝転んで枕に顔を埋めて 気持ち良さそうにしている。サンジは体を起こして読書中。それがどういった訳か、昔の話になっているのは、サンジの もくろみ通りといった所だ。 「それで?鷹の目の怪我も、酷かったんじゃねぇの?」 「まあ、そうだな。はっきりとは分からねぇが、中身結構出てたんじゃねぇかな」 「…中身?」 「ないぞう」 今度は腕を枕にこちらを見上げるゾロの目は冷酷だ。何よりも尊いゾロの道。極力感情を抑えているのが良く分か る。それが少々気にいらないサンジだが、とりあえずそれは横に退けた。 「俺の刀は三本だから、どうしたって入れば傷が酷くなる。中でも最後の一刀を横に薙ぐから、下手すると出ちまうん だ。アイツ腹筋が発達してるから、戻すのも大変だったんじゃねぇかな」 「…ああ、そう。でも生きてんだろ」 「まあ、隠居ジジイみたいになってたが、その内正気に戻んだろ」 素っ気無い言い様の中に混じるのは、痛恨か期待か。そんな時のゾロの目は何も語らない。口調からも読み取れ ず、サンジは思わずゾロの頬を掴んで引っ張った。 「っなにすんだ!イテェ!」 思い切り叩かれた手の甲が赤い。それをじっと見てから、サンジはかがんで同じように赤くなったゾロの頬にくちづけ た。 「嫉妬」 「…あほ」 心底呆れた風だが厭味がない。うっかり込め忘れたというところだ。だがそれ以上に、優しい表情は隠しようがない。 頬を撫でるとゾロは目を細めた。 「まあ、悪い気分ではねぇな」 「それは良かった」 感謝の言葉を込めて、今度は唇に軽くくちづけた。すると下から不意に腕が伸び、追って来た唇にくちづけられる。そ のまま圧し掛かって深く絡めると、ゾロは膝の上の本をベッドの下へ落とした。 「邪魔」 「それは失敬」 今度こそ失礼のない様、恭しく手の甲へくちづけた。 ほとんど留まっていなかったシャツのボタンを外し、晒された肌をくまなく撫で、その合間もゆっくりとくちづけを繰り返 す。同じように手を止めないゾロの指先は、悪戯にサンジを煽り、余裕を見せていた呼吸も次第に荒くなる。それを面 白がっているゾロの息も次第に上がり、引き際をすっかり見誤ってしまった二人は剥ぎ取るように衣服を脱いだ。 「痛くねぇ?」 都度にサンジはそれが気になって仕方がない。頑丈な体もこればかりは鍛えようがなく、ぶるぶると凍えるように震え るゾロの頬を撫で、優しくあやす様にくちづけを繰り返す。何度も繰り返すうちに慣れるなんて嘘だ。必ず蒼白になるゾ ロの様は痛々しくて見ていられない。その度にサンジはもう、これきりにした方がいいのかもしれないと本気で思い、そ れを察してゾロに殴られる。痛い思いをしてるのはお前なのに。情けなく小さくなるサンジに、ゾロはそんな事は関係な い、といつも笑った。 「だい、大丈夫だ」 ようやく震えの治まった唇に、無理やり笑いを浮かべるゾロは痛ましい。そのままぎゅうっと抱きしめると、分かってい るのか背中を撫でてくれる。嗚咽でも漏らしそうな様子にゾロは苦笑いした。 「おら、もう平気だから」 顔を上げれば目元から米神を指先で優しくなぞられる。まるで泣いていない事を確認しているようだ。こんな時、責め 苦はゾロばかりなのに、当のゾロはサンジの心配ばかりする。そうして一方的でない事を教えてくれるのだった。 「なあ、ゾロ。痛かったら言えよ?」 だがそんな風に、一方的に甘えてばかりでは男が廃る、というのも本心だ。男ならずとも相手を良くしたいと思うのが 人情だ。サンジはゆっくりと、ゾロの体を撫でながら動き始めた。 痛みを感じぬ様、深く入り込む事はせず、ただ浅く繰り返される動きに、痛みに身構えていた体が少しずつ解れてい く。それを確かめながら、穏やかに探るように揺すると、ある一点でゾロは呼吸を跳ね上げた。それを何度も繰り返す 度、噛み締めていたゾロの声が少しずつ唇から漏れ始める。そんな時サンジは、いっそこのまま、などとあらぬ考えま で浮かぶのだった。 「あっふ…ん」 上ずった声に咄嗟に口を手の甲で塞いでも、とうに聞こえてしまったサンジは、耳から直接熱い蜜を流し込まれたよう に頭の芯が甘く蕩けた。このままではまた自分ばかりがと堪え、ゾロが鳴く場所を何度も擦り上げた。 「も、もう、やばっ…サンジっ」 「ああ…俺もだよ」 耳元で囁けば、ゾロはがくがくと体を小刻みに揺らし、サンジ、と鳴いてふっつりと果てた。 「なあ、本当はずっと、そこに居たかったんじゃねぇのか」 くちづけの合間、吐息を飲み込みながら囁く声が耳朶を噛んで耳の中に入り込む。余韻にびくりと体を震えさせなが ら、それでもゾロは目を開き、真っ直ぐにサンジを見た。 「どこに」 「鷹の目の所」 ゾロは剣士だ。それがどういう事かは分かっているつもりだ。たとえ腑抜けたジジイでも、世界最強であった事実に変 わりない。更に腕を磨くためには、その方がよかったのではないか。それを望んでいたのではないか。サンジがそう思 っても無理はなかった。 ゾロは無言のまま、ただじっとサンジの目を見つめていた。まるで頭の裏側まで見透かす鋭さに畏怖を覚える。これ がゾロ故なのか剣士故なのかは分からない。命のやり取りは海賊であれば当然だが、ゾロの目はそれとはまた違っ た、飲み込むような冷徹さがある。それを時にサンジは恐ろしくも尊いと思うのだ。 「…なぜ、そう思う」 「だってお前は、剣士だから」 間近に見据えたゾロの目は、サンジの中から何かを嗅ぎ取ろうとしている。言葉の裏、本心、駆け引きの本質を。だ がサンジに手持ちのカードは何もない。この男にイカサマが通用するとは思っていない。 「俺は鷹の目を一度は超えた」 すう、と目の奥に深い闇が、突然姿を現したように見えた。冷え冷えと、どこか不吉な匂いをさせて。 「その時点では確かに、俺が最強だったかも知れない。だが、俺が鷹の目を超えたように、いずれ俺の元にもその時 が来るだろう」 「ゾロ、俺は」 しい、と唇を指で止められる。ゾロはその目のままで微笑んだ。 「当然負けてやるつもりはねぇが、何事にも絶対はありえない。…だから俺は、ここに戻ってきたんだぜ?」 最後に戻りたかった場所。会いたかった仲間たち。伝えたかった気持ち。そのどれもがここにあった。 「あのまま、あそこに居ても良かったろうと思う。でも、俺は掴めるもんが一つじゃ満足できなかった」 欲張りだからな、と笑ったゾロの目は、払拭された飴色に変わっていた。垣間見せた闇の匂いは既に消え去り、幻だ ったのかとさえ思う。だが、先ほどの言葉の重さは、決して幻ではなかった。 「俺はここに、お前を掴みに来たんだぜ」 もちろん、仲間も、船も。まるで付け足すような言い方に、サンジは笑った。 「俺が欲しかったのか?」 「ああ。お前のツラみてからじゃねぇと、死んだ気がしねぇと思って」 「なんかそれ、嫌だなあ」 素直に死にきれないと言え、とねだると、じゃあ、死にきれねぇよ、とあっさり言った。 「胸ん中にもやもや抱え込んで行くのは、柄じゃねぇ」 「そうだな」 ゾロの肩に、そっと額を擦りつける。暖かい陽の匂いに鼻の奥がツンとした。 今になって思う。本当はずっと、鷹の目に嫉妬していた。それと気づかぬうちに、ゾロの口からも、誰の口からも鷹の 目の話を聞くのを嫌っていた。奪い去る不吉な影と、無意識に断じていたのだ。いずれゾロを、自分たちの元から連れ 出すだろうと。それは事実、現実となり、数年の間、仲間の元からゾロを奪ったのだ。あるいはそのまま、ゾロは戻らな かったかも知れない。そうは言っても、剣士として迷ったに違いないのだ。 それでも俺を、俺たちを選んでくれた。 呼んでくれた。 最後の場所に、選んでくれたのだ。 「ゾロ」 顔を上げ、目を合わせる。ゾロはゆっくりと瞬いた。 「ちゃんと、俺の顔見てからにしろよ。この指輪に、誓って」 「…ああ」 そっと手を取り、ゾロの指輪にくちづける。ゾロも同じようにサンジの手を取り、恭しくくちづけた。 「約束だ。誓ってお前の傍以外では…」 その先はくちづけで遮った。凶兆は言葉に巣食う。 サンジは微笑み、もう一度くちづけた。 「約束だ」 今度は深く唇を合わせ、耐え切れなかった嗚咽はその中にそっと、落とした。 永い月日を共にあり、共に歩き、共に過ごし、そして死ぬまで。 あの頃、自分の気持ちにさえ気づかぬ程に幼い頃、 それはあまりも儚い幻想だった。 だが本当は、信じるだけの力がなかったからだと今なら分かる。 儚いのは夢ではない。支える人の力が足らぬのだ。 だから。 この身の全てで、支えてみせる。 笑って、別れて、また向こうでも。 ずっとお前と居られるように。 end top 初出 2005/02/13 再録 2012/08/16 |