bright 斥候と銘打って、実際はただの息抜きだともちろん誰もが知っていたが、あまりに嬉しそうな様子に結局指摘できる 者はおらず、もし今更中止と言われても、一人二人蹴り倒してでも出て行きそうな素振りである。 そんな風に、今にも鼻歌を歌い出しそうに浮かれているサンジの背中を、娯楽の少ない船員たちは興味深げに眺め ていた。 「なあ、これも持って行こうぜ」 「いらねぇ」 「じゃあ、これは?」 「荷物増やすな」 斥候の意味を理解しているのかどうも怪しい。ため息をつきつつ天を仰いだゾロに、皆少々同情的だ。 元々気分屋のサンジを全面的に引き受け、なおかつ上機嫌にさせている功績は大きい。 女性に対する大げさな態度が随分と大人しくなったとはいえ、男に対する厳しさは年々増す一方だったからだ。 実際サンジが何を鞄に詰め込もうとしているのか、会話だけでは判断できないが、どうせろくなものではないのだろ う。 安易に想像つくだけに、付き合っているゾロに対する憐悲の視線は更に集まるのだった。 新しい島となればいの一番に飛び出す船長の海賊船だ。だが流石に今となっては軽率過ぎると止められるようになっ て久しく、上陸前に必ず斥候を出すようになっていた。 しかし本来それはあまり顔の売れていない船員の役目であり、賞金首のやる事ではなかった。 「浮かれてるなあ」 「浮かれてるわね」 そんな二人を並んで遠目に眺めるウソップとナミである。 チラチラと降り始めた雪から逃げるように、パラソルの下で肩を寄せ合う姿は随分と睦まじいが、実際はただの野次 馬である。 「あの二人に行かせるなんて。すぐに出航できる準備しとかないと駄目だな」 「でもまあ、随分と平和なところらしいから、大丈夫なんじゃないの」 「なんだ、適当だなおい。本当に大丈夫なのかよ」 「そう言ってたわよ。ゾロが」 「はあ?ゾロ?」 ナミは袖に積もった雪の雫をぱっぱと払い、考えるようにんんん、と唸った。 「斥候なんて建前よ。二人が降りたらさっさと近くの島へ移動するって。なんだかゾロがルフィに頼んだみたい」 「なんか所以のある場所なのか?」 「さあ、私もそこまでは」 双方負けぬくらいに鼻先を赤くしながら、こんなところで身を寄せ合っているのはそこに訳がある。 こうと決めたらテコでも動かぬが、決して横暴ではない船長が、どうも今回は口を噤んで頑ならしい。それに腹を立て たナミが寒いと叫ぶウソップを連れ出したのだった。 「言わないのは訳があるからだろう?そんなに気にするほどのことじゃ…」 ウソップからすれば、あの二人の事情に首を突っ込むと、馬に蹴られかねない事態を想定しての言葉だったのだが、 どうもナミの着眼点はそこではないらしい。 薄々と理解してウソップはため息をついた。 「言葉足らずは相変わらずって訳だ。まあ、本能で生きてる奴だからなあ」 空に向かって呟いた言葉は、いたくナミのお気に召さなかったらしい。二人の背中を見ていた目をギロリとこちらに向 けた。 「誰もルフィの話なんかしてないわ」 「俺もルフィの話なんかしてねぇよ」 白々と嘯いたウソップの足を、ナミは思い切りよく踵で踏んだ。 そんなわけで船長公認の上、斥候はあくまで建前の外出が決定していたわけだが、全部が全部、初めから納得ずく というわけではなかった。二人の仲を邪魔しようという気があるのかないのか、船長も駄々をこねていたのだった。 「なんでだよー、俺も行くぞ!」 「また今度な」 「なんでだよ!ゾロの船長は俺なんだから俺が始めに挨拶するんだ!」 「だからどんな理屈だよ」 船長室は宝箱というより今ではすっかりガラクタ置き場になっている。しかたなく船首の特等席に二人で座った。 「お前なあ、そんな楽しいことから俺を外そうなんて百年早いんだよ。そんなの聞いたら皆行きたいって言うに決まって るだろ!だから俺も行きたい!」 鼻息荒く、断固言い切るルフィにゾロはすっかりまいって額に手を当て天を仰いだ。どんよりと垂れ込める雲はため息 の代わりに雪の一つも降らしそうだ。いっそそれに気を取られてくれればと思うが、そんな簡単に言い抜けられる状況 でもない。 さて、どうしたものかと思案に暮れて眉をしかめた。 「あのなあ、お前。祝い事にはそれぞれしきたりっつーもんがあるんだよ」 「なんだシキタリって。ウマいのか?」 「食いモンじゃねぇよ」 この男から食い物の話を引き離すのは、ナミから金貨を奪うのと同じくらい難しい。早とちりにもルフィはヨダレを半ば 垂らしている。 「ルールだよ、決まり事。この船にだって決まりはあるだろうが」 「決まりぃ?そんなモンあったかあ?」 「じゃあお前、金目のもんナミを通さず売っぱらえるか?」 「馬鹿言ってんな!そんなおっかねぇことできるか!」 できるだけ分かり易いたとえに、ルフィが辺りを見回した。 たとえといえど、よもや聞かれては大惨事である。寒さなど気にも止めないルフィがぶるぶると肩を震わせた。 「つまり、そういうこった」 「んん、分った!じゃあ次は俺だからな!」 「…ああ」 結局理解の乏しい返事だったが、とりあえずこれで船長の了解は取れた。あとはアレに知られず、迅速にことを運ば ねばならない。うっかり知れようものなら、また大騒ぎが始まりそうで、余計な注目を集めることを思うと、考えるだに頭 が痛くなる。 普段はそうでもないのに、こういった事柄には人一倍敏感なところは、可愛げがあると言えなくもないが、単に面倒だ という気もする。 さて、どうするかとゾロは思案しながらルフィに手を振って船首を降りた。 「斥候?俺とお前で?」 「ああ」 夕食を片手に向かいに座ったサンジは、訝しげに眉をしかめた。 夕飯時のラウンジはざわざわと騒がしいものの、二人にとっては周りの目を気にせず、以前より幾分落ち着いて食事 を取れるようになっていた。 「斥候なんて、顔の売れてる俺とお前じゃ意味ねぇと思うけど」 盆に乗せた湯飲みの一つをゾロに渡しながら、サンジは当然の疑問を口にした。それに反論の余地はなかったが、 ゾロはわざとらしくため息をついた。 「まあ、散歩でもしてこいってことだろ。元々斥候なんて必要ねぇ土地だし」 「そりゃありがたいが…。知ってる土地なのか?」 「まあな」 いただきます、と手を合わせて食べ始める。しばらくゾロの食いっぷりを眺めてから、サンジも食べ始めた。どうやら サンジはゾロが何から食べ始めるかが気になるらしい。ゾロとしては順序に他意はないのだが、料理人としては色々考 えるところがあるのかも知れない。 「明日の昼頃にはつくんだろ?どんなところなんだ?その…」 島の名前にサンジは少してこずった。発音し難いのだ。代わりにゾロが続けると、そう、それ、とはにかんだ。 「海岸は断崖絶壁で、人がいるのは山間の集落だけだ。村の人間は海を見たことのない者がほとんどで、そのまま死 んでいく者もいる」 「随分、閉鎖的だな」 「そうでもない。出稼ぎで山や海を行き来する者もいる。どこにでもある普通の街だ」 「なんか特産品とか、珍しいものとか、盛んなものは?」 「そうだな…山の食いもんとかは結構豊富だけど、冬に入ると難しいかも知れないな。あと、武芸全般が盛んで、大人も 子供も大抵何かしら心得がある」 「ふーん、それでお前は行ったのか」 「あ?」 「行ったことあるんだろ?」 「ああ、…まあ」 「お前がそこまで覚えてるんだから、よっぽど印象的な所だったんだな」 「…そうだな」 歯切れの悪い物言いだったが、別段サンジは気にした様子もなく、丁寧に肉を切り分けている。それにほっとし、ゾロ は酢の物を黙って口に入れた。 だがサンジも馬鹿ではない。そんな場所に何故斥候に出なくてはいけないのか、当然の疑問はまだ残っているはず だ。 しかし次に口を開いた時にはベッドのスプリングの具合が悪いといった、まったく関係のない話題に推移しており、ゾ ロは改めて胸を撫で下ろした。 そこは、ゾロが数年前に訪れた場所。 そして、最強を誓った友の眠る場所。 ゾロの生まれ故郷だった。 海賊船など不徳の至りと思いがちだが、どうして朝昼夜の区別のはっきりした船である。それもひとえに日夜奮闘す るコックさんたちのお陰であり、影ながら君臨する料理長の努力の賜物でもある。 時間に厳しい料理長は、食事の時間を守らない者には問答無用に蹴りをくれる。イコール半殺しなのだ。 しかし今夜はどうも歯切れの悪い様子で、いつまでも一人で厨房にこもっている。どうにもそれが尋常でなく、通常な らそろそろ就寝用意のコックたちも、なかなか厨房を立ち去れずにいた。 「俺はいいから、早く寝ちまいな」 「へい」 普段は時間通りにきちんと厨房を閉める料理長が、一心不乱に鍋釜を磨く様子はなんとも異様だ。返事はしたもの の、ラウンジでぐずぐずするコックたちだったが、とうとう一喝されて追い出された。そうして要領よくコックたちを解放し た料理長だったが、思いの他自分が慕われているとは知らぬまま、天岩戸よろしく閉じこもってしまった。 そんなわけで、案外慕われている料理長をどうにかできる最も有力な男の門戸は叩かれたわけだった。 「コックがおかしい?」 目の前に並んだ全員がコックだとは誰も突っ込まなかった。刀の手入れに余念のない手元が狂ってはと誰もが口を 噤んで頷いた。 「アイツがおかしいはいつものことだろう」 あっさり切り捨てるところは流石大剣豪、と言いたいところだが、そうも言っていられぬ。コックたちはじりじりと素っ気 ない相手を取り囲んだ。 「でも一度様子見に行ってやっちゃくれませんか。ちょっと顔出してくれるだけでもいいんスよ」 エプロンの端を掴んでもじもじする大男はあまり見ていて楽しいものではない。そのせいとは言わないまでも、考えて はくれたようだ。 しばらく刀をじっと眺めていたが、すっとそれを鞘に戻すと立ち上がって腰に差し直した。 「まあ、お前らにはいつも美味いメシ食わしてもらってるしな」 本来なら話しかけるのも恐々な相手である。一人くらい斬られる覚悟で説得に臨んだコックたちだったが、案外すんな りとした返事に一同あっけにとられてしまった。しかしすぐに正気に戻ると、戸口をくぐって出て行く相手に、全員で頭を 下げた。 「よろしくお願いします!」 「おう」 振り向かずに手を振る後姿は、なんとも見惚れる男らしさだった。 戸口に寄りかかって見物しても、サンジは見向きもしなかった。 とっくに気配など知れている仲である。気づかぬわけもないから、どうやら無視を決め込むつもりだ。だがそこから先 へ進む気のないゾロは、とりあえず飽きるまで見学でもしていようと、作業台を磨いているサンジの背中をあくび混じり に眺めていた。ゾロとしてはサンジと向き合う時、おおよそ真剣に向き合っているといえる。もちろん年中そんなことで は疲れてしまうが、こういった時などは本気でかからねば後々酷いしっぺ返しを受けるのは経験が教えていた。 「…なんか用か」 気長に待つ構えのゾロに、結局痺れを切らしたのはサンジだった。意地なのかなんなのか、振り返らず台の脚を磨い ている。しかし手元は存外真剣で、気を紛らわせるはずが、途中からどうやら本気になっていたようだ。 「とっくに風呂の時間は終わってるぜ」 サンジとゾロの部屋に浴室はない。男女別れてはいるものの、全員で共用、時間もきちんと決まっている。 ろ過機がいくら発達しても、船上での真水に、宝石と同等の価値があるのは変わらない。 短時間に効率よく、消費は最小限に抑えるのが徹底した決まり事だ。 そんな中、食料を扱うにあたり、毎日入浴を欠かさず身なりを殊更気にする男が珍しいこともあるものだと、思ってい た矢先に先程の騒ぎだ。 何事だと訝るのも当然だった。 「あ…。忘れてた」 ようやく顔を上げたサンジは、本当にうっかりしていたという風だった。 しかしそのままゾロの方へは目もくれず、再び磨き始める様子には流石に顔を顰めた。 「おい、そんなこたぁ一人でやるもんじゃねぇだろ」 五十を下らぬ船員を養う厨房である。それを一人で磨き上げようとは、以前の小さな船ならいざ知らず、到底可能と は思えない。 しかしサンジは余計意固地に磨く手を早めてしまった。 これはどうやら本当に自分のせいらしいと、ゾロも腹をくくらぬわけにもいかず、頭をかいてため息をついた。 「…俺は二度聞かねぇぞ。言いたいことがあるなら言え」 ぴく、とサンジの肩が跳ねた。手元は勢いを失って、僅かに惰性で動いている。 俯いた顔は全体が前髪に隠れて見えず、時々それがとても卑怯だ。 ゾロは舌打ちして踵を返し、そのままラウンジを横切る。すると途端に後ろからばたばたと足音が追いすがった。振り 返れば髪を乱して雑巾を片手にサンジが突っ立っていた。 それを沈黙でねめつけると、サンジは何度か迷うように忙しなく呼吸を繰り返し、最後に諦めを含んだ吐息を大きく吐 いた。 「茶でも淹れる。座って待ってろよ」 そのまま肩を落として厨房に戻るサンジの背中が寂しげだ。それに眉を顰めたゾロだったが、きちんとこちらを見た サンジにほっとした気持ちの方が大きい。訳も分からず無視をされるのは、どう考えてもいい気分ではなかった。 しばらく厨房でカタカタと音を立ててから、サンジがカップを持って戻ってくる。 その動作の一つ一つを目を細めて眺めていたゾロだったが、最後に正面に座ろうとしたサンジに、隙間なく自分の隣 に並べた椅子を無言で叩いて示した。引き合うような沈黙の後、結局サンジはゾロの隣に腰掛けた。 目の前に並べられたカップを、二人で並んで無言で眺めた。 ゆらゆらと緑色の水面から上がる湯気に視界が湿る。面倒や腹立たしさよりどうして、という疑問が浮かんで消えた。 いい加減てらいのない会話をしたいのに、時々どうしても噛み合わない。 相手を責めるよりまず己を省みるのは上出来だが、至らず堂々巡りの輪は閉じてしまうのだった。 そして結局相手の様子をちらちら窺う自分に嫌気が差し、下手をすればそれが八つ当たりとなってしまう。 シュ、とマッチをする音で我に返った。いつの間にか膝の上で握り締めていた拳を緩める。 普段は皺にならないズボンが、汗で湿ってくしゃくしゃになっていた。それがどうにも居た堪れず、誤魔化すようにまだ 熱いカップに手を伸ばそうとした矢先、ぽつぽつと何かを叩く小さな音に気づいて顔を上げた。 雨でも降り始めたろうかと窓を見るも雫は見えない。厨房だろうかと思うがどうも違うとようやくサンジを振り返れば、 煙草をくわえて頬杖をついたサンジは、無表情のまま泣いていて、その雫がテーブルを軽くノックしている音だった。 「おい…」 驚いて言葉をなくし、伸ばしかけた指は躊躇して途中で止まってしまった。 以前からすれば考えられないことだが、サンジはとにかく涙脆い。 もちろんそれはゾロの前でだけなのだが、それでもおよそ結びつかないサンジと涙に、ゾロは何度見てもうろたえてし まうのだった。 「今度の斥候、お前がルフィ辺りに頼んだんだろう」 ゾロはますます言葉をなくした。すわ誰がばらしたと背中が総毛だったが、知っているのはルフィだけ。 ルフィがそんなことを一々サンジに言うはずもなく、既に覚えているかも怪しいくらいだ。 ではどうしてと驚きに固まったゾロを、ようやくサンジは振り返った。 「どこをどうとっても不自然だろうが。分からねぇ方がおかしい」 口元を吊り上げるのは笑いを失敗した時の表情だ。そしてそれはゾロの大嫌いな表情でもある。 だが今はそれを止めることも厭うこともできない。どうであろうとそれはゾロがそうさせているからだ。 「俺としては単純に喜びたいところなんだけどさ。まあ、繊細な俺としては色々余計なことまで考えちまうんだよ」 泣きながら煙草を吸うのは苦しいのか、ポケットから取り出した灰皿で煙草を消すと、くしゃくしゃに曲がったまだ長い 煙草の先を、爪の短い指で押して伸ばした。 「前の時みたいなことも、ないとも言えねぇし」 指先についた灰は、擦り合わせても細かくこびりついて落ちない。その指をじっと見つめてからサンジはポケットに引 っ込めた。 前のこと、と言われて一瞬ピンと来なかったが、すぐにあの、夏島でのことだと思い至った。 確かにあの時、ゾロは勝手にサンジを連れ出し、酷いことを幾つか言った。別れようと言ったのだ。 「あの時なあ、俺。マジで目の前真っ暗になった。…真っ白だったか?まあいいや。今から思えばいい思い出だが。でも な、いつかまた」 そこで一旦言葉を区切り、ずず、と鼻を啜ってようやく止まった涙で湿った吐息を吐いた。 「いつかまた、同じようなセリフ聞く日が来るかもなあ、とか。思ったり、な」 あんまり状況が似てたからさあ、と明朗に自嘲を漏らしたサンジの声に、ゾロは顔を顰めて聞き入っていた。 明け透けでいろと迫るのに、サンジにとってゾロこそが秘密主義だということか。 ここまで真っ正直に突きつけられては認めるしかない。 だがそれは秘密主義というより臆病さの現れであると、認めたくない理性に反して本心はその通りだった。 以前の時も、そして今も、面倒だと託けて話して聞かせて否定されてはと内心では恐れているのだ。 この俺が! ロロノア・ゾロともあろう男が! だが実際、どんなに剣を振るっても、どんなにその名が世界に知れても、結局サンジの前ではただの一人の男でしか ない。 それどころか今まで振舞ってきたどんな無頼もサンジの前では力を失う。 『夜、寝る前に、思い浮かべる顔はあるか?』 ミホークの問いかけに、その時ゾロは、ある、と応えた。 脳裏には明瞭なサンジの顔が浮かんでいた。 その時から己の剣に重みを与え、虚無を払うことのできるのは、ただ一人と分かっていたのに。 「サンジ」 シャツの袖で顔を拭ったサンジが振り返る。赤くなった目が困ったように瞬いた。 その米神に指先でそっと触れ、撫でるように手の平で頬を包み、親指でまだ湿る頬を拭うとサンジは重く息を吐いて 目を閉じた。 「頼むから、切る時は一思いにやってくれ。そうじゃねぇと、俺はいつまでもお前につきまとう」 まるで覚悟を決めた物言い、腹立たしさが滲んでも、それは全て自分の責だと思えば言葉もない。 言葉を選ぶ暇もなく、ゾロは緩く開いた唇に触れるだけのくちづけをした。 開かれたサンジの目は、涙の余韻できらきらとランプを弾く。 まるで灯火のようなそれに魅かれてもう一度、今度は目を開いたままくちづけた。 「お前に合わせたいヤツがいる」 間近に感じるサンジの呼吸が酷く乱れた。 感情を押し殺すように一度だけ体が震え、体の横に投げ出された手に力が込められるのがちらりと目の端に映り、違 う、そうじゃないとゾロはその手を上からそっと包んだ。 「お前を、紹介したいんだ」 ああ、これでは順番が逆だと思うのに、言葉はいつだってままならない。 そうやって段々と言葉にすることを諦め、いつしか他人には無口と言われるようになった。 それに慣れてしまうのは簡単で楽だったが、それは随分ずるい甘えだった。 「ああ、だから…。俺の生まれた村なんだよ」 ゆっくりと、サンジの目が大きく見開かれる。それ以上開くと零れてしまうのではないかと、心配になったところでようや く止まった。 そのまま固まってしまったそれに、ゾロは言葉を探って唇を舐めた。 「…俺を、紹介するのか?誰に…なんて?」 堪えきれない様子でサンジはゾロの手を掴んだ。気のせいでなければ震えている。 まるで小動物だと思う間もなくサンジはゾロの唇を舐めた。 その促すような甘えた仕草は、本来のサンジを取り戻したかのようでほっとした。 「俺の…俺の…なんて言えばいいんだ?」 そこまで考えていなかったゾロは、本気で困って質問に質問で答えた。 だがサンジは顎を引いて目元を緩め、誰の前でも見せない、ゾロだけを甘やかす表情で許している。 だからといってそこで甘えてしまえば何も変わらない。首を巡らししばし考える。 脳裏には極一般的な単語から、あまり使わぬ古語まで出たが、どれをとっても今一だ。 どうしたものかと思案に暮れるゾロに、サンジはぷ、と吹き出した。 「俺はなんでもいいよ。お前がそんな覚悟してくれただけで十分だ。仲間だとか、そんなんで」 「それじゃあルフィを連れて行くのと変わんねぇ」 あやすようなサンジにゾロはむっとして顔を顰めた。それでは船長であるルフィが優先されてしまう。 確かに船長は海賊船の第一義だが、ゾロという個人においての第一義はサンジだ。それを伝えなければ意味がな い。 それをたどたどしくも懸命に話すと、サンジは言葉の一つ一つを飲み込む度に、ほう、と甘い吐息をついた。 「すごいね。お前にそこまで言わせる俺って」 あははと笑う顔は、本当に嬉しそうだった。自惚れるなと頭を叩くと、お前が甘やかすからだと切り返される。 随分とらしい様子にほっとし、嬉しそうなサンジを見れば自分も嬉しいゾロは、そこは笑って否定しなかった。そのまま 互いの肩に触れたり、顔を撫でたりくちづけたりと忙しく、このまま部屋に戻るのも面倒だと思い始めた頃、突然サンジ が大声を上げた。 「あ、そうだ!」 椅子を蹴立てて立ち上がる。勢い後ろに倒れた椅子が大げさなほど音を響かせ、ゾロはびくりと尻が浮いた。 「な、なんだ!」 「土産!なんか土産持っていかねぇと!」 驚いて目をぱちくりさせるゾロに言い置くと、脇目も振らず厨房に取って返す。 完全に置いてきぼりを食らったゾロは、あっけにとられてその後姿をポカンと見た。 「土産って…いらねぇぞ。そんなもん。荷物になるだけだし」 「何言ってんだ!そんな失礼なことできねぇだろ。ああ、畜生。補給前でろくなもんがねぇ。菓子…焼き菓子?いや、生 菓子の方がいいのか…それともなんか特産品…この船の特産品なんてねぇし…」 ぶつぶつと早くも自分の世界にまたもや閉じこもりかけたサンジを、ゾロは今度こそ厨房に踏み込み、耳を引っ張っ て遮った。 「いてぇ!何すんだよ、俺は忙しいんだ!」 作業台の上には既にゾロには分からない物体が幾つが用意されていた。これだから先に教えたくなかったのだ。 「何もいらないって言ってるだろう。向こうもそんなの期待してねぇし」 「そうは言っても、初めてなんだから俺の作ったもんでも…」 「そんなに言うなら、向こうで作りゃいいだろう」 「え、でも」 「いいから、そういうことにしとけ」 今度は腕を掴んで厨房から引っ張り出す。そのままラウンジを抜けようとするゾロに、サンジは分かったからと慌てて 食材を仕舞いに戻った。 それを戸口できっちり見張りながら、それでも微笑ましいゾロである。 サンジのそういった健全さは、あのレストランのオーナーのお陰なのだろう。 育ての親譲りの真っ直ぐな気性はいつ見ても好ましく、可愛いものだとこっそり思った。 「なあ、やっぱり菓子折りくらい…」 「必要ねぇ」 お前がいれば、とまでは言わないゾロだがそこら辺は上手に察したらしく、サンジはそれきり黙ってゾロの後ろについ てきた。 そのまま部屋へ戻り扉を閉めると、途端に後ろから抱きすくめられる。後ろから引っ張られてたたらを踏むと、そのま ま腰を引き寄せられた。 「おい」 「ちょっとだけ」 後ろから首筋に顔を埋めたサンジはそれ以上動くこともなくじっとしている。 あまり騒いでもワザとらしいかと同じようにじっとしていると、肩の辺りが暖かく湿ってくるのが分かった。 それにため息を漏らし、強引に体を捻ると向かい合って手を伸ばし、腕を広げて抱きしめた。 「お前は本当によく泣くなあ…」 「うるせぇ。男なら黙って見過ごせよ」 「見過ごせねぇな」 頭を抱くと鎖骨にサンジの吐息が熱くあたった。すり寄せた頭は汗で少し湿っている。 子供のように暖かいサンジの体は腕の中でふんわりと湯たんぽのようにゾロの胸を暖めた。 「お前が泣いてるのは見過ごせねぇ」 灯りの乏しい室内では、サンジがどんな顔をしているのか分からない。 もちろんサンジにもゾロがどんな顔をしているのか分からないはずだったが、その時ゾロがどんなにか優しい顔をして いたか知ったら、見逃したことを地団駄を踏んで悔しがったに違いない。 それでもゾロの声に滲み出た愛しげな様子だけで、サンジは十分に満たされた。 「嬉しいよ、すごく」 ありがとう、とサンジは吐息のように、誰にも聞かれない秘密のように囁いた。 「里帰り!?ゾロってば里帰りだったの!?なんで教えてくれなの!」 バカ!とルフィの頭を渾身の一撃で張り倒し、ナミは部屋の真ん中でじたばたと悔しがった。ひっくり返って半ば壁に めり込んだルフィの横で、ウソップがガタガタと震えている。ちなみに遠巻きに眺めるギャラリーはもっと震えている。 「あー、もう!私も見たかったのに!」 悔しい悔しいと大騒ぎするナミに、ようやく起き上がったルフィがその肩をぽんと叩いて慰めた。当然だが殴られたダ メージは一寸もない。 「そういうな。誰にも邪魔されず、親御さんに自らの伴侶を一番に紹介したいっていうゾロの男のロマンを酌んでやれ よ」 「…あんた、誰」 「って、サンジが言ってたぞ」 ニシシ、と笑ったルフィにナミはうんざりとした顔でシッシと手を振った。 「もう!その紹介する瞬間が見たかったのに…!あー悔しい!後で絶対実演させてやるから!」 そのままプリプリ怒って部屋を出て行ったナミの後姿に、ウソップはようやくほっとして肩を落とした。 「お前さあ、あんまりナミを刺激すんなよ」 とばっちりは全部こっちだとぼやくウソップに、ルフィは歯を見せて大きく笑うと、突然がばっとウソップの肩を抱いた。 「な、なんだよ」 「ん〜、別に」 そのまま手元のグラスを引き寄せ、酒を飲み始めたルフィにウソップはため息をついた。最近のルフィは少々酒癖が 悪いのだ。 「…ナミは邪魔したかったのかな」 「は?」 「あ!コラァ!!新しい料理の一口目は俺に食わせろ!!」 厨房から運び込まれた料理へ我先にと殺到した船員たちにめがけ、ルフィは言葉通り弾丸の如く吹っ飛んでいった。 いつまで経っても意地汚い船長に呆れ、そのせいでルフィの言葉はウソップの頭の隅に押しやられてしまった。 「あ〜あ、今頃アイツら楽しくやってんのかな…」 宴会場の真ん中で、意地汚い船長と飢えた船員たちの騒ぎを酒の肴に、一人徳利を傾けつつ、次はきっとあの海上 レストランに針路を取ることになるだろうと予感しつつ、サンジとゾロの実演を楽しみにしているウソップだった。 end top 初出 2005/10/09 再録 2014/02/15 |