怪音(かいおん)

怪奇現象において頻繁に確認される、説明のつかない不可解な音。実態は千差万別で、物音、明確な話し声の場合もあるかと思えば、古戦場跡にて半世紀近くも前に実際に起きた戦場でのやりとりが、全て音のみで鮮明に再現されたという場合もある。中にはある種の暗示や予言めいたものまで存在し、その質や長さ、鮮明さもまた、多種多様に存在する。いわゆるラップ音は、この現象の代表的なものである。

火炎魔人(かえんまじん)

燃えやすい人間、あるいは周囲に必ず火を出現させる、いわば火の触媒のような人間がこの世には存在する。このような類の特異な人間の事を、火炎魔人(ファイア・ジーニアス)と呼ぶ。火炎魔人が起こす発火は、その原因が目に見えない「火種」であり、魔術がそれを開花させるというものである。だが、火炎魔人の正体はサイキックである。その特性が炎を発生させるものであるというだけで、同時にその他のサイキック能力、例えば遠隔透視能力なども同時に持ち合わせている場合が多い。また、古い記録では、サイキックであるとも言い難いものも当然多く含まれている。火炎魔人の中には、自らが燃え尽きるという怪死を遂げた者もいる

(かがみ)

古来より、鏡には特別な力があると信じられ、特に、魔除けの力を持つとする伝承は世界各地に見られる。それと同時に、魂や死と結び付けられる場合も多い。魔術の本質的概念の中に「混じり気のない純粋無垢なもの」というものがあり(故に魔除けの力を持つ)、それと同時に鏡や水晶球とは、魂を映すという根源的なイメージを象徴するものなのだ

餓鬼(がき)

飢えた亡霊、亡者を指す。また、仏教における六道のひとつ「餓鬼道」やその住人を指す。腹だけが膨れ、あとは骨と皮という姿で描かれる。餓鬼道とは、生前の罪によって死者が落ちる場所のひとつであり、常に満たされぬ欲望に身も心も焼かれ、飢えと乾きに苦しめられる報われない世界である。そして、そこに落ちた亡者を餓鬼と呼ぶのである。仏典を漢訳した際の中国語が元であり、子供をいやしめて呼ぶ「ガキ」もここから来ている。童子も鬼の別称とされており、どうやら子供は異界につながりやすい者とされたようである。

隔世の川(かくせのかわ)

この世とあの世を川が隔てているという信仰は、日本だけではない。ケルト神話やギリシア神話の忘却の川など、世界各地に川が黄泉と現世を隔てるものとしての信仰がある。向こう岸に渡ってしまったら、もう生き返ることはできないのだ。また、川のほとりに渡し守がおり、料金を払うことで向こう岸に渡れるという伝承も多い。その料金は絶対であり、多くも少なくもならない。日本では多くは六文銭であり、ギリシアでは銅貨一枚である。渡し守に金を払うという信仰がある地方では、遺体の舌の下などに硬貨などを挟んでおく風習がある

形代(かたしろ)

呪術などで何かの代わりとして使われる物品を総称して形代と呼び、代表的なものとして、人形(ひとがた)、依り代(よりしろ)などが存在する。中でも人形は世界各地で用いられ、人の姿を木や陶器、紙などに写した呪具である。それに触れさせ、穢れを移して川に流したり、あるいは呪う相手に見立てて呪詛の道具に使われたりもする。代表的なものとしては蝋人形や藁人形といったところだろう

金縛り(かなしばり)

意識はあり、外界を知覚しているのに、身体はまるで自由がきかなくなる現象のこと。心霊的なものを指すように思われがちだが、目覚めた時に意識の回路はつながっているが、肉体は眠っている状態にあるような時‥‥肉体だけが極度に疲労しているときに起こりやすい、生理学的な現象の方が圧倒的に多いのである。ただ、そうした状態は精神が肉体に縛られていない分、異世界とのコンタクトを取りやすいとも考えられるのだが。また、生理学的な金縛りとは別に、行者や術者が「気合い」「気当て」と呼ばれるものを用いて仕掛けるものも、金縛りという。これに似るが、催眠術などの暗示による金縛りもある

(かみ)

髪は様々な力を持つとされ、その象徴は、生命力、力、活力であり、頭から生じる生命物質、思考力、男性的活力を表す。髪に霊的、あるいは魔術的な意味合いが込められることのひとつの要因として考えられるのは、埋葬された後にも髪だけは朽ちることなく残される場合が多く、時には死後も成長を続けることなどであろう。そのような髪の毛の特性に、古来から人々は肉体の中でも特出した霊力が宿ると見なしたのだ。俗信に、髪の毛が長い方が霊的な信号をキャッチしやすいと考えるものもある。

神棚封じ(かみだなふうじ)

家族の誰かが死亡した場合「忌み」を嫌う神棚に、白い紙を貼って封印すること。この白紙は忌明けまで貼っておき、忌明けとともに取り除く。この間、神棚は閉ざされているため、礼拝なども行われない。仏教では神道のように死者を穢れたものと見なすことはないので、仏壇を閉ざすことは多くは行われない。それでも浄土真宗や日蓮正宗以外では、閉めている場合も多いようだ。神道では死や出産などを穢れとするために行われる措置である

髪と魂(かみとたましい)

髪は外に現れた魂、あるいは、自分の魂が宿る場所であるとされる。身体から離れても髪と交感的なつながりは残るとされ、特に頭髪と魂の座の頭とのつながりは深く髪の毛とは十分に注意して扱わなければ、黒魔術や呪詛に悪用される事があると考えられて来た。ゆえに髪は人身御供の代わりとなるともされた。また、髪の毛を伸ばすと霊力が増すとする考えも、古くからある共通のイメージである

返しの風(かやしのかぜ)

いわゆる「人を呪わば穴二つ」を、呪術世界の言い方にしたものである。呪詛を行った者には必ずその報いが返るとし、返って来る呪いを「返しの風」と呼んだのだ。呪いについての観念の中には、呪いをかわす能力も、やられる傾向も、その人が受け継いだ業(カルマ)によって決まるものだとする考えもある。つまり、呪いを掛けた人間と掛けられた人間の前世の因縁、相関関係によってそれらが決まるというのだ。生まれ変わり(輪廻転生)やカルマを信じる人々は、他人に呪いを掛けると現世あるいは、来世に必ず自分に跳ね返って来るとし、他人に呪いを掛けることを強く戒めているのだ。ただし、魔術にはそうした返しの風を防ぐ術があり、これを習得しなくては真の術師とはいえないだろう

カルマ(かるま)

輪廻転生をする際に来世の環境を決定する為のメカニズム。カルマ(業)とは、未来に報いを引きおこす善悪の行いを指す仏教用語である。「因果応報」という言葉もカルマの概念を元にして生まれた言葉である。「行い」を意味するサンスクリット語が語源だが、仏教が興るよりも2〜300年前にインドで発生した概念であると考えられている。

鬼門(きもん)

東北の方角を指す。鬼門は不吉とされ、鬼門に便所や出入り口を設けることは避けられる。これは鬼門の方角から鬼が侵入するからだとされ、鬼は災厄をもたらすと怖れられたからである。このような、考え方は主に風水から来る家相のみを特化させた観念から来るものだ。陰陽道においては、北の陰(マイナスエネルギー)から東の陽(プラスエネルギー)に転ずる急所とされ、警戒すべき方位であるという。太陽が今まさに昇らんとする陰の極みでありながら、同時に陽の発生を表す鬼門とは、「終わり」と「始まり」の連結の義が生ずる方位であり、それはつまり、万物の発生を司る場所となるのだ。(→丑寅)

朽廃(きゅうはい)

建物などが腐って役に立たなくなること。だが、心霊的なつながりも見逃せない。霊に取り憑かれてしまった家などは、壁紙などの傷みが通常の速度よりも明らかに速く、顕著にあらわれることが多い。物質化現象のように、霊体が現実世界で視覚的実体を伴おうとする場合など特にそうなのだが、霊体は周囲の物品からエネルギーを奪うとされ、ゆえに心霊現象の頻繁に起こる場所、幽霊屋敷と呼ばれる家屋や、交霊に使われる特定の部屋では、僅かな期間に急速に物品が古び、朽ち易いのだ。

共感魔術(きょうかんまじゅつ)

似たものを結びつける力、イコールとする力を利用した魔術。魔力の本質的な姿のひとつであるとも言えるだろう。この現象のメカニズムとは、オカルトから幾分か離れ、近年においてはシンクロニシティーという新たな分野を生み出してもいる。蝋人形を使った呪詛の原理も、この共感魔術を利用したものである。

清め(きよめ)

清めとは、人、物、場などについた穢れ(けがれ)を祓い、浄化することを指している。穢れには多くの種類が存在するが、中でも血による穢れ、死による穢れは最も忌み嫌われ、それらを祓い清めるために多くの儀式、手法が編み出され、今日にまで至っている。清めに最も好んで用いられるのは「塩」と「水」である。塩は殺菌力があり、腐敗を抑えることなどから、穢れ、邪気を祓う力があると見なされたのは自然なことだ。清浄な水によって穢れを流し去るという発想も、ごく自然に生まれたものであったろう。炎による清めもあり、これもまた滅菌には最も適している。荼毘に付すのも一種の浄化なのである

キルリアン写真(きるりあんしゃしん)

キルリアン写真とは、基本的には、ふたつの電極の間に所定の物品を挟み、高周波放電を起こさせることによって得られる写真の事である。その写真には、電極の間にあった物品が不思議なコロナやオーラに包まれた場面が写る。カザフ共和国アルマアタのセミヨン・キルリアン夫妻によって発見されたものということでこの名がついた。キルリアン写真が写し出される現象自体はひとつも疑わしいものではないが、そのはっきりとした解釈は、今日に至るまでなされていない。

九字(くじ)

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」(陣の代わり陳が用いられることもある)の九字の真言を唱えながら、それぞれの字に対応した九つの印を両手で結ぶ。早九字は、右手で人差し指と中指を立てて合わせた刀印というもので、縦に四回、横に五回、さっと空を切る。煩悩や魔障一切の悪魔を、降伏退散させ、災難を除くとされる。さらには怨敵を切り殺すとさえもいわれている。九字の「九」という数は、陽の最高の満ち数とされ、その為に九の数が陰を降伏させうると考えられたのだ。

朽廃(くはい)

建物などが腐って役に立たなくなること。だが、心霊的なつながりも見逃せない。霊に取り憑かれてしまった家などは、壁紙などの傷みが通常の速度よりも明らかに速く、顕著にあらわれることが多い。物質化現象のように、霊体が現実世界で視覚的実体を伴おうとする場合など特にそうなのだが、霊体は周囲の物品からエネルギーを奪うとされ、ゆえに心霊現象の頻繁に起こる場所、幽霊屋敷と呼ばれる家屋や、交霊に使われる特定の部屋では、僅かな期間に急速に物品が古び、朽ち易いのだ

供養(くよう)

本来は仏教用語。死者の霊を慰め、迷う事なく成仏させる為に、食物や花などを供え、冥福を祈ること。埋葬することそのものを指す場合もある。仏教においては、物や灯明、香華(こうげ)などを供える事を指し、これを財供養という。さらに財供養は、法供養(仏法を守り、それによって衆生を救済すること)と併せ、これらをニ種供養と呼ぶ。そのほかに、三種・四種・六種などの供養の別が定められている。

クリスタル(くりすたる)

クリスタルとは無色透明な石英を指す。結晶の形は六方晶系であり、石英を溶かして固めればガラスとなる。世界各地で産出するポピュラーな鉱物だといえる。ヨーロッパでは水晶とは水が凝固したものだとする俗信があり、英名であるクリスタルもギリシア語の氷、「krystallos」に由来する。その象徴は相対立するもの同士の結合、純粋性、知性、精神などである。水晶が持っているとされているパワーの最たるものとして「浄化作用」がある

クリスタルの浄化作用(くりすたるのじょうかさよう)

水晶は高い浄化作用を持つといわれ、邪気のこもってしまった石のかたわらに、あるいは部屋などに清浄な水晶を置くだけで、その邪気は取り除かれ清められるといわれている。しかし、その無垢なる性質ゆえに不純物、穢れを取り込みやすい。この取り込みやすいという性質が、高い浄化作用と、様々な刷り込みを可能にし、呪術の現場やヒーリングに広く用いられるゆえんであるが、清めを怠ると水晶は良くないパワーの発信元ともなりかねない

グレムリンエフェクト(ぐれむりんえふぇくと)

もっとも時代が下ってから報告されだした怪現象のひとつ。機械の原因不明の誤動作はグレムリンという精霊のいたずらが原因だとされ、それらを総称して「グレムリンエフェクト(G.E.)」という。高圧電線の側など、特定の特殊な環境下においては、グレムリンエフェクトと同時に、霊の目撃、ポルターガイストなどの怪奇現象の報告、そして、ある種のサイキック的現象などの報告が混在する場合もある。何らかの電気的な環境と霊、怪奇現象、超常現象には何らかのつながりがあると見られる。

黒魔術(くろまじゅつ)

邪悪な力を用いて行う魔術。その力は、恐怖や憎悪、欲望、嫉妬といった強い感情によって裏付けられているものだ。それゆえに安直であると同時により強力なパワーを持つ。バリの黒魔術は、6〜7段階目のチャクラをも開き、魔力を行使するという。しかし、その分リスクも高いわけだ。現代の魔術師たちによれば、聖なる力と邪悪なる力のソースとなる存在は合体したという。これによって宇宙意思が誕生し、この宇宙意思に従わず、個人的な望みを叶えようとする魔術こそ黒魔術だという

結界(けっかい)

本来は仏教用語で、一定の区域を神聖な場所と定めることを指す。これによって、修行の妨げになるものを遠ざける目的を持つ。西洋魔術でも、仏教の結界と利用法は共通している。地面に円や図象を描いたり、円形のシートを敷くなどして魔法陣を描くのは、邪悪な霊の干渉を防ぐためだ。また、密教では主に印や真言によって結界を張る。最もインスタントな結界は九字の印を切るものだ。

結界石(けっかいせき)

仏教では、境界線に結界石といったものを配し、結界を強化する。道祖神、地蔵も元は結界石であるといわれている。また、門や門柱も結界を示すものである。こうして一定のエリアを区切り、村などに悪霊などの侵入を防ごうとしていたのだ

高等魔術(こうとうまじゅつ)

精霊や悪魔を召喚したり使役する魔術のこと。その危険と比例し、得られる力も大きいとされる。たとえ、呼び出したのが善い霊であっても、術者を死に至らしめる危険があるのだ。また、目的の召喚霊を特定することが最も難しいとされ、他の霊の少ない、砂漠での召喚が最適ともいわれている。召喚術で最も有名なものといえば『ソロモン王の小さき鍵』であろう。この小冊子には、ソロモン王が使役した72魔神の名のリストと召喚法が簡単にまとめられている。より高度な聖霊の召喚方法の『ソロモン王の大いなる鍵』は失われたということになっている

交霊会(こうれいかい)

死者の心霊と交信するために、霊媒を囲んで開かれる会合。19世紀の英国心霊研究家グループが世界的に注目を集めていた頃、盛んに開催され、多くの成果を得たが、同時に多数のインチキ商売も便乗してブームになり、後にまで尾を引く偏見を作り出す原因となった。近年、ブームを見たチャネリング・セッションも、まったく交霊会と同じものである。

国土結界(こくどけっかい)

真言密教を日本に伝えた空海は、高野山を開くとき、周囲七里を結界で浄化した。こういった広域の結界を国土結界と呼ぶ。彼が開いた四国八十八ヶ所の霊場も、四国全域を魔の手から守る為の壮大な国土結界と考えられている。それだけ空海の郷土愛は強かったということだ。

極楽(ごくらく)

仏教での極楽は、厳密にいうと天国とは異なる。極楽とは極楽浄土のことで、阿弥陀如来が統べる世界である。天国は天界と同じく、“天”たる神々の世界であり、帝釈天ことインドラを中心とした世界だ。ヒンドゥー教ではさらに多くの神々の天国がある。天界の住人は欲情や怒りに身を任せることがあるが、極楽の住人はそのようなレベルから解脱しており、情念に煩わされることはないのである。ただし、元来仏教には極楽の概念はなく、後の時代になってから付け加えられたものである

コックリさん(こっくりさん)

幾らかの非常にシンプルな器具を用い、人間の潜在意識、あるいは潜在意識を通して交信してくる存在から情報を伝える心霊的な技法のひとつ。明治の中期以来、小中学校で周期的に流行してきた歴史を持つ。地域によって些細な差が見られるものの、基本的な約束事は共通している。漢字では狐狗狸と書き、呼び出した霊を暗に狐あるいはその他の動物霊だと想定する場合が多く、そのためか霊が出入りするポイントに与えられる印(しるし)には鳥居のシンボルが見られる。

言霊(ことだま)

言葉に宿る霊。古代の人々は言葉に精霊が宿ると考え、言葉には様々なことを実現する力があると考えた。ゆえに、すべての言葉は口に出して言えば実現すると信じられていたのである。現代では、そうした信仰の片鱗を見る事ができるに過ぎないが、言葉にその言葉としての機能以上のエネルギーが備わっていることは、呪術的な意味を離れても広く認められている。簡単な例では、悪意ある言葉は人を傷つけ、善意のこもった言葉は人を幸せにするというわけだ

護符(ごふ)

力のある表象を描いた紙や札の総称。形や材質も様々である。洋の東西を問わず、ほとんどの魔術や呪術で使われる。何から護ってもらうかは、用途によって異なり、幽霊、邪悪な精霊、妖術、邪眼、病気、不運、災厄、災難などである。広義では御守りや魔除けも護符に含まれる。身につける人が信じていれば、その効果を発揮し、信じていない人には何の効果もあらわさないのである。信じる力が護符を触媒にして「護る」力を引き出すのである。

護符の効力(ごふのこうりょく)

護符の効力には、西洋では基本的に期限がないとされるが、東洋では一年間というものが多い。何か願を掛けていた場合は、その願が叶った時が効力の期限でもある。そうした護符は、感謝の念を込めて焼くなどし、供養することが適切だ。また、古い護符などもそのまま捨てたりせずに、きちんと焼くなどして処理した方が良い。効果の切れた護符を放っておいたりすると悪い気が中に入ると言われる。

護法童子(ごほうどうし)

主に密教系の修験道者が使役した、童子の姿をした使い魔。役の小角の前鬼・後鬼などが有名どころであろう。空海像にも常に付き添う二童子があり、古くは聖徳太子と共に描かれている二児も、護法であるとされる。広い意味では、神仏の眷族である天狐・竜王・霊鳥なども含むが、一般的には童子の姿をしたものをさす場合が多いようだ。相手に憑依させる、自分の身の回りの給仕をさせる等の性質は式神と共通である。後世においては変換可能な存在となったようだが、古代においては式神の基本的属性であった呪殺のための神霊という性格、これが護法には希薄であった

(こん)

魂(こん)とは、人間や、広義には動植物などに宿る、生命力を与えるものを指して用いる。「魂」の概念は、それが異なった文脈の中で異なった方法で用いられるので、定義が難しい。本質的には、それは、人の肉体とは違うものとしての、個人の生命力に関連する。肉体、魂、霊という三者の区別が時々行われ、この場合は、「霊」が生命力を表すのに対し、「魂」は個人の中心たる本質を示す。魂魄と言った時も同じである。エジプトでいう、バーとカーと共通の概念である。古代仏教を除く全ての宗教的伝統の中で、魂は不滅であるとされている。魄はアストラル体以下の霊体、魂はマナス体以上の霊体であるといえよう。

金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)

金剛界といった場合、密教に於いて大日如来を智徳の面から言い表したものであり、堅固な智徳で煩悩を打ち破る教えを意味する。金剛界曼荼羅とは、空海の『金剛頂教』に基づき、金剛界を図示したものである。また、金剛界曼荼羅は、胎蔵界曼荼羅と対になるものであるが、双方を合わせ、両界曼荼羅と呼ぶ。金剛界曼荼羅の構成は、成身会(じょうじんえ)或いは、羯磨会(かつまえ)を中心に、三昧耶会(さんまやえ)などの九会からなっており、九会(くえ)曼荼羅とも呼ばれる。金剛界曼荼羅とは、九つの曼荼羅を一図に集合したものである事を意味している