隊長の屋外な日々

 

11月30日 自転車散歩ツーリング


相変わらずヤラれてます。自転車散歩。

昨日は、撮り残した写真が至急必要だと言われ、一日で5コース分を回らねばならない事に。
寒空の下、朝7時から家を出て現地に向かい、単車を乗り付けては、ヘルメット(フルフェイス)も取らずに撮影ポイントまでダッシュ。
撮影が終わるとまた走って単車まで戻って、次のポイントへ。
朝も昼も食えずに、日が暮れるまで。
『いったいこれは何の競技ですか??』ってな感じだった。(笑)
ホントは、同行者を募って、じっくり人物入りの写真も合わせて撮ろうと思っていたのだが、そうもいかず・・・。

で、今日は、前々から予定していた、その同行者撮影ツーリングである。
一緒に行ってくれたのは、グラフィックデザイナー&イラストレータのさえちゃん。
彼女は、ハードな自転車乗りではないのだが、BD-1とダホンの小径車を所有しており、被写体的にも問題は無いだろう・・・って事でお願いしたしだい。
普段の足はダホンみたいなので、たぶん今日はそれで来るはず。
前日に、服装などの問い合わせがあったが、まあ、どうせバイクウエアやヘルメットなんて持ってないだろうし、この本のターゲット的にもそんな気にしなくても大丈夫だろうという事で、本日服部緑地公園で待ち合わせである。

だが、登場したダホンのボードウオークは、見るも哀れな事になっていた。(笑)
まず、前カゴが取りつけてあり、リアには泥よけ。
いやま、コレはまだヨシとしよう。
しかし、ハンドルがフラットバーから、まさにママチャリのアップハンドルに変更されているではないか。(ああ、写真撮っときゃよかった(笑))
事情を聞くと、どうやら、折り畳みシステムのステムというかハンドルというかハンドルポストというか・・・が折れてしまい、適当な自転車屋で直してもらったら「こうなった」との事。
まったくのママチャリハンドル&ステムが取りつけてあるので、当然折り畳み機能は無し。
いや、だが問題はそこではなく、この中途半端なアップハンドルだ。
まるでアメリカンバイクに憧れている中学生が原チャリをチョッパーハンドルに交換してしまったかのような、このもの悲しい感じ・・・。

『BD-1』って生きてるよね?

『ええ?ダメ??』

『うん。ダメ(笑)』

『まさか、自転車にダメ出しされるとは思わんかったわ。』

『いや、ホンマに。(苦笑)』

結局、曽根の彼女に家まで戻り、バイクを交換。
再度仕切り直しで、緑地公園へ。

しばらく放置していたBD-1なので、色々と出てくる不具合を調整したりしながら、 各ポイントで撮影しつつ、時速15〜20キロくらいでまったり走る。
箕面から西国街道を走って、池田方面へ。
国道176号線沿いの生パスタ屋で昼食。
池田から猪名川沿いを下って伊丹空港へ。
その後も順調に撮影&ライド終了〜。
最初は「走れるかなぁ?」と不安がっていた彼女だが、およそ30キロ弱のコースを、無事完走した。

いやいや、お疲れさま&ありがとうございました〜。
せっかくいい自転車持ってるんだから、今後ももっと乗りましょう〜。
あ、でも、ダホンは、オリジナルの仕様に戻すことをお勧めしますよ。(笑)

 

 

 

11月28日 皇居ラン


この週末、実は東京にいた。
親戚の結婚式。
礼服に白いネクタイでコスプレ。(笑)

で、せっかくの東京なので、とれとれ関東の方々なんかに連絡をとってどっかに遊びに連れてってもらうか〜とも思ったが、よく考えたら、土日に地元にとどまって暇そうにしているヤツなんているワケがない。
丸一日何処かに遊びに行く時間も取りづらかったし、荷物も多く遊びのギアを持ち込むのも難しそうだったので、今回はあえて誰とも連絡を取らずに行った。
が、まあ、何もしないのももったいないので、時間を見つけて今(?)話題の皇居の外周を走りに行くことに。

地下鉄で大手町駅へ。
地上に出ると、大手門。
その手前の外周を、ランナーがゾロゾロ走っていた。
どうやら時計と反対回りで走るのがスタンダードのようだ。

上着を脱いでザックにしまい、走りだす。
コースは他のランナーにならって走れば問題無さそうだが、まったく前情報も無く来たので、どれくらいの距離があるのかもわからない。
とりあえず、1周。
けっこう長いぞ??
最近、取材や調査ばかりでほとんど走っていなかったので、身体はけっこう鈍っている感じだ。
写真を撮りながらチンタラ走って、30分弱。
2周目を終えたところで57分ほどだった。
う〜ん、そんなに飛ばしてなくてこのタイム、1周5キロ無いかも。
僕はいつも『走りだしたら最低10キロは走る』事をモットーにしているので、これではちょっと足りないかもしれない。
なので、もう1周追加。
結局3周1時間25分ほど。(後で調べたら、皇居の外周は5キロ弱(4.9777キロ?)との事でした。)

走り終え、せっかくなので皇居の中を見物する。
昔、江戸城天守閣があった『天守台』へ。
観光看板には『三代将軍家光の時に最も大きな天守閣が建造されたが、その19年後に全焼し、その後は再建されなかった。』とあった。

あれ?、じゃあ、暴れん坊将軍(8代将軍徳川吉宗)に度々登場する天守閣はいったい??

確か、テレビ映像で姫路城が使われているというのは知っていたが、まさか、実際の吉宗の時代にはすでに天守閣が無かったとは知らなかったぞ。
まあ、いいんですが。(笑)

 

さて、皇居ランデビューした感想ですが。
コースが皇居の外周しか取れないので、結局走っているのは、普通の歩道。
歩行者も多く、メリットといえば信号が無いくらいかなぁ。
大きな道路脇なので、けっこう排気ガスもキツイっす。
う〜ん、走るなら大阪城の方がいいかも〜。

 

 

11月23日 今日もオブシ調査


雨も上がって、今日もオブシ調査。
二つ玉低気圧が日本海に抜け、気圧配置は一気に冬型。
福井エリアはたぶん雨か時雨だ。
なので、行ったのは比良山系。
3日目で使おうと思っているエリアである。
この辺まで来ると、まだなんとか雨には遭わずにすむだろう・・・と。

当初5名の予定だったが、シブヤ君が寝過ごしで来れず(笑)結局メンツは、ヤン君、ちえちゃん、ヨーコちゃん、僕の4名となった。

時折、霧雨が飛ばされてくる天気の中、カッパを「あえて置いてきた」というヨーコちゃんにツッコミを入れつつ、駐車場に車を停め、いきなり担ぎ上げ。
標高差750メートル、予想登頂時間2時間半?
ラリーでこのルートで登ることは想定していないが、手っ取り早く尾根に上がりたいのでこういう手段になった。
荒れ模様であるが、森にはいると風もなく時折日も射して、けっこう温かい。
先も長いので、のんびり登る。

メジャーな登山道なので、ろくに地図も見ずに適当に登っていたら、途中で予定のルートから外れている事が発覚。
この先は、登山ガイドマップで点線路(悪路)になっていたのだが、しかしまあ問題なく登れるだろう・・・マップの行程時間もこっちの方が短いし〜って事で、そのまま戻らずに先に進む。
だが、思えばこの時点で、すでに今日が暗示されていたのかもしれない。(笑)

しばらく進むとちょっと異常なほどの急登。
2007年東海オブシの霊仙山クラスだな〜(笑)と思いながら登っていたのだが、途中から今まであった登山道の目印(ペンキで岩に○が書いてあった)が無くなっていることに気が付く。
あらためて地図を見直すと、途中の分岐を見落とし、一本北の谷に入っているらしい。
引き返えそうと思ったが、急で崩れやすく登るのも難儀した所を、バイクで担いで下りるのは、女性陣には厳しそうだ。
ヤン君の提案で、そのままトラバースして谷を乗り換える事を検討。
斜面は、所々1メートル四方くらいの白い石がゴロゴロと積み重なった感じ。
見たところ幸い藪井は薄く、行けそうではある。
女性陣も『とれとれ的にはここは道なんじゃないの?』と、トラバースに意欲的だ。
正規路まで距離にして200メートルほどか。
じゃま、行きますか〜と、移動を始めて早々、1メートル四方の板状の石が動いて、踏み外すように片足が穴に足下まで埋まる。
軽く負傷。
『ヤバイよ〜。この辺の石、全然安定してないよ〜。』
慎重に通過。
岩石帯を通過した後、ヨーコちゃんが斜面を踏み外し10メートルほどずり落ちるというアクシデント(幸い無傷)はあったモノの、なんとかトラバースには成功し、登山道に復帰した。

しかし、正規ルートに戻ったといっても、そんなに道が良いわけではない。
何度かルートをロストしそうになりながら、 最後は谷を直登する感じで、なんとか尾根へ。

しかし、ここで我々にさらなる試練が降りかかる(笑)

『爆風です!!』

担いだ自転車ごと、マジで飛ばされかける。
慌てて耐風姿勢。
風下側にはブッシュが茂っており、もし飛ばされても滑落の危険は無さそうだが、強風が吹き荒れている間は、歩くことすらできない。

地面に這いつくばり、風がおさまった隙を狙って小走りに高度を稼ぐ。
それを繰り返し、なんとか主稜線にたどり着き、窪地に身を隠す。
なんとか全員登頂。
僕でもこんなだから、体の軽い女性陣はもっと恐かったに違いない。
冬型なんで稜線は風が強いだろうなぁ・・・とは思っていたが、 しかし、ココまでとは!!
比良山侮り難し・・・。

窪地で協議。
というか、無理。(笑)
という事で、調査は諦め、下山する事にする。
幸い、ここからすぐに下れるメジャー登山道が延びていたので、それを素直に下山。
乗れないだろうなぁ〜と思ったが、無理矢理乗るとけっこう面白い所も。
少し下りただけで、稜線の風がウソのように穏やかだ。
途中の日だまりで、まったり昼食。

後半は谷道になり、ガレガレでまったく乗れず。
メインの谷に下りきったところで、また少し乗れた。

紅葉が、なかなか。
すぐに下りてきてしまったので、日はまだ高い。
『ダンダ坊遺跡』という看板を見つけたので、それを見学に行く。
なにやら、平安時代、延暦寺と共に織田信長に破壊された寺跡らしい。

車に戻り、温泉へ。
のんびり浸かって帰路に就いた。

いやぁ〜、皆さんお疲れさまでした。
そして無事生還、おめでとうございます!!(笑)
これに懲りずに(いやホンマに)またよろしくお願いします。

しかし、3時間担ぎ上げたのに、なにもできずとは・・・。
ま、面白かったけど。(笑)

 

 

 

11月21日 大阪オリエンテーリングクラブ35周年記念大会


最近は景気も悪いし、土日はなるだけオブシの調査も入れとかねば・・・という事で、ここんところエントリーする大会を決めるのも色々と悩ましい。
だがこの秋、僕的に「コレは行っとかねばならんでしょ!」な大会がコレだった。
『大阪オリエンテーリングクラブ35周年記念大会』
日本学生選手権ロングディスタンス競技部門と共催大会である。
要するにインカレと共催。
ロングディスタンスなので、距離も長く、クラスによってはたぶん難易度も高くて楽しめるはずだ。
オリエンテーリングの大会としては、エントリー色々込みで4300円とちょっと高かったが、迷わず『M21A』(21歳以上ロング。僕が出られる一番長く難しいであろうクラス。)にエントリー。
トレーニングはほとんど出来ていなかったが、楽しみにしつつ当日を迎えた。

今日の道連れは、タケノ、谷やん、松もっちゃん。
朝7時に堀江でタケノを拾って、天王寺で残りの二人をピックアップ。
実はこの3人は、今日はMTB持参。
というのも、 皆さん僕と違って年相応&実力相応のクラスにエントリーしており、12時スタートの僕より距離が短く、スタートも1時間以上早いので、たぶん先に帰ってきて時間を持てあますだろう・・・という算段らしい。
ま、確かに。

現地会場に着き、受け付け。
さすがにインカレと共催だけあって、会場はいつもとは違って華やかだ。
気温は暑いくらい。
10時早々のスタートの松もっちゃんを送り出し、続いて残りの二人を見送って、お湯を湧かして、早めの昼食で、カップ麺&おにぎり。
そろそろな時間になったので、徒歩で25分離れたスタート場所へと向かう。

スタート地点は植林の杉林の中。
周りは、各大学のトリム(オリエンテーリングウエア)を着た選手だらけ。
スタート時には『○○さんガンバ!!』等と声援が飛び、いつもとはだいぶ違う雰囲気だ。
一分おきに、コース違いの数名がスタートする感じ。

僕は、12時04分スタート。
とりあえず、わしわしと斜面を上がる。
で、最初のポイントの方向を確かめ、そちらに登っていこうとした時だった。

『そっちは入るな〜!!』

オバサンの声が響いた。
その場に目の届く範囲で、3〜4名ほどいただろうか。
事態が掴めず、しかし競技はスタートしているので、とりあえず1ポイントへ行かねば・・・とすると

『入るなゆうてるやろ!こら〜!!』

と、オバサンが追いかけてくる。

どうしようもないので、とりあえず全員停止。
しかし下からは次々にスタートした選手が上がってきて、事態が理解できていない選手は、当然先へ行こうとする。
中には、スキを見てなんとか突破できないか試みる選手もいる。
しかし、その度にオバサンにどやしつけられ、さらに火に油な感じだ。
そうこうしているうちに、異常に気が付いたスタッフが、下から上がってきた。

騒いでいたのは、どうやら地主の夫婦(実はダンナもいた)らしかった。
現場のスタッフではラチがあかないので、すぐに大会責任者が呼ばれた。
ほとんどの選手はすぐにスタート地点に戻ったのだが、僕は立ち位置が悪く、下りるタイミングを失い、図らずも地主と主催者側とのやり取りがすっかり聞こえてしまう場所に佇んでいた。

以降、地主と主催者側のやり取りを聞いていて僕が受けた印象を軽くまとめると・・・

最初、今回の大会主催者が開催にあたって、山の使用のお願いに行ったが最初から地主は『ダメだ入るな』と言った。
説得したが無理だったので、そこは立入禁止にすることにしたが、地主は詳しい所有地の場所を教えてくれない。
仕方がないので、自分たちで調べたが十分な資料は集まらなかったので、わかる範囲で立入禁止エリアを設定。
しかし当日、地主が見に来たら、地主の土地の中にポイントが設置されており、その中を選手が走り回っていた。

どうやらこういう事らしい。
途中で、なんとか下りるタイミングを見つけ、スタート地点に戻ったが、この時点でもう話は堂々回りの状態になっており、これ以上の話の進展は望めない状況だった。

間もなく、大会中止の決定。
体育館で説明があるという話しだったので、会場に戻る。
そこでは何事もなかったように、レースの中継や表彰式が行われていた。

タケノと松もっちゃんと合流し、事態を説明。
ほどなくして、大会主催者のおじさん(たぶんさっき現場に交渉に来ていた人)から、事態の説明が始まった。
この場での主催者の言い分はこうだった。

自分たちの調べた立入禁止エリアは間違っていなかった。
恐らく、地主が当日見に行ったら、あまりにも多くの選手が走り回っていたので驚いた。
結果、頭に血が上って、自分の土地でもない所を『ここもウチの土地だ、入るな!』と言い出したのではないか。

なんだか、僕の見聞きした印象とずいぶん違うので、驚いた。
もし実際そうなら『いやいや、ここはあなたの土地とは違うでしょ?この図面を見てくださいよ。』的な主張や説明があってしかるべきなはずだが、そういう話しは一切出ず。(どうやら主催者側が役所から取り寄せた図面は地形図のようなモノでななく、地形図に照らし合わせてもよくわからないものだったようだ。 )
一方地主の主張は『ここから上はウチの土地だから入るな。この下は違うからご自由に。』と、かなり明確だった。
さらに、普通こういう事態なら、『いや、使っていいって言いましたやん〜。』的な攻防もあっても良さそうなもんだが、そういうモノもいっさい無かった。
つまりどう考えても、最初からこの地主の土地が使用不可なのは折り込み済みで、その土地の場所は正確には把握できていなかったと想像せざるを得ない。
しどろもどろの中、せめてもの反論は『いや、だって、ちゃんと教えてくれませんでしたやん・・・』的なモノだったように記憶している。

なのに、体育館に帰ってきた途端、こういう主張を繰り広げるとは。
『ご理解下さい。』と締めくくっていたが、これでいったい何をご理解すればいいのやら・・・。

ノーレースになったという説明を聞き、泣き崩れているインカレ選手達が不憫でならない。

いや、僕は『だから、この大会の開催は控えるべきだった。』とは言わない。
確かに、地元渉外は大変だと思うし、かなりグレーな状態で開催に踏み切る事もあるかもしれない。
しかし、もしそういう状態で開催に踏み切ったのなら、当然主催者はそれに関しては責任をとらねばならないと思う。
今回の事案は、「熊が出た」や「台風が来た」等の不可抗力に類する話しではない。
それを、「地主が出た」として切り抜けようとする魂胆は、なんというか、残念を通り越して悲しくもある・・・。

 

しばし呆然。

が、それまでに全員スタートできたクラスはレース成立なので、表彰式がある。
なんと、松もっちゃん、WBクラス1位!!(拍手)
エントリーは彼女1名だったけど。(笑)
いやいや、でも、最初の頃は全くといって良いほど地図が読めなかったんだから、格段なる進歩です。
おめでとう〜。

しばらくして谷やん生還。
なんと、予想優勝タイム60分くらいのコースで3時間彷徨っていたらしい。
いや〜、こっちも元取りましたなぁ。(笑)

そして、ふてくされる僕に気を使ってか、その後タケノ達がMTBで入る予定だった山に、急遽みんなでトレランで行く事になった。
あまり気が進まなかったが、行ってみると、コレがいいシングルの連発。
これはMTBでもぜったい面白いはずだ〜。(いずれラリーで使うかもしれないので、名前は伏せます(笑))
って感じで、どん底だった気分も若干上がり、本日は終了〜。

帰りは、明日香方面に風呂に行き談山神社の紅葉大渋滞に巻き込まれ、王将で晩飯食ってシメ。
いや〜、皆さんお疲れさまでした〜。

そして、最後に一言。

オレの休日を返せ〜!!(涙)

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後日、大会主催者側からメールが届いた。
今回の事案の調査をしており、見聞した詳しい状況を教えて欲しいとの事だったので、 上に書いたような事をすっかり全部書いて、それに対しての言い分を聞いてみた。

返信はすぐにあったが、ズラズラと長い文章も、要するに『我々は精一杯やった。』という主張を繰り替えしていただけ。
現場で見聞きした事と体育館での説明の矛盾や、主催者側の問題点を問う内容には、説明も反論も無かった。

僕的には、
『こんな事態になりすいません!でもお金は全部使ってしまったので返金できません!!』
シンプルにこう言ってもらったほうが、まだスッキリすると思うんだけどねぇ。

 

 

 

11月20日 オブシ調査


本日はオブシ調査。
場所は福井方面。
もし今日の調査が順調に進めば、オブシ最終日のコースはほぼ繋がる。
本日集まってくれたのは、アイサカさん、みやっぷ、ヨーコちゃん。
前回の宿題を含め、今回は人数を投入して一気にやってしまおうという計画だ。

冬が目前に迫ってきているが、今日は日本海側も晴天、小春日和。
10時に道の駅に集合し、みやっぷ&アイサカさんと、ヨーコちゃん&僕の二手に分かれ調査開始。
今日はバイクを持ち込んでの調査である。
まずは、林道を詰めて、前回途中まで下りていた尾根を下から。
う〜ん・・・道が有ることはあるのだが、乗れませんな、コレは。(苦笑)
まあ、降りれないことは無いので、その先の鉄塔管理道を探す。
う〜ん、狭い。(笑)
幅が20センチくらいしか無い上に、キャンバーしていて路肩も脆い。
こりゃ乗れんわ。
このまま戻って林道を下っても良かったのだが『まあ、降りれるのは確実だろう。もしかしたらこの先で良い道になってるかも・・』という事で、そのまま進む。
が、いや確かに最後は良いシングルだったが、乗れたのは全下りの20〜30パーセントくらいか。
ほぼ玉砕。
アイサカさんの方が通っている事を願いつつ、 この山で思った以上に時間を食い、もうこの時点で14時半。
とりあえず、行けるところまで・・・という事で次の山の林道に取り付くも、やはり目的の山頂までは難しく、途中で断念。
下りながら地図に載っているシングルを調査するも、倒木オンパレードの完全に廃道状態。
やはり林道が近くを通るとこうなってしまうのね・・・。

車に戻り、道の駅でアイサカチームの下山を待つ。
小腹が減ったので、へしこ茶漬け。
これがウマウマ。

17時を過ぎた頃に、やっとアイサカチームと連絡が取れ合流したが、なんとこっちも玉砕だったとの事であった。(涙)

近くの温泉に入り、80年代アイドルの楽曲がノリノリの場末ドライブインのような所で夕食。
焼き鯖定食。(せっかく鯖街道に来たんだし〜でもノルウェー産?(笑))

いやぁ〜皆様、お疲れさまでした。
日本海側に道が無いのは予想しておりましたが、ここまでダメだとキビシイですなぁ・・・。
ちょっと練り直しっす。
皆さん、またよろしくお願いします〜。

 

 

 

11月16日 PUMP大阪へ


最近ほんま仕事無いなぁ・・・と思って、事務所の電話をチェックしたら、留守電の録音件数が満杯で、これ以上録音できない状態だった事が発覚。
ここんとこ朝から晩まで、入院や自転車散歩の調査で事務所にはいなかったし、これじゃあ入ってくる仕事も入ってこんわ。(苦笑)
もちろん、早速復旧させましたが。

さて、自転車散歩の入稿がひとまず終わって、ちょっと心の余裕が出たところで、今日はPUMP大阪(関西最大規模のクライミングジム)へ。
誘ってくれたのはアイカワ君。
あとのメンツはヨーコちゃん。
みやっぷは仕事で来れず、 もしかしたら民ちゃんも来るかも?という話だったが、彼女もお仕事で来れなくなった模様である。

20時15分頃クロスバイクにてPUMP大阪へ。
空気圧を確認せずに出かけたら、どうやら途中で後輪リム打ちパンクした様子?
なんとか現地までは持ちこたえたが。

実はこのPUMPの会、前回10月27日にあったのだが、その時は原因不明の高熱で死にかけていて行けなかったので、今回がお初。
受け付けを済ませ、軽く講習ビデオを見ていると、ヨーコちゃんが到着。
間もなくアイカワ君も来た。
いや〜混んでるなぁ〜と思ってはいたが、やはり今日は人が多いらしい。
今日はロープも使って、高い壁もやる予定みたいだったが、なかなか。
とりあえず準備をして、ボルダリングエリアで初心者課題を。
西北クライミングウオールと違い、ココの初心者はちゃんと初心者コース。(笑)
順に難易度を上げていき、1時間半ほど。
少し空いてきたところで、ロープクライミングエリアに移動し、一本。
が、もうこの頃には腕が終わってしまっていて、最後まで行けずだった。(苦笑)
22時半前に、終了。
やはりパンクしていた後輪に空気を入れつつ家に帰った。

いや〜、皆さんお疲れ様でした〜。
しかし、やはり行く度に、色々と勉強になりますなぁ〜。
またヨロシクお願いします〜。

 

 

 

11月15日 ヤられてます。


9月早々だったか。
とれとれメーリングリストに、いつものイシマルさんの怪文書が流れた。
ほぼ慣例のように、皆さんスルー。
すると数日経って、今度はそれが、直メールで僕に送られてきた。
内容は・・・
『今度、山と渓谷社から出版されている「大阪・神戸周辺自転車散歩」という本が全面リニューアルするので、それのコース取材を手伝って欲しい。』
というモノだった。
直メールしてくるくらいだから困ってるんだろうなぁ・・・と思いつつ、まあ仕事も忙しくはないし、山渓なんて大きなとこだから、たぶんコースはもう出来上がっていて、そこを2〜3コースと取材しつつ写真撮ってきてレポートを上げればいいんだろうな。
そう思って『まあ、お手伝いできることがあればお手伝いしますが〜。』とお返事。

しかし、コレが・・・
9月10日の最初の打ち合わせにあたって、次々とヤバイ事実が発覚してきた。
まず、現段階でコースは全くの白紙。 しかし、原稿の締切は11月15日。
たったの2ヶ月チョイしかない。
で、「ひとまず1人10コースくらい考えて欲しい。」ときた。
ちなみに、ライターのメンツは、イシマルさん、教祖、ブルベでお馴染みのリキューさん、そして僕の4名。(笑)
教祖は張り切って、もうすでに西宮〜神戸近郊で10コース用意してきているそうだ。
ご存じの方も多いと思うが、僕と教祖の家は、直線距離にして2〜3キロしか離れておらず、生息域がほぼ同じ。
そんな、この近所を全部とられたら、僕は何処のエリアを探せばいいんですか?と。
しかも前回の24コースとは極力カブらないようにしてほしい。と、さらにハードルは上がる。
う〜ん、こりゃあ相当ヤバいモノに首を突っ込んでしまったかも・・・。

と思っても、もう後の祭りである。
結局、担当は、教祖が神戸〜西宮方面、リキューさんが大阪まん中〜堺方面。僕が大阪郊外、イシマルさんがそれ以外の遠方を担当する事になった。
大阪北部は、かつて住んでいた事もありまだ土地勘もあるが、淀川を南に渡ってしまうと、ぶっちゃけもうさっぱりわからない(爆笑)
えーと、東大阪と八尾ってどっちが北でしたっけ?寝屋川付近なんてイメージすら湧かないし。
仕事をしながら、空いた時間に図書館に行ったり、地図とネットで情報を漁りまくるしかなかった。

で、その10コースの提出期限が10月15日だった。
僕はほぼ間に合わせたのだが、色々と調整に手間取ったようで、イシマルさんから、最終決定された僕の担当7コースの連絡があったのは、僕が入院している10月末だった。
この時点で締め切りまでに、もう14日。2週間しかない。
まだ到底完治にはほど遠い体調なのだが、早速取材に出る。
写真も撮りながらの取材なので、晴れている日は絶対外せないのだ。

結局、先週なんかは、本業に全く手を付けることもできず。
朝から晩まで単車や自転車で調査に走り回り、夜は写真の整理と原稿書き。
ジョギングする余裕すら無かった。

が、まあなんとか本日、原稿およびコースデータは納品にこぎ着けた。
晩に教祖から電話があり、どうやら納期に間に合ったのは僕だけだった模様。
ただ僕の方も、写真はまだ抜けている部分やクオリティの低いモノもあり、引き続き天候を見て撮影&調査には行かねばならない。
自転車が走っているシーンも必要らしい。
イシマルさんが、後日、モデルを手配してポイントポイントで撮影をする予定らしいが、それも全コースで撮るのは難しいだろう。
こっちでも、一緒にツーリング&撮影に強力してくれそうな人をあたったりしているが、平日はさすがになかなか難しいのが現状だ。

う〜む・・・もうしばらく、コレに振り回される日々が続きそうである。

だれか、僕と一緒に平日ロードツーリングに行ってくれる人いませんか?
30キロ前後の軽いサイクリングコースですので。
ご連絡お待ちしてます! いや、マジで。

 

 

 

11月6日 リハビリライド


まだ『何だか身体がダルイ』等の症状は残っているが、もうほぼ治った!!(笑)
「毎朝一回飲みなさい」と、病院からもらった抗生物質はまだ2錠残ってはいるが、今日はリハビリライドである。
場所は天王山。
本日おつきあいしていただいたのはひさぴー。
お天気も良く、まったりのんびりと行きましょう〜ってな感じで、朝9時半にひさぴー邸へ。
いつもの淀川河川公園に車を停めて、11時前に出発。
実は、今僕がお手伝いしている山と渓谷社のサイクリングガイドでこの辺もコースに入っているので、実家が近所のひさぴーに色々と観光名所の案内をしてもらいながら、まったりスタートである。

ひとまず、定番の柳谷観音方面へ登る。
う〜ん、苦しいぞ、呼吸が。(苦笑)
なんてこと無いスピードだと思うのだが、しゃべりながら登るのがツライ。
やっぱりまだダメージが残っているのかねぇ。

が、一汗かいたら、呼吸は若干楽になってきた。
シングル一本目下り。
よく考えたらマウンテンバイクに乗るのも久しぶりだ。(日記を見返したら、9月25日に乗って以来だった。)
というわけで、いつも乗ってるところを降りてしまったり、若干おっかなびっくり。

一本目シングル終わって、天王山へ担ぎ上げ。
バイク重っ。
いやいや、いいんだ、今日はリハビリライドなんだから。

登り切ったところで休憩しようと思っていたが、ギャラリー(ハイカー)が多くて、注目(&質問の嵐)に、早々に移動。(笑)
二本目シングルは、高速道路の方へ。
う〜ん、このコースも、こんなにテクニカルだっけ??
いやぁ〜、鈍ってますなぁ〜。

下りきって、もう一度天王山に登り返し。
今度は正面から担いで。
途中の展望台で昼食。
お湯を沸かして、チャイ等でまったり。
が、天王山恐るべし。
まだ蚊がいた。
デコを蚊に刺され、ポイズンリムーバーで吸ったら、今度はそこが円形に内出血になり、残念なことに。
皆さんも、顔を吸うときはご注意あれ。(笑)

山頂手前の展望台でさらにのんびりして、山頂へ。
もうこの頃になると、だいぶん夕方な感じ。
最後はサントリーへ下りて下界へ。

駅前に戻りコンビニ前で休憩。
ペプシモンブランに挑戦。
う〜ん、意外と飲めるか?(笑)

河川公園の駐車場に戻り本日のライドは終了〜。
いや〜、ひさぴーもお疲れ様でした。
僕的には、まだまだ完調ではないことを思い知らされた感じでしたが、気候もお天気も良くて、良ライドでした。
またよろしく〜。

ところで、ライドが終わってバイクをバラしていたら、フロントサスにクラック発見。
というか、こんなとこ割れるのか〜。
そんなハードな走りはしてないんだけどねぇ。
う〜ん、そそろそろオーバーホール時期だが、修理すべきか、買い換えるべきか・・・。

 

 

 

11月1日 謎の高熱


御在所でクライミングした翌日、月曜日。
朝からなんだか身体がダルイ。
不本意ながら『まあ、疲れてるんかなぁ・・・』と思いつつ仕事をしていたのだが、夕方になって、なんだか熱っぽいのに気が付き、体温を測ったら37.5度だった。

あら〜、やっちまった〜。

喉痛やら鼻水やらは全くないのだが、これはちょっとヤバイそうなので、早々に就寝。
しかし、夜半に38.5度まで上がる。
僕は通常風邪の場合、まず喉が痛くなる事が多いのだが・・・『ひょっとしてインフルエンザか?』と思い、翌日早々に近くの上ヶ原病院に出かけた。

結果、インフルエンザの検査は陰性。
現状、症状は全く熱のみで、食欲もある。
今日の担当医は、待合室にやたらベタベタ張ってあった禁煙外来の説明ポスターの名前と同じ人。
高熱で出向いている僕としては、なんとも頼りない感じのその先生は、『まあ、何らかのウイルスに感染したんでしょうねぇ・・・』と、僕でも出来そうな診断を下し、解熱剤と漢方薬の薬を処方した。

しかし、その後熱は下がるどころか、上がる一方。
39.9度なんかを記録しだし、さすがにそこまで上がると解熱剤を飲むのだが、それも徐々に効かなくなってきた。
吐き気も伴うようになり、食事もままならぬ状況に。
薬を飲みきり、フラフラ・・・いやもはや虫の息になりながら木曜日再診。
今度は女性の先生だった。

『う〜ん、たぶん、ウイルス性の胃腸炎でしょうね。』

なんと、胃腸炎ですか。
下痢はしてませんが・・・。

『たぶん、脱水症状にもなってると思うんですが、点滴とかして帰りますか?』

実際のところ、手足も痺れてきていて、自分でもかなりの脱水症状であることは容易に想像できた。
ぶっちゃけ、今日はそれをしてもらいに来たようなモノだったので、お願いする。
実は僕はかなりの注射嫌いなのだが、もうこうなったらそんな事は言ってられない。

というか、よく考えたら、今日が人生初点滴ではないですか。
記念に携帯で撮影。(笑)
しばらくしたら、先生がやってきた。
マスク越しなので表情はよくわからないが、点滴のついでに一応やった血液検査の数値が、かなり悪いらしい。
炎症を示すCRPという値なのだが、通常0.30以下である数値が、20.00を越えてるらしいのである。

『即、入院してください。』

『ええっ??!』

 

幸い、今抱えている急ぎの仕事は無いし・・・というか、『そっ、そんな!ちょっと待って下さい!』と言える雰囲気でもなく、有無を言わさず、僕の人生初入院が決定した。

念のため、再度インフルエンザの検査をして、陰性。
大部屋に入る事になった。
今までかなり「ぞんざい」な扱いだったのに、ひとたび入院が決まると変わるモノで、病室に移動するのに車椅子が出てくる。
人生初車椅子。(笑)
病室に寝かされ、『点滴が終わったら主治医の先生からお話があります。』と告げられたが、車で来ていたので、点滴が終わった後勝手に車で家に帰り着換えなどをもってきて、早速、怒られる。(笑)

今度の先生は、おじいさんな感じ。
顔が近付くと若干食べるラー油のような臭いがして、なかなか今の体調にはキビシイ。
打ち出された治療方針は『特効薬は無いので、自力でウイルスに勝ちなさい。』である。
僕のすべき事は、ひたすら点滴を受けて安静にすること。
ま、入院というのは基本的にそういうモンか。

少しすると、看護士さんが、今までとは別の解熱剤をもってやって来た。
劇的に効いて、体温は一気に37度台に。
晩ご飯も少しは食べられ、夜、また点滴。
寝る前から下痢な感じになってきて、数回トイレへ行った。
しかしま、これでやはり「ウイルス性胃腸炎」の線は強くなったなぁ・・・原因は何かなぁ・・・と思いつつ、21時頃就寝。

・・・したのだが、ここからが大変だった。

ほぼ同時に、もの凄い悪寒がしてきたのである。
恐らく解熱剤が切れたからなのだろうが、それがもう半端でない寒さ。
端から見てたら『ギャグですか?』と言われてもおかしくないくらい、全身が痙攣したように震えて止まらない。
身体中の筋肉という筋肉にパンパンに力が入り、呼吸はシクロクロス爆走中であるかのように荒れ狂い、心拍数は限界値の200手前で悲鳴を上げているような状況。
イカン、このままでは15分もモタンぞ!!
たまらず、ナースコールのボタンを探すも、手がまともに動かず、そこらあたりにぶつけまくる。
なんとか呼んでやって来た看護士が持っていたのは、上布団一枚だった。

 

実はそこからの記憶がない。

気が付いたらやたら機械が置いてある別の部屋で、新たな点滴に繋がれていた。
鼻には酸素、ベッドの中には保冷剤のような冷たいモノがゴロゴロとし、腰のあたりになにやらモッサリしたモノが巻いてある。

『どうやら落ち着いたみたいやね。』

あとから考えたら、当直の先生のようだったが、その時はなんだかよくわからず。
腕時計を見てみたら、10時30分だった。
ただそれが何を意味しているのかはよくわからない。
時間のイメージが湧かなくて、タダの数字にしか見えないのだ。
結局、それが、夜の10時半だと理解できたのは、日付も替わる頃だったか。
天上の蛍光灯を呆然と見つめながら、オレは実はとんでもない病気なんじゃないだろうか?と本気で思う。
人生初集中治療室。

翌朝金曜日。
解熱剤が明らかに切れる時間になっても、体温は上がらず。
なんと36度台。
『最近海外とか行ってないですよね!?』と念を押されつつ、8時頃一般病棟に戻る。
ただ、熱のダメージは相当なモノがあったようで、頭には鈍痛。
立つと目眩、ふくらはぎに乳酸が溜まった時のような痺れが出たりする。
昨夜の体温は、電子体温計のリミット41度を振り切って、測定不能だったそうだ。
そして、腰に巻いてあったモッサリしたモノは、オムツだった事が発覚。
人生初紙オムツ。(僕等の赤子時代は布オムツなので(笑))

そして、その後はいっさい体温は上がらず。
いったい何だったんだ?と思いながら、悶々と狭いベッドで難易度の高い寝返りを繰り替えす。

しかしま、エライもんで、 翌日土曜日になると、少しは座っていられるようになった。
が、朝イチの血液検査でのCRPの値は、21.45。
前より上がっていて、若干凹む。
食欲が無いので、やることがないというか、楽しみもない。
というか、この病院、食事多すぎ。
4時間後には昼食が来て、それまでいっさい運動もしないのに、朝からパン3個である。
で、全部食べないと元気になってないような雰囲気もシンドい。
ま、気にせずバンバン残してやったが。(笑)

日曜になると、もうだいぶ元気に。
昼から、岳人とミズホのDVD持って、akeちゃんとマリモさんがお見舞いに来てくれた。
というか、マリモさんはakeちゃんの運転手?って事で、今回初対面。(笑)
いやいや、でも噂はかねがね。akeちゃん連れて、かなりハードな所にBC行っておられる方である。
また機会があったらご一緒いたしましょう!!

で、13時頃に、今度はつっちーがご来院。
実は、土曜日は、つっちーも所属する僕がいつもお手伝いしているゴスペルのグループのライブだったのだが、こんな事になって、スタッフドタキャン。
なのだが、そこのボスであるスガマナミ先生からもお見舞いの言葉を頂く。
すんません!今後は体調管理、気を付けます。

つっちーをお見送りして、エレベーターで二階に上がると、今度はナースステーション前にひじょ〜に病院と不似合いな二人が。
タケノとサトウだった。
というか、こっちにも色々都合もあるんだから(って無いけど)ちゃんとアポ取ってから来なさい。
献上の品は、山渓と、ランドネと、サトウからは、なにやら免疫力が上がるという怪しげなハチミツ。
というか、このランドネって、今度のひさぴー企画『ガールズ?山スカハイキング』に向けての君たちの研究資料の使い回しじゃないのか?(笑)
って、有り難く拝読させていただきましたが。

というか、今気が付いたけど、破門中のサトウからハチミツを受けとってしまったわ〜。
う〜む、不覚・・・(苦笑)

月曜朝採血。
朝回診に来た先生に『できれば、今日退院したい。仕事も押してるんで(←ウソ)。』とお願いする。
先生的には、明日の午後を考えておられたようだが、とりあえず、検査の結果待ち。
で、昼頃に検査の結果が出た。
CRP値、21.45 →4.65。
無事退院決定。

昼の点滴を終えて、早々に準備、夕方には退院できた。

いやぁ〜大変でした。
原因は、結局、ウイルス性の胃腸炎であろう・・・という事以外は不明。
ウイルスもどこでもらったのか・・・。
潜伏期間から考えると、土曜日にもらった可能性が大なのだが、シシ肉ドッグ食べて猪の沢山いる山に入って祟られたか。(笑)
実際、オブシ調査で入った山は、ホンマにケモノ臭の濃い山だったからなぁ・・・。
なにか未知のウイルスがいてもおかしくないかも。(笑)

そして、もりもりのミクシイを見て、お見舞いのメールを送っていただいた皆様。
風の噂で聞いたという皆様。
ご心配をおかけしました。
まだ本調子ってワケではないんですが、なんとか無事復活いたしました。
この場を借りてお礼申し上げます〜。

とりあえず、手洗い、ちゃんとするようにしよ。

 

 

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