友 の 部 屋

乳がん全摘3年目の過ごし方   私の場合
                           <2009. 2. 16> by Ms. まり

乳がん告知から全摘の経過を経て、まもなく3年目を迎える私です。

あの日の午前中は病理の結果を聞くため受診して、午後は所属団体の
研修会に出席の予定でした。
2年半の乳腺の経過観察もこの手術で晴れて解放される記念すべき
日のはずでした。
ところがパソコン画面で不ぞろいな万華鏡のような私の癌との対面の
ありがたくない記念日になってしまいました。
そして猛烈に腹が立ってきました。
「先生、私はがんにはなりたくなかった!」と叫んだのです。

夫に電話でがん報告をして午後から研修会へ行くと伝えました。

研修会では私が誰よりも講師の顔を真っ直ぐ見て真剣に聞いていたようで、
質疑応答ではよせばいいのに司会者が私を名指すのです。
ただ私は放心状態だけだったのに。
何故か妙に落ち着いて大きな声で笑顔で質問出来
皆さんを爆笑させたのですが、私は今後の不安で心の中では
大泣きに泣いていました。

1ヵ月後私は山下先生を訪ね再手術を依頼し3月3日ひな祭りに
全摘の乳がん患者となりました。

ところが私は友人に恵まれていたようです。
退院一週間目位に「別のグループとイチゴ狩りと温泉へ
行こうと思うのだけど」と友人に相談したら
「まだ傷口赤いと思うから、行かないほうがいい。
家族は心で傷を見てくれるけど、他人は傷は傷としか見ない。
だからいつまでも生々しい傷跡が印象に残るよ」と。
ある人は「私は子宮がないのよ〜」とも。
またまたある人は「私のオッパイあげるよ」とも。

あれから3年。
私が元の元気な私に戻った最近この友人達6人で
改めて名前をつけてグループを作りました。
事業の一環を担っている私達が忙しい時間をやり繰りして
お互いを尊重してこれからもいい関係を築いていけそうです。
がんが豊かな友人をプレゼントしてくれました。

もう胸のないことも気にならず、人の胸も気にならず
3年という時間が全てを解決してくれたようです。

診察の度に泣き言と質問攻めにも関わらず丁寧に応対してくださった
山下先生に感謝しながら今後は5年目の安心に挑戦です。

当時の入院中のさまざまな病気仲間と毎年春、日本医大武蔵小杉病院を
待ち合わせ場所にして、再会&ランチをすること今年で3回目を楽しむ事も
この病気のうれしい副産物となっています。

以上が私の乳がん全摘3年目の過ごし方でした。