(前号のあらすじ)



 今から4年半前、プロのカメラマンY氏 から渡されたパリの写真集をきっかけに 僕はパリ行きを決意する。パリでの日々 を楽しむのもつかの間、所持金が少なく なってしまう。南フランスで住み込みの 仕事があるという中国人青年グウの言葉 に惹かれ、僕は南仏行きの夜行列車に乗り込んでしまった。


第2部 南フランス

地中海を見ながら


 
 乾いた大地にツルハシを打ち込む。石 灰岩質の白っぽい塊が砕け散る。もう一度、 打ち込む。汗が目に入り、痛い。 裸の上半身も汗まみれだ。僕は手の甲で 目に入った汗を拭い、顔をあげた。 真っ青な空、そして空より蒼い海が陽光 を受けてキラキラと輝いている。地中海 を見下ろす小高い丘の上で、僕は穴を掘 っていた。
「ツヅキー、こっちへ来い。休もう」 大男のアンドレが呼んでいる。オリーブ の木の根元に二人で腰を下ろし、大きな ペットボトルの水を回し飲みする。ボト ルを口から離して飲む豪快なやり方だ。
南仏で働きはじめて一週間が経っていた。 此所は、マルセイユからバスで約一時間 半の地中海を見下ろす丘の上に建つ、と あるリゾート施設。シーズンオフという こともあり宿泊客は少ない。中国人のグウとワンそして日本人の僕は、ここで皿 洗いや時には穴掘りなどの雑用をしてい た。
 ホテルに着いたときに宿泊カードの ようなものを書かされ、パスポートは 「保管しておく」の一言で取り上げられて しまった。正直言ってビビったが、あとは勝手にしやがれだ。
 僕はオリーブの木陰に座り地中海に浮かぶヨットの白い帆を目 を細めるようにしながら眺めていた。       


日本の唄

 
 朝は6時から朝食の準備が始まる。そ のあとは大概、グウと一緒に皿洗いだ。 パリで皿洗いが嫌で南仏に来たグウは、 「ここでもコレだ」と肩をすくめる。
 よく鼻歌を唄いながろ皿を洗っているグウ に「歌が好きなんだな?」と尋ねると
「大学時代はコーラス部にいたんだ」
「じゃあ、カラオケは好き?」
「うん、実は好きなんだ。そう、日本の 唄も歌うよ。○×△○が好きなんだ。」
「それって、日本の歌手?」
「○×△○は知ってるはずだよ、有名だ」
そして、グウが歌いだす。なんと中国語 の歌詞になっているサザンの「いとしの エリー」だった。僕が大喜びで手を叩いて 笑いだすと、グウは得意になって大声 で歌いはじめる。南仏のホテルの厨房に、 皿を洗いながら、日本の唄を歌う中国人 の歌声が大きくこだましていた。       


友よパリで会おう


 ある日、いつものようにグウと皿洗い をしているとシェフが僕を呼んだ。
「中国人、こっちに来い」と。
「日本人だ」と言うと、
「わかった、日本人。ここの皿をキチ ンと整理しろ。同じ形を同じ場所に置く んだ。」
 そう言って何百枚と山積みになっ ている皿の山を指さした。
「ウイ、ダコール(はい、わかりました)」 と言い、僕は作業を始めた。
 数十分後、終わりましたとシェフに伝え る。整然と5つの種類に分類された皿の 山を見てシェフは大げさに、叫んだ。
「オウ、ニンジャ!スゴイぞ」
 大した事ではないのだが、仕事を素早くキチンと やる日本人にフランス人はいたく感動し た様子だった。 この日を境に僕は皿洗いからサラダや オードブルの盛り付け係りに昇格した。 ことあるごとにシェフが「ニンジャ」と か「ボンジャポネ(いい日本人)」と言っ て僕を指名してくれるからだ。
 一方、グウはずっと皿洗いの仕事だっ た。インテリのグウは我慢が出来なくな り、仕事の内容や給与について支配人に 直談判に行ってしまった。案の定、「イヤ なら辞めろ」と言われてしまいパリへ戻 ることになった。ワンも一緒にここを去 ると言う。
「ツヅキはどうする?」
「まだ、そんなにお金も貯まってないし、 僕はもう少しここでガンバルよ」
「そうか、じゃあパリで会おう。パリに 戻ったら必ず連絡してくれ。」
 もはや親友となっていたグウとワン。僕 等はパリでの再会を約束し、固い握手を 交わした。       


カメラ好き


 グウがいなくなり寂しそうにしている 僕に積極的に話しかけてくれたのが陽気 なミゲルだった。フランス語の他に、イ タリア語、スペイン語、英語を話す彼は、 なんと、カメラマンをやっていたこともあ ると言う。カール・ツアイスのレンズの話 しやキャノン、ニコンとカメラ好きの僕 等はたちまちのうちに仲が良くなった。
「オレは写真に詩をつけるんだ」とミゲ ルが言うと、「僕は写真に文章をつけて、 ストーリーにするんだ」などと語り合っ た。
 客室係の彼は仲間が多く、「ニンジャ ツヅキ」と言って、何かと僕をかまって くれる。休みの時間にフランス語を教え てくれるのは嬉しいのだが、この単語を 覚えたら誰それの前で言えと命令され、エッチな言葉を言わされる。大真面目な 表情でエッチな事を言う僕を見て、皆が 大爆笑という具合だ。       


さらば南仏


 11月も終わりに近づき、朝と夜はめっき り寒くなってきた。昼と夜の寒暖差と疲 労のせいで僕はカゼを引いてしまった。 セキが止まらず寒気がする。クビになるの がイヤで休まず働いていたが、そろそろ潮時 かもしれないと考えた。支配人に辞めた い旨を伝えるとスンナリと認められた。 「お前はいい日本人だ。オレ達の仲間だ」 いつもは仏頂面の支配人がやさしい笑顔 でねぎらってくれた。
 翌日、マルセイユへ向かうバスの窓か ら地中海を瞳に焼きつけた。山の白い岩 肌をパステル色に染めながら、地中海へ と沈む美しい夕陽を僕は決して忘れない。 働いている間、食事は全て賄いであっ たため、ほとんどお金は費わなかった。 おまけに予想以上に多くの給料を貰い 懐具合は暖かかった。パリへ帰ろう。 行きは夜行列車だったが、帰りはTGV だ。指定席に腰を下ろし、目を閉じる。 穴掘り、皿洗い、厨房、地中海、仲間の 笑顔。様々な想い出が浮かんでくる。
 やがて、TGVはパリへ向かって動き出す。 南フランスで、自分が少しだけ、タフに なった気がした。 さらば、南仏。


(第2部南フランス編 終了)