| @2001年 7月12日〜2002年12月12日 | HOME | NEXT |
| ■今年(2002年)のコンサートを振り返って(12月15日) 今年の5月にこのホームページを立ち上げた。ホームページのメインを何にするのか考えたあげく、自分にはある程度集中した一番の趣味といったらクラシック音楽を聴いてきた、ということであったのでこれを取り上げたわけである。しかしながらコンサートへ行くことがめっきり少なくなっていたので、このHPの中にコンサートの感想記も書きたくなり、再度通うようになったのである。私が聴くクラシック音楽はそのほとんどがロマン派、および一部の現代音楽である。自称、叙情派であって、まだ見ぬ美しい旋律を求めて少しずつ輸入盤を聴いている現状だ。私は小編成の室内楽や器楽曲も聴くが、主としてオーケストラ作品を好む。従って自然とコンサートもオーケストラがほとんどとなる。 今年は4月から聴きはじめ、11のコンサートを聴いた。内訳は、国内プロ・オーケストラ 7公演、海外・オーケストラ 2公演、国内アマチュア・オーケストラ 2公演、以上 11公演であった。そこで締めくくりとして今年のベスト3を挙げてみよう。(11月12日の公演の感想記に記してしまっているが) @ 2002.07.29(月) 佐渡 裕 指揮/及川 浩治(P)/東京都交響楽団/川口 リリアホール ラフマニノフ/ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 OP.18 久しぶりに目頭が熱くなった演奏であった。佐渡 裕指揮のオーケストラの好サポートに支えられつつ、白熱したピアノの情熱的な打鍵が耳を離れない。どの演奏会からもCDからも聴かれたことのない、常軌を逸した熱演である。このピアニストの演奏会は今後も聴きに行くだろう。 A 2002.09.13(金) スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ 指揮/読売日本交響楽団 サントリーホール ブルックナー/交響曲第8番 ハ短調 ブルックナーの6番、8番、9番は私の好んで聴く作品。そのアダージョの楽章はいずれも天国への入り口へいざなうかのような陶酔的な旋律だ。まさにスクロヴァチェフスキの指揮と読響の熱演により、幸福なひとときを共有できた喜びに浸れた瞬間であった。 B 2002.04.24(水) 甲賀 一宏 指揮/横浜交響楽団/神奈川県立音楽堂 オルフ/カルミナ・ブラーナ 佐野 正一(バリトン)、篠崎 義昭(テノール)、若槻 量子(ソプラノ) 横響合唱団 このHPの立ち上げにおいて、急遽聴きに行ったアマチュア・オーケストラである。入場料は500円。オーケストラと合唱がアマ、3名の声楽がプロという構成であった。もちろんアマ・オケのためアンサンプルに乱れはあった。しかしこの大曲ではやむを得ないだろう。だが、指揮者、オケ、声楽家、合唱団が創り出す、渾然一体となった迫力は並のものではない。アマチュア・オーケストラ、合唱団の発するひたむきな演奏は、私も含めて会場の聴衆の心に深く響いたことであろう。多くの国内プロ・オーケストラは言うに及ばず、海外オーケストラをも凌いでベスト3に食い込む程の感銘を与えてくれたこのアマチュア・オーケストラの演奏には驚嘆させられた。 以上、簡単な感想である。2003年度は定期会員としての新日フィルを主体として、外国のオーケストラも、もう少し聴いていこうと思う。だが、国内のオーケストラもプロ、アマ問わず、私が熱中した20年前と比較すると、その演奏水準の向上は驚くべき進歩を遂げていると感じた次第である。 |
本日の指揮者はジャン・フルネ氏。フランスの指揮者としては大御所的存在であり、私にとってもLP時代何枚かの作品を所有していたこともあり懐かしい存在である。都響の名誉指揮者にもなっているが、新日フィルとは3回目らしい。 1.ラヴェルの管弦楽作品は、「ボレロ」、「ダフニスとクロエ」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」他傑作は多い。この作品もよく演奏される作品。最終曲である4曲目の「祭り」が色彩感豊かで、華麗なオーケストラの響きを堪能できる。演奏もまずまずで楽しめた。 2.この作品は交響曲ではないのだから、ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ短調 「スペイン交響曲」と表記した方がいいだろう。この作品はベートーベン、ブラームスあたりの重厚感のあるオーケストラの伴奏の中で、パガニーニを思わせるような叙情的旋律が豊かなラロの代表作。戸田弥生の演奏は女性ながらも力感に溢れ、決然と自信に満ちたおおらかな表現と繊細な響き、そしてオーケストラとの調和も美しく秀演であった。 3.フランスの作曲家の交響曲を3曲挙げるとすると苦労する。サン・サーンスの3番「オルガン付き」、ベルリオーズの「幻想交響曲」の2曲は誰もがすぐ思い浮かべるかもしれない。だがそれに続く傑作は少ない。フランク、ルーセル、ダンディ、デュカ、そしてこのショーソン、現代音楽まで範囲を広げれば、デュティーユ、メシアンとなるだろうが、叙情性に富む作品を好む私に現代音楽の多くは受け入れ難い。 このショーソンの交響曲は私にとってはなかなかよさの解らない作品である。この作品の美しい旋律が垣間見られるのは第2楽章であろうが、フルネ氏はその旋律美を、特にヴァイオリンを主体とした弦楽器群からよく引き出していたと言える。だが、淡泊で静かに終わってしまうこの交響曲の魅力は最後まで見いだせないまま終わってしまう、という印象である。 フルネ氏は1913年生まれだから現在89歳。背筋の伸びきった指揮ぶりには尊敬の念を禁じ得ない。次回も機会があったら再度オール・フランスものを聴かせていただきたい。 |
私は失礼ながら増田宏昭氏という指揮者は知らない。パンフからは20年以上にわたってドイツの歌劇場の指揮者として活動、現在はドイツ・ノルトハウゼン歌劇場、LHOオーケストラ音楽監督。どちらの団体も私は知らないが、地道に外国の地方団体で活躍中とのことである。 1.この歌曲集が作曲されたのは1883〜85年、交響曲第1番は1884〜88年。作曲年がダブっているように、断片的に「巨人」の旋律が垣間見られた。いや逆にこの歌曲集の旋律を「巨人」に取り入れたということなのだろう。 私は40を過ぎた現在でもマーラーの作品とはなじみが薄く、この作品も初めて聴いた。しかしこの歌曲集はなかなか色彩感が豊かで美しい。だがエーデルマンの歌は少々力感不足であり、また高音部の発声が今ひとつだったように感じられた。 2.この交響曲は第2番「復活」とともにマーラーの突出した名曲であろう。オペラ指揮者からオーケストラ指揮者への脱皮を計るべく、増田氏はこの曲のスコアを徹底的に分析し、自身の主張が団員に行き渡っていたと思う。練習も熱心に行われたことだろう。だが・・・私はこれまでこんなに遅いテンポに終始する「巨人」を聴いたのは初めてである。マーラー20歳代の作品であるこの作品は、私の好みで言えば、颯爽としたテンポであってほしかった。ただ、確かにマーラー独特の牧歌的旋律美を際立たせようとしていた意図は明瞭であったが。 この交響曲の第4楽章というのは、あらゆる交響曲の中でもひときわ輝かしく、かつ激情的なフィナーレへと突き進む。この楽章に及ぶと私はいつも鳥肌が立つ。その肌の毛穴からオーケストラの全開となったすさまじいエネルギーの放射線を全身に取り入れることによって、快感は頂点に達するのである。この演奏ではそのエネルギー豊かな力感と指揮者の熱気が伝わってきた。この楽章に接しただけでも価値ある演奏会であったと言える。増田氏の指揮ぶりは非常にオーソドックスであり、オーバーアクションも見られない。しかしその地味で実直とも言える指揮ぶりではあるが、指揮者と団員の意志の疎通は充分であったと感じることができた。私はこんな地味な指揮者も好きである。 |
1.ヤルヴィは今宵のプログラムをフィンランドの作曲家であるシベリウスのみとするのではなく、せっかくだからスウェーデンの現代作曲家を紹介したかったのであろう。趣旨はわかるが、「浄められた夜」のごとく弦楽合奏曲としてのこの作品は、格別の美しさも輝きもなく魅力に乏しい作品であった。 2.シベリウスのこの作品を男性ヴァイオリン奏者で聴くのは意外と初めてである。私は常々、この作品とブラームスのピアノ協奏曲は男性でないと弾ききれないのではないかと感じている。シベリウスのオーケストラの厚い響きとこの作品の音楽性から言っても、男性による絶対的な音量が伴わないとなかなか立ち向かえないのでは、と。その点、今宵は安心して身を任せられる演奏が聴かれた。ラクリンは若い演奏家であるにもかかわらず、シベリウスの情熱的な旋律の唄わせ方が実にうまい。音の強弱のアクセントの取り方が恣意的に過ぎる面もあるのだが、大きな効果を生んでいたことも事実なのである。第2楽章の響きはことさら美しく私の心をとらえたのである。 3.シベリウスの交響曲では、1番、2番に次いで傑作であろう。3楽章、30分程度の作品ではあるが、この曲の明るく爽やかな旋律はこの上なく美しい。ヤルヴィはシベリウスの演奏家としては第一人者と言ってよく、また長年BISレーベルでシベリウスの作品を多く取り上げて来た指揮者ゆえか、実にオーソドックスなアプローチにもかかわらず、豊潤で輝きのある響きで会場を満たしていた。 1.の作品が余計であり、最初からシベリウスプログラムにして欲しかったと感じていたら、アンコールに2つのシベリウス作品を取り上げてくれた。1曲目は「アンダンテ・フェスティヴォ(祝祭アンダンテ)」、続いては組曲「カレリア」から3曲目の「行進曲風に」が演奏された。「カレリア」はしばしば演奏されるが、「アンダンテ・フェスティヴォ」は演奏会では滅多に聴けない。弦の透明な響きが美しい小品。どちらも素晴らしい演奏であった。 一部のシベリウスファン、またはヤルヴィファンが立ち上がり、熱い拍手を送っていたのが微笑ましい。また最後の最後まで惜しみない拍手が続けられていたことからしても、今宵の演奏会は1.を除いて会場のシベリウス・ファンを魅了したことであろう。 |
ワルシャワ国立フィルは1901年の設立らしい。伝統のあるオーケストラである。もちろん演奏水準も高く、演奏ミスなど微塵もない。だからといって感動するかどうかは別の次元のこととなる。今年これまで聴いてきた中ではNo.1として、及川浩二(P)のラフマニノフのP協奏曲、No.2として前々回の読響のブルックナーの第8、No.3としてアマチュアの横浜響のカルミナ・ブラーナである。大切なのは演奏水準の高さだけではない。「情熱」「熱気」「陶酔感」などが伝わるかどうかが私の主な基準である。果たして今夜はどうであったろうか。 1.小編成オーケストラの気持ちよい伴奏に川井郁子のつややかなヴァイオリンが心地よい響きとなって伝わってきた。あまりにも有名な曲である故か、普段あまり聴かなくなった名曲も極めて新鮮な響きであった。オーケストラとの調和も素晴らしい。本日の演目ではベストであったと思う。 2.ショパンの第2協奏曲も名曲なのだろうが、第1番と比べるとあきらかに地味な作品だ。チェン・サのピアノの響きも美しいが、ほぼフル・オーケストラの音にピアノの音が埋没されてしまい、こちらは調和が取れておらず残念だ。少しオーケストラの編成を押さえるか、控えめな伴奏に徹しておればピアノの響きが明瞭となっているはずであり、そうであれば全く異なる印象となっていたであろう、惜しまれる。 3.第1楽章から違和感を覚えてしまった。そのあまりに控えめなオーケストラの抑制された音量に・・・最初は会場の音響に問題があるのかと勘違いしたほどだ。だがそれは優雅な第2楽章を経て、第3楽章の行進曲から一変する。ここに来てはじめてコルドという指揮者の意図した「音の対比」であることに気が付くのである。それが素晴らしいと感じるならばこの演奏の評価は高くなるが、無意味に感じる私にとっては、第1楽章の美しい叙情性が希薄になってしまったと捉えざるを得ない。第3楽章から第4楽章にかけてはも出色の演奏だ。やっとスケール大きく豊潤な響きが聴かれた。第3楽章の行進曲が終了した時点では思わず?会場から大きな拍手が起きてしまった程だ。 外国のオケに望みたいのは、音楽の親善大使として来日するのではなく、ベストの演奏を望みたいということだ。指揮者のちょっとしたパフォーマンスもあり、暖かみは感じられたが深い感動を得られることはなかった。 |
モーツァルトはショパンと並んで、クラシックの女性ファンの間では人気の作曲家だろう。その爽やかな旋律は早春のそよ風のように通り過ぎて行く。たしかに名曲を多く残した作曲家ではあるが、私にとっては特に重要な作曲家ではない。文字どおり、爽やかに通り過ぎて行く音楽であって、胸に染みいる作品は意外と少ない。こんなことを書くのはモーツァルト・ファンには大変失礼だが、率直な私の感想である。したがって、今宵の演奏が素晴らしいか否かということさえ判断しかねる。もっとも今回は風邪気味で咳が出やすい体調で、ハンカチで口をふさいで必死にこらえていたから、演奏に集中できなかったということも影響しているが・・・ 2.広上淳一氏という指揮者は実に丁寧でメリハリのある演奏を行う。一曲目の「火星」は特に好演で、フル・オーケストラの強奏におけるドライヴ能力は素晴らしい。まさにダイナミックで凶暴な火星の旋律がズシリと響いた。金管群も完璧な演奏、熱演である。 2曲目の「金星」には落胆した。激しい火星のリズムから一転して平和な旋律の金星に於いて、重要なのはヴァイオリンのソロパート部分だ。残念ながら性急なテンポで弾かれたため、曲自体から得られるはずの安らぎが失われてしまった。この曲でもっとも有名な「木星」、また「水星」「土星」は無難な演奏。「天王星」の小気味よいリズム感は「火星」とともに好演であった。そしてこの惑星で最も美しい最終曲の「海王星」だが、40名からなる女性合唱団の美しい声の響きに感銘はしたものの、全体的に声量が大きく、神秘的な幻想性が希薄となっていた。 曲による出来、不出来はさておき、全く破綻のない躍動的なリズム感を導いたこの指揮者は、明らかにその実力を披露して見せたのである。恥ずかしながら、意外にも初めて生演奏の「惑星」を聴く事ができ、有意義であった。昨年、しし座流星群を見て感動したが、美しい星の見られる冬の時期、この「惑星」を聴いて神秘的な宇宙に想いを馳せるのもよいかもしれない。 |
今回のブルックナーの第8番は12日に特別演奏会として東京芸術劇場で、また定期演奏会で本日、サントリーホールで演奏された。 |
川口のリリアホールはメインホールと音楽ホールと二つあるようだ。ホールの紹介写真では、木調のシックなホールでパイプオルガンもあるように写っていたが、見当たらない。どうやら本日は多目的ホールのメインホールが使用されたようである。席は最前列であったのでホールの響きの善し悪しは判別しにくいが、少なくとも前回の群馬音楽センターよりは遙かによい音響状態であったと言える。 1.は指揮者ではなく、作曲家としてのバーンスタインの著名な曲。・・・・と言いつつ初めて聴いた曲。5分程度のミュージカル用に作曲されたものだが佐渡裕氏は指揮者としてのバーンスタインの最後の弟子らしく、尊敬の念を込めてはつらつと演奏された。 2.は毎度おなじみ、ラフマニノフの・・・・というより、ピアノ協奏曲の名曲中の名曲である。及川浩治氏は初めて接するピアニストである。この人、ずいぶんと背が低い。160cmあるのだろうか?別に背が低くてもハンデはないのだが、手はきっと小さいのだろう・・・これはピアニストとしては少しハンデだろう・・・などと、つまらぬ心配をよそに大胆に、優雅に、スケール大きく、かつまた極めて情熱的に弾ききったのである。 生演奏というのは当たり前だが、一期一会である。素晴らしい演奏は末永く心に刻まれる。これはそんな演奏であった。第3楽章のフィナーレを迎えるに及んで、ただでさえ叙情的な美しい旋律の極みにおいて、これほど情熱的な演奏をこの曲から聴いたことはなく、恥ずかしながら久しぶりに泣けてきた。素晴らしいピアニストである。この演目は本日最高の演奏であった。 アンコールはショパンの夜想曲第2番。先ほどの演奏の興奮した気持ちを、ショパンの優しいノクターンが静めてくれたのである。夢見るような曲、そしてその繊細な演奏に会場は凛とした静寂につつまれた・・・・ 3.叙情的な美しいピアノ協奏曲の後は、対照的な「春の祭典」だ。私はこの曲を生で聴くのは3回目だ。最初は23年程前で、大学のオケのもの。2回目は15年程前だろうか、この佐渡氏の演奏を東京文化会館で聴いた。オケはこの都響か、新日フィルかは記憶にない。だが今宵も熱い演奏を聴かせてくれた。この指揮者は、絢爛豪華な曲やダイナミックな曲を演奏すると、ご自身も熱くなっていく。その指揮のスタイルは、かつてのハルサイの演奏と変わらない。この人の持ち味は、激しいダイナミズムの発散とフィナーレの頂点を築いていく過程の突進していくような天才的なリズム感である。だが・・・なんら、不満のない素晴らしい演奏であるにもかかわらず、若いころ熱中したこの革命的な現代音楽の、聴き手を挑発するような粗野で凶暴な旋律も、中年の我が身にはもはや刺激がなくなってしまった。 現代音楽の名曲も叙情的な名曲にはかなわない。ましてCDですら聴いたことのないような素晴らしい演奏に接してしまえばなおさらだ。 佐渡氏の演奏会では、氏のトリの曲を凌駕する演奏に接したのは今回が初めてである。だがもちろん、佐渡氏のオケと及川氏のピアノとの一体感が作り上げたものではあるが・・・・あまりに素晴らしいピアノの演奏に酔いしれた一夜であった。 |
この楽団が前向きに努力している点をいくつか挙げておこう。まず、他でもやっている楽団もあるが演奏後のアンケートを採っていること。演奏前に音楽評論家の曲目解説があること。演奏会終了後、コンサート・マスターがロビーに来て聴衆からの質問を受け付けていること。ホームページに掲示板があり、自由に演奏会の感想記などが書き込めるようになっていること、などである。北関東では唯一のプロ・オーケストラであるから、今後とも頑張って欲しい。 だが、オーケストラがいくら努力しても、会場がこのホールではあまりに気の毒である。私はプロオーケストラを聴く場合は、余程のことがないかぎり、多目的ホールで演奏されるクラシックコンサートへは行かない。というわけでNHKホールへもほとんど足を運ばない。 このホールも当初はクラシック専用ホールかと思っていたが、なんでもありのホールであった。舞台はあまりにも大きく、またもちろん舞台の左右、奥、上方はクラシックコンサート用の音響反射板を設置しているにもかかわらず、上方には隙間が多いためか音が天井に抜けてしまっているかのようで、客席まで充分な音量で伝わらない。おまけに専用ホールで感じられるふくよかな残響音もなく、私がこれまで聴いてきた会場の中でも最悪の部類に位置するホールである。一日も早く、プロオーケストラを持つ自治体は、しっかりとした専用ホールを用意してあげてほしい。 というわけで、1曲目はこのホールのあまりの音のひどさに唖然としていたため、演奏に集中できていなかった。曲目同様、悲劇的である。 2曲目のシューマンのピアノ協奏曲は本日の演目の中では最もよい出来であったと思う。園田氏は優しいタッチにもかかわらず、美しい音で会場を満たしていた。また園田氏が主導権を握ってはいたが、オケに対していたわりを感じ、独走することもなくオケとの調和が保たれており、聴いていて大変心地よいものであった。現在のクラシック音楽界の器楽器奏者は美人アーチスト全盛である。もちろん実力があればそれはそれでよいのだが、今夜のように男性のベテラン・ピアニストの演奏を聴くと非常に安心感があり、ほっとする。 最後のシベリウスには期待したが、残念なものであった。オケの金管群は雄大な響きに欠け、吹きミスも散見された。この交響曲はシベリウスの交響曲の中では最も情熱的な曲であり、その性格は第1楽章に顕著である。その大切な第1楽章が盛り上がらなければ落胆してしまう。しかしながら、第4楽章においては美しい弦の響きを聴くことができたことがうれしかった。 余談かもしれないがこの曲について、解説者である音楽評論家は「チャイコフスキーやボロディンの曲に似ているところがあります」などと言っていた。おそらくシベリウスの著名な研究家であるセシル・グレイの言葉の受け売りをしているに過ぎないが、音楽評論家であるなら、そうは全く感じていない私のような者に対して、わかりやすく具体的にこの部分が似ている、と言ってほしい。そうでなければこの曲をこよなく愛し、なおかつこの作品はシベリウス独自の美しい旋律である、と感じている者に対しての冒涜である、と言わせていただこう。いや、その前にシベリウスに対して、である。 今度、群響を聴くときはクラシック専用ホールで演奏される時に限りたいと思う。しかし今後とも北関東地域でのクラシック音楽の普及に努めているこの楽団には敬意を表しつつ、今後の活躍を祈りたいと思う。 |
本日の演奏会は新日フィルのトリフォニー・シリーズで、昨日に続き2日目であった。トリフォニーホールは初めてのホール。出来てから、6年程度だろうか。サントリーホールほどではないものの、響きのいいホールだ。壁面の木板が適度に残響を吸収しているのかもしれない。もっともS席で聴いたので当たり前かもしれないが。足元もやや広めで快適なホールだ。中央にパイプオルガンが座っているのも当たり前となっている。 さて、ロッシーニ、パガニーニ、レスピーギ・・・・とくれば本日はイタリア音楽の特集というわけだ。 1.はコメントなしでよいだろう。ウォーミングアップで明るく、楽しく聴かせてもらった。 2.アッカルドの持つストラディヴァリウスから紡ぎ出される音色は非常に柔らかく、つややかで透明な音色であった。改めてパガニーニ特有の美しい叙情性に満ちたこの曲のよさを再認識させられた思いである。氏は今61歳、まさに円熟期の真っ只中である。 休憩。ここの喫茶室は禁煙だ。本日は車で行ったので、アイスコーヒーをそそくさと飲み、ロビーで一服する。 さて、いよいよオーケストラの全開の時がやってきた。レスピーギの今回の作品は「ローマの松」を加えて、ローマ3部作といわれている名曲でるが、最初に噴水が演奏された。本日は3部作を演奏できる時間割ではないから仕方ないが、できれば3部作の中では最も地味な噴水ではなく松を演奏して欲しかった。ただ演奏としては素晴らしかったが。「黄昏のメディチ家の噴水」が静かに幕を閉じたとき、佐渡氏のタクトはしばらく下ろされずにいたため、しばしの余韻を楽しむことができた。おかげで、これ見よがしに拍手が始まらずほっとする。 4.の「ローマの祭り」はローマ3部作の中では最も華麗で激情的な作品であるが、佐渡氏はこのオーケストラから芳醇で華麗な響き、激しいダイナミズム、曲自体が持つ絢爛豪華さを最大限に引き出していた。氏のフィナーレを飾る曲に対する感情移入は尋常ではない。その情熱的なタクトによって常にオーケストラから120%の能力を引き出すのである・・・・だから私は久しぶりに聴いても佐渡氏の演奏に共感する。今まで氏の演奏会に接して、裏切られたことは一度もない。今宵も感動的な演奏会であった。佐渡氏は小沢征爾氏のように、いずれは必ず第一級の海外オケの常任に就くだろう。 |
昨日は家族サービスをしたため疲れていたが、昼まで寝て急回復。暇つぶしを兼ねて聴きに行ってきた。本来は東響の名曲コンサートに行こうと思ったがチケットが完売であったため、またまたアマ・オケとなった。 |
クラシックのコンサートは昨年のヘルシンキフィル以来、久しぶりである。こんなページを作ってしまったものの、なかなか更新しないようではいけませんね。まぁ、最近クラシックに回帰しつつある現状なので時々は通いつつ、更新して行こうと思う。今月はいろいろな行事があったため、当初コンサートは遠慮していた。このコンサートに行った理由は次のとおり。 ・たまたま一度は聴きたいカルミナ・ブラーナのコンサートを見つけたこと。 ・たまたま本日空いていたこと。 ・たまたまアマオケなので、500円で聴けること。 こんな理由で出かけたみた。しかし私は埼玉の田舎者。横浜は遠いが、聴きたいコンサートは原則としてどこへでも行きたくなってしまう性格なので、車で2時間半かけて到着した。このオケは、今回で559回の定期。驚きだ、来年は創立70周年とのこと。失礼ながら大変歴史のあるオーケストラだと初めて知った。 私は現代音楽は大変苦手である。どちらかというと叙情的な美しい旋律が好きなため、バルトークも苦手としている。若い頃は弦楽四重奏曲の、あまりの厭世的な暗い旋律を耳にして、衝撃を受けたこともあるのだが。 2曲目のビオラ協奏曲も初めて聴き、曲から感じ取るものは特になかったが、ソロの波木井氏のビオラの華麗なテクニックには舌を巻いた。もっともアムステルダム・コンセルトヘボウ.O の首席ビオラ奏者と聞いて納得できたが。ビオラもソロでじっくり聴いてみれば、低域から高域まで実に深みのある楽器であり、ヴァイオリンとまた違った趣を楽しむ機会を与えてくれて嬉しい。 さて、お目当てのカルミナ・ブラーナ。この曲は声楽曲の中でもヴェルディのレクイエムと並んで私の好きな曲である。この一時間あまりに及ぶ大作をアマチュア・オーケストラが演奏するとは驚きである。しかしながら、この演奏は大変感動的な演奏であった。詩がドイツ語ではなく、日本語訳詩になると聞いて違和感を感じるかとも危惧したが、なかなかドイツ語にもない新鮮な響きであった。プロの声楽家の3名も熱演し、また男性約50名、女性約100名からなる中年大合唱団の声量も豊かで、この曲の劇的な冒頭部はもちろんのこと、美しいメランコリックな展開部といい、素晴らしい響きであった。アマ・オケの演奏でこれほど感動したことはかつて無いと言っていい。オーケストラの部分的な小さいミスなどどうでもいい。全体として大変レベルの高い演奏だった。 2万円の海外の一流オーケストラの演奏を聴いても感動しない時もあれば、わずか500円のアマオケから、深い感動を得られることもある。クラシックは奥が深い・・・。先日NHK衛星放送で「クラシック音楽は消滅するか」というパネルディスカッションの番組があったが、このようなアマチュアオケが存在するのであるから、心配ないだろう。横響の今後の活躍を心から祈りたい。 |
さて、フィンランディアの演奏。私は当然一曲目というのは、ほんの肩慣らし、ウォーミングアップくらいしか予想しなかったのだが、結論から先に言ってしまえばこのフィンランディアの演奏が最良の演奏であった。今までどの演奏会、CDに於いてもこんなテンポはないというくらい、遅いテンポで始まった。それと同時に、非常に高い緊張感をともなって。演奏はこれ程までに興奮したことはない、というくらい繊細で、美しく、圧倒的なスケールで描かれていた。フィンランディアでこうなのだから、第一交響曲はどうなってしまうのかと、大変な期待をしてしまったのだが・・・。 続くヴァイオリン協奏曲。これは大変失礼な言い方だが、ヴァイオリニストのテンポにオケが伴奏を添えた程度の平凡な演奏だと思う。神谷氏はこの曲はきっとしばしば演奏しているのだろう。小気味よいテンポでスラスラ流れていく。だが・・・心に滲みて来ない。今回の演奏会は公演ごとにヴァイオリニストを替えているが、理解に苦しむ。神谷氏なら一人に絞り、もっとオケと一体感を保って欲しかった。 休憩。いつもながら、ロビーでコーヒーを飲んでのんびりする。 そして交響曲第一番。この演奏は不満は特に感じなかった。フィランディアのテンポ設定を期待していたのだが、予想を裏切り、ごく普通のテンポで終始した。しかしながら、このシベリウスの情熱的な作品を共感を持って美しく演奏されたのが救いであった。 アンコールの一曲目は、付随音楽「クォレマ(死)」より改編された「悲しいワルツ」 op 44、二曲目は組曲「カレリア」 op 11 よりバラードが演奏された。どちらも札幌公演のプログラムに入っているが、実に丁寧に美しく演奏された。 今回の演奏会は3階がまったく入らず、またオケの後ろにも入れず。したがって全体でみれば6分程度の入りか。交響曲第二番の演奏会でないとはいえ寂しい入りだ。シベリウスの人気がないのか、はたまたクラシック音楽が衰退の一途なのだろうか。 |
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