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| 2006.12.15 今年のコンサート
ベスト3 今年のコンサートは何で締めくくろうか・・・と考えていたらあっという間に12月の半ばとなってしまいました。当初は15日、つまり本日の読響定期にでも行こうかなと思っていたのですが、仕事で無理となってしまいましたので今年はもう終わりと相成りました。 読響の定期は、メシアンの「トゥーランガリラ」。別に惚れている曲ということも無いのですが、東フィルの1月定期も偶然同じ内容のようですので、1月の予定が他には無いため、こちらのチョン・ミュンフンの演奏で楽しむことにしました。 というわけで、EKさんも某所にベスト5を書かれていましたが、私は通った回数が少ない(今年は15公演)ので、ベスト3としましょう。 @10月10日 ラハティ交響楽団/東京文化会館 オスモ・ヴァンスカ(指揮) ユホ・ポホヨネン(P) シベリウス/交響曲 第2番 ニ長調 op.43 今年の来日では3度の東京公演を聴く機会に恵まれましたが、そのどれもが素晴らしい演奏でした。 交響曲第2番は2003年にも聴きましたが、前回を凌ぐ演奏に心を奪われましたね。この演奏会は特別会員制のコンサートだったのでシベリウス・ファンは少なかったようで、他の2公演と比べると聴衆の反応はイマイチ。しかし、2008年の春でコンビを解消するヴァンスカに導かれたラハティ響の今回の演奏は渾身の名演と言って良いでしょう。このコンビでは本当にもう2度と聴けないのでしょうか・・・シベリウス・ファンにとっては不幸なことです。 A8月4日 東京交響楽団/ミューザ川崎シンフォニーホール (フェスタ サマーミューザKAWASAKI 2006) 飯森範親 (指揮) ヘレン・ラナーダ(アルト) カトリオーナ・スミス(ソプラノ) 東響コーラス マーラー/交響曲 第2番 「復活」 外国オケの中には、時にやる気のない演奏会に不幸にも接してしまうことがあるように、国内オケの指揮者、オケにも定期は頑張るけれど特別演奏会ではさらりと流してしまう、そんな演奏会も間々あるのです。 これは定期公演で演奏される曲を夏の特別演奏会で格安料金で聴いたもの。なので先ほどの件を心配していたのですが杞憂に終わりました。1階8列目のど真ん中での大編成オーケストラから発散される音楽のエネルギーには、演奏家の情熱が内包されたパワーが全身を貫いたのです。アルト歌手の流した涙は、私の心も浄化してくれたような瞬間でした。 B1月19日 東京フィルハーモニー交響楽団 第18回 オペラシティ定期/東京オペラシティ・コンサートホール ウラディーミル・フェドセーエフ(指揮) 福井 敬(テノール)、牧野 正人(バリトン) 東京少年少女合唱隊、東京オペラシンガーズ @カリンニコフ/交響曲 第1番 ト短調 ★Aショスタコーヴィチ/オラトリオ「森の歌」 op.81 カリンニコフを聴きに行ったのに、ショスターコーヴィチの演奏から深い感銘を受けたのが印象的でした。 なんだか、2001年にやはりカリンニコフを聴きに行って、ベリオの「シンフォニア」の演奏が印象深かった大阪フィルの公演を思い出させるようでもありました。指揮者は5月のモスクワ放送響の時と同じフェドセーエフだったのですよねぇ、今でもその出来の落差が不思議で仕方ありません。 この演奏は、私が聴いた東フィル中ではベスト・コンサート。当分忘れられないものとなりました。 |
| 2006年 12月3日 東京交響楽団/ミューザ川崎シンフォニーホール 第9回 川崎定期演奏会 / ヤナーチェク 歌劇 「マクロプロスの秘事」 セミ・ステージ形式 飯森 範親 (指揮) 東京交響楽団、東響コーラス マルティン・オタヴァ(演出)
当楽団がなぜヤナーチェクのオペラを取り上げることになったのかという経緯や、なぜ代表作とされる「イェヌーファ」からこのシリーズが始まらなかったのか、など不明点は多い。まぁ、それほど滅多に公演が行われるわけでもなく、珍しい作品に出会えることは歓迎である。 オペラでセミ・ステージ形式というのは初めての経験であった。分割可動式のステージは最後部だけがせり上がっており、非常に狭い舞台で演じられる。オケは下へ下がるのではなくいつもの位置であり、後部が舞台なので、オーケストラ団員は前に詰めているのだが、なるほど面白い。舞台装置は実に質素であり、テーブルと椅子くらいしかないのだが、きちんとした演技が見られるという点では演奏会形式よりははるかに素晴らしい。しかも本場チェコの実力派歌手陣の出演であるから、私のような激安チケットで鑑賞できたことは贅沢なコンサートであったと言える。 前奏曲に当たるオープニングを飾る旋律は、ヤナーチェクの管弦楽作品の代表作、「シンフォニエッタ」を彷彿とさせるもので、金管の柔らかい響き、ティンパニの高音の響きに引き込まれる。 だが・・・オペラ初心者にこの作品を鑑賞するにはつらいものがある。はっきり言ってしまえば、聴かせどころが無い。アリアが無いのはパンフを事前に読んでいれば承知の上ではあっても寂しいものである。加えて、大切な歌詞は歌われる、というよりはどちらかといえば語られる形式を踏んでいるため、流麗さにも欠けていると言わざるを得ない。さらには複雑極まりない人物相関図。あらすじを何度か読んでなんとか理解できる内容である。 この作品の作曲は1923−25年。同年代と言うには無理があるものの、バルトークの「青ひげ公の城」(1911年)の劇的な展開の印象が強い私には消化不良と感じてしまったのは残念である。せめてエミリア・マルティが自分の素性を告白する場面、息絶える場面くらい、音楽的に劇的な緊張度がほしい。 だが、これを機会に「イェヌーファ」、「利口な女狐の物語」くらいはいづれ接してみたいと思う。そうでなければヤナーチェクのオペラの神髄は理解できないであろうから。 指揮者、オケ、歌手陣、コーラスとも不満のないものではあった。その点では随所にヤナーチェクの管弦楽作品としての魅力度は伝わっていたと感じた次第。演奏はよかったが作品が・・・というところであろうか。
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| 2006年 11月9日 ウクライナ国立歌劇場/東京文化会館 プッチーニ 歌劇 「トゥーランドット」 オレナ・スクヴォルツォヴァ@(トゥーランドット→中国の王女) オレクシィ・レプチンスキーA(カラフ→ティムールの息子) ステパン・フィツィチB(皇帝アルトウム→トゥーランドットの父) ボフダン・タラスC(ティムール→放浪の旧ダッタン王) オリハ・ナホルナD(リュー→若い奴隷娘) ヴォロディミル・コジュハル(指揮) ウクライナ国立歌劇場管弦楽団、オペラ合唱団、バレエ団
さて、幕が上がるが・・・1段目の母と娘さんのカップル。「上演中は他のお客様のご迷惑となりますので、身を乗り出してのご鑑賞はご遠慮下さいませ。」の事前及び、幕間のアナウンスが聞こえないのか身を乗り出したまんま。その母娘の延長線上はなんと舞台の中央前部という最低な視界。不幸中の幸いか、隣が空席だったのでそちらにもたれかかるようにして母娘の頭の間で鑑賞するはめとなった。オペラ・グラスの中には巨大な頭が2つあるし・・・疲れた。マナーは守りましょうね、コンサートならまだしもオペラでこれをやられると最低であります。 さて、私の鑑賞記は的確な演奏評が書けないため、前置きだけやたらと長い。 いつもながら?結論だけ先に書いてしまえば、こりゃ素晴らしい。今回でオペラを鑑賞するのは4度目だが、その中ではピカイチである。なにより私を喜ばせたのは、オケの絶対音量だろう。4階まで充分すぎるほど伝わる、この中国情緒豊かなプッチーニの音楽の旋律美を堪能できるのは堪らない。まるでスヴェトラーノフ/ロシア国立響の爆演を聴いているようだ。 演奏だけなら、これは昨年6月の東響の演奏会形式よりも劣っていたかもしれない。しかし、東響よりも圧倒的に少ない編成が、オケ・ピットの埋もれた中からこのようなメリハリの強い響きを轟かせること自体、驚異的である。 配役はSUOMIさんご鑑賞の前日とはガラリと変わっている。そもそもこの日の演奏会はたしか追加公演だったように思う。前日はどちらかというと質の高い歌手陣が揃っていたのかもしれないが、今回の女性陣も素晴らしい。なんせ主役のトゥーランドット役、オレナ・スクヴォルツォヴァの会場の隅々まで行き渡るような声量、声質、迫力、といったまさに主役としての力量を充分に発揮していたことに感銘を受けた。 リュー役のオリハ・ナホルナの声質も透明感があって美しい。問題は男性陣か。旧ダッタン王役のボフダン・タラスのバリトンはまずまずだったが、肝心のもう一人の主役、カラフ役のオレクシィ・レプチンスキーの声量の低さには落胆気味であった。表情もいまいち。3つ目の謎を解く時くらい、苦悶の表情、解けたときの喜びなんかをしっかり演じてほしい。「誰も寝てはならぬ」はなかなかよかったが・・・ここだけ全力投球か。 舞台装置はなかなか豪華である。まっ、S席5万円クラスの一流オペラ公演とは比較できないだろうが、いつまで経ってもオペラ初心者の私にとっては大変満足できる内容であると感じた次第。 幕間の暇な時間にパンフの公演数を数えたら、全国60公演!歌手は適宜入れ替わるがオケはそうは行かない。恐るべきエネルギッシュなオーケストラ団員、指揮者。・・・敬服に値する。 また蛇足だが、東響での公演では未完部分がベリオ版で落胆したが、今回はアルファーノ版。やはりこちらでなくちゃね。 |
チケット・ポンテのS券半額チケットによる鑑賞。席種が少ないためかS席といっても2階。正面なら舞台から比較的距離があるのだが、指定された席は舞台斜め左側の上から3段目。この席、初めて座ったが、オケが一望できて近い。私は音量が充分伝わらないと不満なので、かえって正面でなくて良かった。響きも美しくまずは良席であった。 2階なので団員数を数えてみたら約62名。私の視線の延長線上のチェリストの女性が気に掛かる・・・・ また美人の話かいな、と思われるかもしれないがその逆。どう見ても65〜70歳くらいに見える。たぶん団員最長老だろうが、その演奏の奮闘ぶりには微笑ましく感じていた。 無料パンフをもらうが、これB4サイズのコピーを2つに折ったもの。国内オケの公演パンフより質素である。おかげで演奏者の顔写真は画像不鮮明で使えず、ネットから拝借させてもらった。 そのパンフでのオケの紹介によれば設立は1853年。その30年後にハンガリー国立歌劇場が完成するとオペラの時はピットに入り、それ以外の日にコンサートを行うという活動が始まったとある。つまりウィーン・フィルと同じスタイルであるのだが、その実力は比べようが無い。 クラシック・コンサートの好きな人にとっては、今年の秋も著名なオーケストラの目白押しである。なかなか高額チケットのコンサートには縁が無い私だが、今年の秋は前回記載のラハティ響の3公演がハイライトであった。 なのでその公演の素晴らしさが耳にこびり付いているためか、この演奏会は希薄なものに感じられてしまう。同じような編成(人数)にも拘わらず、弦の透明感、繊細感というのはラハティ響の方が遙かに上であり、@の演奏ではいきなり違和感を感じざるを得なかった。 Aまたまたラフマニノフの2番である。小菅優というピアニストを聴くのは初めて。1983年生まれで主にヨーロッパで活躍している若手ピアニストのホープであろう。 同曲では前回の小山実稚恵(p)/モスクワ放送響でがっくりしたが、この演奏は佳演だと思う。特に第2楽章での繊細なリリシズムは印象に残るものであった。この作品の生で私の最も感動した演奏は2002年の及川浩治(p)、佐渡裕/都響。そこで感嘆した終楽章での白熱した劇的感情表現というのは、なかなか女性ピアニストに求めてしまうのは無理なことなのかも知れない・・・ Bどこにも不満のない演奏なのに、格別の感動も得られないままの終演。女性陣の多い弦楽群の重厚さにやや不満が残ったのが原因の一つかもしれない。出だしの緊張感、終楽章での推進力と輝かしさも今ひとつであった。終演後、指揮者がホルンとコンマスの女性を讃えていた通り、この2名のソロ部分の美くしい響きが聴けたことは唯一の救いだろう。アンコール2曲中、最後のラコツキー行進曲が最良の演奏であったというのは皮肉である。 同国のオケでは、2003年に接したハンガーリー国立フィル(指揮=ゾルタン・コチシュ)が素晴らしかったので期待したのだが、少々残念な印象となった。 |
1999年のシベリウス、交響曲全曲演奏会を逃した私が、2003年に初めて接して感動したコンビとの再会である。2003年では、シベリウスの「交響曲第2番」の演奏もよかったのだが、なんと言っても「クレルヴォ交響曲」では圧倒的な名演を聴かせてくれた。恥ずかしながら今回初めて知ったのだが、これは月刊「音楽の友」のコンサート・ベストテンの第1位だったらしい。まぁ、ごくたまにしか買わないから知らないのも当然だが、これほどまでに評価されていたとは喜ばしい。 かつてはよく来日したヘルシンキ・フィルはご無沙汰であるし、フィンランド放送響は来日してもシベリウスをほとんど演奏しないから、「本場のシベリウス」をこのラハティ響で聴けるということは、シベリウス・ファンにとっては待望の来日と言えるだろう。 「タピオラ」はシベリウスの管弦楽作品の中でも上位に位置する傑作。今回は2度聴くことになった。できるなら違う演目にしてもらいたいところではあったが、美しい演奏を2度聴くというのも悪くは無いと痛感する。CDではかなり温もりを感じさせる録音なのだが、実演ではひたすらこのオーケストラの透明感が際立つ素晴らしいものであった。 マデトヤとラウタヴァーラの作品というのは、たとえば兵庫公演(県立芸術文化センター)ではコッコネンの管弦楽作品が演奏されるようだが、おそらくこちらの方が聴きやすい曲であろう。 シベリウス以降の作曲家にシベリウスを超えた作曲家はいないのだが、どちらの作品にも独自の旋律美があるということも認めなければならない。ヴァンスカの指示で繰りだされる弦の繊細さ、透明感、というものは日本のオーケストラでは得難い美しさに舌を巻く。 グリーグのピアノ協奏曲・・・本来はペッカ・クーシストあたりでシベリウスのヴァイオリン協奏曲が聴きたかったけれど、ポホヨネンというまだ若干25歳のピアニストの演奏もなかなか佳演であった。第1楽章ではもう一段のスケール感が欲しかったが、第2楽章の繊細感、第3楽章での強靱な打鍵は見事であったと思う。 白眉はやはり交響曲だろう。5番は1、2番に次ぐ名曲だが国内オーケストラはあまり演奏してくれない。生ではたしか2002年のN.ヤルヴィ/エーテボリ響以来である。 以前、某国内オーケストラのホルンについて小言を言ったが、このオーケストラの4名のホルン奏者のうち2名は女性。これがまた完璧に吹いてくれるので、曲の冒頭からずっこけることもなく美しい旋律に浸ることができる。弦、木管、金管、打楽器と、どのセクションとも完璧である。 この5番は確実にエーテボリを越えていた。今宵もヴァンスカの「弱音の美学」は健在・・・というより、その限りなく繊細な表現力はさらに一層磨き抜かれていたようだ。なんと美しくも輝かしいシベリウスなのだろう・・・溜息とともに曲はあっという間に終演となった。 ところで今回の演奏会はS席でトリフォニーは6千円!!サントリーが1万円!なんとも良心的な料金設定である。そしてこのような素晴らしい演奏が聴けるのだから主催者には感謝に堪えない。 アンコール。トリフォニーでは、「テンペスト〜ミランダ」と「行列」。サントリーでは5番が短いためか「ミランダ」、「ある情景のための音楽」、「悲しきワルツ」、「クリスチャン2世〜ミュゼット」とてんこ盛りのアンコールが続いたのだが、あまり演奏会では聴かれることのない曲も含まれていたのが貴重であった。 ヴァンスカは2008年の春でラハティ響の首席を去るという。どうかまた再来日を実現してほしい。こんなに素晴らしいシベリウスは他では得難いものなのだから。 団員が去ってもヴァンスカを再度舞台に引っ張り出すべく、多くのファンは熱い拍手を送り続けていた。 <追記>10月10日公演 前回、SUOMIさんが有料パンフの公演日程のページをご覧の時・・・「あら、2番の公演があるじゃないですか。」私も知らなかったので驚いた。これは都民劇場という大規模サークルの主催。どうやら会員制らしい。「ぶらあぼ」の広告覧にも載っていなかったので知る由もない。 ヴァンスカ/ラハティ響で名曲2番を聴けるのは、ひょっとしたら最後かも知れない・・・スクロヴァチェフスキ/N響のブル8の時と同じ気持ちとなってしまい、急遽一般向け当日券があるのを電話で確認し、駆けつけた。 今回の演目はおそらく9日の芸文(兵庫)公演と全く同じであろう。 @若いころ「シベリウスの後継者」というLPの帯に目が止まり、交響曲を聴いたが馴染めなかった。コッコネンの作品に対する苦手意識はこの作品でも当てはまるようで、格別のコメントは無いというのが本音か。 A前から4列目の左側ということで、鍵盤がよく見える位置。プロの演奏家というのが、いかに繊細な鍵盤へのタッチをしているのかと、そのデリケートな指使いに改めて驚かされる。座席の位置にも影響されたためかどうかは定かではないが、出だしの時点から力感溢れる演奏であり、前回を上回る好演と感じた。が、今宵の聴衆はこの演奏に冷めていたのには驚く。前回同様、ポホヨネンは2曲のアンコールを用意していたと思われるが、1曲目にして早々と拍手が鳴りやんでしまったのは気の毒である。 B3年前にも聴いている・・・おまけにグリーグはダブりだし。悩んだが、やはり最後になるかもしれないヴァンスカ+ラハティ響の2番をもう一度心に留めておきたかった。 第1楽章をやや早めに進めた以外は実にオーソドックスな展開。2番では恣意的な弱音も現れない、まさに正当派のシベリウスなのかもしれない。 思えば私はこの作品に魅せられてクラシック音楽を聴くようになった。あれから30年か・・・第2楽章の低減のピチカートがその長い時を刻むかのように、孤独で寂しげな暗い憂愁の旋律に胸を打たれる。 第3楽章〜第4楽章では、3年前の公演よりも一段と高揚感が増しており、深い感銘を受けた。 やはり今宵が最後なのかもしれない。ヴァンスカはシベリウスの総決算にふさわしく、躍動的な指揮でじっくりとシベリウスの美しい旋律を奏でていく。第4楽章での不屈の闘争心を表出した熱い旋律を経て、一糸乱れぬアンサンブルはついに別れを告げるべく、圧倒的な輝かしい金管の彷彿の頂点とともに感動的な幕を閉じたのである。嗚呼・・・ アンコールは「悲しきワルツ」、再度の熱演「フィンランディア」、そして「クリスチャン2世〜ミュゼット」。 ヴァンスカが長年に渡り(1985-2008春予定)、北欧の第1級オーケストラに育て上げたラハティ響との3度の来日で残したシベリウスの公演は、多くのファンに熱い感動を残したことだろう。これこそ偉業という言葉がふさわしい。 |
スヴェトラーノフ(1928-2002)亡き後、ロシアの指揮者の重鎮といえば、フェドセーエフとこのロジェストヴェンスキーが両巨頭だろう。そのロジェストヴェンスキーがボロディンを振るという。しかも全曲演奏である。 これはある種、画期的な演奏会と言える。名曲の2番でさえ、演奏機会はそれほど多くないのに1番、3番まで聴くことが出来るということは幸せな機会である。 1931年生まれの指揮者は75歳。意外と元気な姿が見られて嬉しい。しかし、年齢から言っても当然ながら淡々と上半身、いや両腕のみと言ってよいほどの指揮は致し方ない。 @とAを続け、休憩を挟んでBという演目順。これはもっとも演奏時間の短い2楽章の3番を最初に演奏し、名曲の2番を最後とするというのは至極妥当である。 ボロディンの全曲演奏で私がもっとも愛して止まないCDはチェクナヴォリアン盤。なんともフレッシュなオーケストラの輝きが適度なスピード感とともに駆け抜けていく。 やはり愛聴盤が基準となってしまっている私にとって、ロジェストヴェンスキーのテンポはいかにも遅すぎる。@は3番とはいえ、曲の内容は実にシンプルで軽やかな作品であるが、この作品に重厚さを求めても仕方ないのではなかろうか。もっと軽快な演奏を期待していたので、違和感を感じたまま短い交響曲は終えてしまう。 Aも同じような印象ではあったが、ボロディンの3曲の中ではもっとも演奏時間の長い充実した佳作。 スローテンポは相変わらず好みでは無いが、エンジンのかかり始めたオーケストラは心地よくボロディンの旋律美を謳っていく。 Bというのは、ロシア屈指の名曲と言って差し支えないだろう。私の今宵の席はオーケストラの右サイド。 生演奏に接しているといろんな発見があって実に面白い。私の目の前には打楽器陣がいたのだが、2番ではタンバリン、トライアングルが入るが、この2つの楽器が加わるだけでとても華やかさが増すことに驚く。 さすがに3曲目ともなるとスローテンポは前2曲ほど違和感も感じなくなっていた。いや、第1楽章のオーケストラの重厚な響きが際立った演奏はこの曲にふさわしいものだったかもしれない。 第3楽章、ハープがポロロンと鳴り、ホルンから木管、そして弦楽に引き継がれる哀愁のメロディは、この曲を初めて聴いたときの感動に誘われる。美しい旋律、美しい読響の演奏。いつまでも続いてほしいと願いたいくらいの楽章である。第4楽章は例の打楽器がアクセントとなり、オーケストラは痺れるほどの輝かしい頂点を築く。この2番の演奏は秀逸であった。 |
東フィル定期は1月以来。前回はカリンニコフの交響曲第1番を目的として行ったのだが、ショスタコーヴィチのオラトリオ「森の歌」により大きな感銘を受けたことは記憶に新しい。今回はアムランのブラームスが目的。これはヴィラ=ロボスの「野生の詩」をCDで聴いたのがきっかけだった。年齢は不詳、演奏会パンフを持ち帰るのをうっかりしてしまったが、出身はカナダだったと記憶している。告知用チラシでは「才気煥発VS超絶技巧」なんて派手な見出しが踊っていたが確かに私もCDで、大変な技巧派と感じていたのは間違いない。 @第1楽章のホルンの出だし・・・初っぱなからズッコケてしまう。これはカリンニコフに次いでとなり、がっかりとする。たしかにホルンは難しい楽器なのだろう。しかしそこはプロ。練習を繰り返し、破綻の無いようにがんばってもらいたい。 アムランの演奏は期待に違わぬ好演となった。このシンフォニックな作品にアムランの強靱な打鍵はオーケストラに埋没することは微塵も無い。どんな難技巧を要求される作品であってもスラスラと演奏してしまうこのピアニストに詩情性を求めるのは無理かも知れないと感じていたが杞憂に終わった。白眉は第3楽章。ひっそりとした佇まいが支配する旋律はこの作品の最も美しい場面だが、見事なまでに繊細な打鍵には煌めきがほとばしる。これは首席チェロ奏者の好演があったからこそ一層引き立っていたのかもしれない。 最近発売されたCDでは、より一層のしなやかさも加わる好演となっており、それが今回の演奏に反映されれば完璧であったろう。とはいえ、躍動感と繊細感の共存は素晴らしいものであり、いずれ1番の演奏も期待しておきたい。今回はロマン派の名曲だったが、録音や演奏会を通じて埋もれた作品の発掘に情熱を燃やすアムランというピアニストに、私は大きな好感を抱く。 A生で「英雄」を聴くのは久し振り。これはオーケストラの機能美を最大限に引き出した好演となった。 きっとかなり入念な練習を繰り返したのだろう。全く破綻の無い完璧なオーケストラは美しく旋律を歌っていく。重厚な響きにはわずかながら欠けるが、それを補うに余りある爽快な躍動感というものは多くの聴衆を魅了していたに違いない。これはブラマル+都響の7番、ノセダ+BBCフィルの5番とともに記憶しておくべき印象深い演奏であった。 |
昨年から始まったフェスタ サマーミューザKAWASAKI。3週間、17公演という規模の大きい音楽祭。 低料金で比較的こじんまりとした公演が並ぶが、今年の飯森範親は昨年の「カルミナ・ブラーナ」を凌ぐ大作、マーラーの「復活」に挑んだ。6日の定期演奏会(サントリー)ならS席で8千円だが、この企画では5千円。しかも今日は1階8列目のど真ん中というほぼ理想的な席であった。このホールは2階正面がベストであるという感想は変わらないが、1階も席数がわずかで、舞台に向かって適度な下り傾斜が心地よい。 今年も19時5分から10分間の指揮者のプレ・トークがあった。ザルツブルク郊外の小沼の多い、ひっそりとした避暑地の景色と思い出、マーラーの演奏歴、曲目の簡単な解説、声楽陣、ゲスト・コンサートマスターの紹介などが優しい口調で語られた。 今宵のオーケストラはコントラバスが左側、第2ヴァイオリンが右側となる、いわゆる両翼配置。舞台裏では左側にホルンとティンパニ、右側にトランペットの一部が配置され、合唱団はバックステージ全部と横も一部使用で約200名。さらにオルガンまで加わるのだから、まさに大編成である。きっとエキストラ奏者も加わっていたことだろう。 理想的に近い真ん中の席で両翼配置によるオーケストラの音色が聴けるというのはとにかく素晴らしい。第1、第2ヴァイオリンは互いに会話をしているようでもあり、ゲストコンマスの高木和弘の柔らかい音色も際立つ。舞台裏の金管群ともども音の立体パネル状態であった。 きっと飯森範親という指揮者は40歳を過ぎたくらいだろう。まだまだ指揮者としては若手と言っていい。 だが長い指揮者人生の中で40〜50歳とい期間は指揮者としてひとつのピークを迎える時期であるということは間違いない。私は先日亡くなられた岩城宏行氏、そして小澤征爾氏が汗だくで髪を振り乱し、鬼の形相とともに激しい指揮振りをしていた映像と重ね合わせていた。もちろん今回は表情は見えない。しかしマーラーの熱き旋律に取り憑かれたかのような指揮者は、オケ、歌手、合唱団から熱い演奏を引き出していたのであった。 これは先日、CDで感想を書いたブーレーズとは対極にある演奏。若さと情熱でマーラーの大曲に挑んだ飯森氏の演奏は、ブーレーズのように冷静な解釈で曲の旋律美を際立たせたものではない。当然ながらウィーン・フィルと比べること自体もナンセンスである。しかしすべての演奏者が懸命にマーラーと対峙すると、これほど聴衆を燃えさせるものか、と改めてコンサートという1回かぎりの音楽的完全燃焼を共有できる幸せに共感を覚えるのである。 第4楽章、美しい「原光」を歌ったアルトのヘレン・ラナーダは、激しいブラボーのかけ声の中、感極まったのか静かに涙を拭っていた。そして私もつられるように・・・ |
<佐山雅弘>1953年生まれ。国立音大作曲科在学中より音楽活動を開始。これまでにリーダー作として12枚、PONTA BOXとして11枚のアルバムをリリース。美しさと激しさが渾然となったピアノプレイと共に、作・編曲家、音楽監督としての活動も高い評価を得ている。 1991年大坂昌彦の帰国当初から小井政都志と3人でセッションを重ね、97年頃より新世代スーパー・ジャズ・トリオ「M's(マサちゃんズ)」として正式にユニット活動を開始。現在、名古屋音楽大学客員教授、ミューザ川崎シンフォニーホール・アドバイザー。 6月はコンサートを自粛したのでお久しぶり(でもないか)という感じ。ミューザは遠い。最近ますます車の運転がしんどくなってきた。行きは3時間半、帰りはガラガラの高速を飛ばして1時間半という時間的な落差はいかにも都会らしい。 @現代音楽は苦手な分野であるが、わずか6分程度の小品であるからあっという間に終わってしまい、さして印象に残らない作品である、と言ったらこの国で最も著名な作曲家には失礼か。 A言わずと知れた2番に次いでラフマニノフのピアノ協奏曲の佳作。ジョン・ナカマツとは名前からして日系米人なのだろう。パンフでは97年の第10回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝、という紹介がされていた。 3番というのはこのコンサート記を書き始めてからは初めての生演奏ではないだろうか。第1楽章の第1主題からピアノの繊細で美しいタッチが心地よい。この作品は2番という名曲よりは叙情的な旋律が控えめな割に、高度な技巧を要求される作品であろうが、ナカマツの自信に満ちたテクニックは微塵として乱れること無く明快なタッチで弾き進む。第3楽章終盤の、第2番をずっとコンパクトにした叙情的旋律の高揚感も輝かしく、まずは完璧な演奏で素晴らしい。 B昨年の2月に小曽根真のピアノで聴いて以来2度目。今回はトリオでの演奏であった。前回も書いたようにこの曲は実質的には2楽章のピアノ協奏曲。佐山雅弘は終始この難曲をオーケストラの音量に屈することなくしっかりと対峙していたのが印象的であった。前半ではやや堅さも見られたが、後半はリズミカルな打鍵が流れるように進んでいく。とくにベースの小井政都志、ドラムスの大阪昌彦が加わってからは実に快調な展開を見せていた。しかしこの曲、ピアノだけ、あるいはピアノ・トリオを入れてもよいという指定になっているのだろうが、そうであればトリオで演奏された方が断然華やかである。 トリオで、チック・コリアの作品がアンコールとして演奏されたが、聴衆の喝采を浴びていた。やはりジャズの演奏家は譜面の拘束から解き放たれると、なんと楽しい演奏となるのだろうか。 |
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私の記憶では、この浦和埼玉会館へ足を運んだのは2度目。いつのことなのか、どんなコンサートだったのかさえ覚えていない。 埼玉でオーケストラが演奏されるのは主に3ヶ所。所沢ミューズ、大宮ソニック、そしてここ。与野には埼玉芸術劇場というのもあるが、室内オーケストラ、室内楽がメインとなっている。つまりオーケストラのクラシック専用として使用されているホールといったら所沢ミューズしかない。多目的ホールで聴くのは本意ではないし、超名曲の演目ではあったが、小山実稚恵のラフマニノフを聴いてみたいので出掛けてみた。S席でも料金は手頃であった。 @この作品は多くの方がご存知のとおり、ピアノの独奏で始まる。この会館所蔵のスタインウェイの響きは明るく明快にその美しい打鍵が心地よく響いてくる。これは期待できるかと思いきや、オーケストラが鳴って以降は疑問符の付いたまま終了してしまった。問題は2つほどあるのだろうか。まずはホールの響き。相当な築年数の経過したホールは改装されているようで、内装に木質感を強調し、舞台の音響反射板でさえ木であり、見た目は一見クラシック専用ホールと錯覚するほどなのだが、出てきた音は?であった。私は16列目の中央やや左サイド。16列目といっても膝のスペースが狭いからオペラ・シティなら12列目くらいではなかろうか。つまり絶好のポジション。なのにオーケストラの音量が低すぎる。ピアニストに配慮したものなのか、それともホールのせいなのか・・・。以前、協奏曲はオケとソリストが競奏曲を奏でた時に感動する、という趣旨のことを書いたが、オケに競奏する意志がなければ空回りとなる。こんな具合だから小山実稚恵も気分的に乗れないのだろう、第1楽章後半では部分的にミスタッチさえ出る始末である。終楽章の情熱的な旋律も高揚感に欠けたもので、期待はずれに終わってしまったのは残念である。 A前半で帰りたい衝動を我慢して後半に臨んだが、さして好印象は残らないままである。やはりホールのせいもある。ほとんど残響音もなく、音がどこかへ抜けてしまって充分に響かない(届かない)という事態は、かつての群馬県の某ホールの記憶が蘇る。まぁそこまではひどくはないのだが、やはり多目的ホールで聴くものではないというのが本日の教訓か。 自国の偉大な作曲家の素晴らしい名曲を日本の聴衆に伝えたい。そのためには一つ一つの演奏会に全力を尽くす。そういう気持ちで演奏してほしい。今年の1月にフェドセーエフは東フィルとショスタコーヴィチの「森の歌」で感動的な演奏を残したが、その彼でさえやる気のない団員を鼓舞することは出来なかったようだ。ロシア屈指のオーケストラ+名指揮者=感動的な演奏、となるとは限らない。 |
私は2002年からクラシック・コンサート通いを再開したのだが、ニールセンの4番を生で一度も聴いていない。一昨年だったか、ヴァンスカ/読響に行くことが出来なかったので楽しみであった。 指揮者は初耳。名前からしてスウェーデン人かと思ったが、パンフでは「1960年ニューヨーク生まれ、ノルウェー日系の米国人で、現在はコペンハーゲン在住。」と紹介されていた。なるほど、若干だが日本人的な顔付きとも取れる風貌は写真とはやや異なりかなりの長髪であった。しかしその長髪を振り乱すわけでもなく、下半身の動きはほとんどなく上半身のみでアクセントを付けるという、極めてオーソドックスで大人しい。よく言えば誠実な指揮振り、というところか。 半分とは言え、北欧の血が入っている指揮者らしいプログラムか。しかしどうせならAなど入れず、オール・ニールセンだったなら、なお私にとっては魅力的なプログラムと感じたであろう。 @ニールセンらしくない陽気な作品。5分程度の簡素な曲だが、断片的に交響曲を想起させるような旋律が顔を出す。 Aルガンスキーの演奏を聴くのはたしか一昨年5月のゲルギエフ/ロッテルダム・フィルでのラヴェルのピアノ協奏曲に次いで2度目だと思う。現在、ロシアのピアニストの中では最も活躍している一人なのかもしれない。 内容的には大変素晴らしいもの。1楽章での強靱な打鍵はスケール豊かなオーケストラと堂々と渡り合う。2楽章での繊細なタッチも魅力的。3楽章での圧倒的な高揚感というのは昨年の小山実稚恵の演奏に肉薄するほどの好演と言える。黄色い声での「ブラボー」は珍しい。女性陣にはたまらないピアニストなのだろうか。 B全く派手さのない、視覚的には大変つまらない指揮振りなのだが、やはり誠実な演奏だ。都響の演奏では2003年12月のアンソニー・ブラマルのベートーベンの7番以来の感動だろうか。この曲特有の緊張感、輝かしさ、壮大な終楽章・・・北欧から生まれた名曲は生で聴くと一層の爽快感をもたらす。テンポはやや早めではあったが、何かに取り憑かれたような高揚感が胸に迫る。完璧なアンサンブル、破綻のない木管、金管。そして・・・感動的な2台のティンパニによる連打だ。連打というより奏者同士の戦いのようでもある。以前、テレビでN響の演奏を観た時は2台のティンパニは接近していたが、今宵は両翼に配置されていた。前から12列目のほぼど真ん中に位置した私にとっては理想的な響きで感銘を受けた。さすが・・・さすがプロである。 |
15年振り?いや20年振りだろうか。本当に久し振りにNHKホールに足を運んできた。いつものとおり車だったが時間にゆとりがあったので、わざと渋谷の駅前から公園通りをのんびり走り、そして坂上の区役所付近から地下駐車場へ。NHKホールの前は車が入れないゆったりとした遊歩道。そのまま北へ歩けば原宿駅方面へ続いていく。歩道の両脇には沢山のテントが並んでいた。おそらくこの週末に開催されるアジアの国々の物産展の準備が進んでいるようだ。 私がこのホールを避けている理由。それは昔と違い、東京にはクラシック音楽専用ホールが増えている現状では、あえてこの巨大な多目的ホールで聴く必要性を感じていないから、ということに他ならない。この気持ちは今後も変わらないだろう。今回のような特殊な事情以外は。 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ。舌を噛んでしまうような名の指揮者の振るブルックナーにこれ程入れ込むとは自分でも意外であった。1923年10月3日、ポーランドの生まれ。つまり今年で83歳である。そのスクロヴァチェフスキが8番を振るという。おそらく彼がこの名曲を日本で演奏するのはこれがラストであろう。(12、13日の2公演)これを逃すときっと後悔するかもしれないと思った時、予定を変更してまで当日券を求めに行ったというわけである。 満足できる席はオケ・ピットしか無く、前から2列目のほぼど真ん中。斜め右3m先には指揮者がいる状態である。こんな状況だからホールの感想は正確を欠くかもしれないが、特に不満のある響きでは無い。曖昧だがサントリーと東京文化会館を足して2で割ったような音、といったところか。ほぼ満席に近い入りはさすがN響の実力を垣間見る。 ブルックナーのファンであるならば、その交響曲の中で最大の名作は?と問われれば殆どの方が8番と答えるであろう、私もそう思う。スクロヴァチェフスキ自身にとっても特別な思い入れのある作品なのであろう。そうでなければ3つのオーケストラで3度も演奏はしないはずである。 読売日本交響楽団(2002年9月13日)、ザールブリュッケン放送交響楽団(2003年11月6日)。いずれも感動的な名演を残した指揮者の総決算なのであろうか・・・ やはりN響は巧い・・・当たり前の事を言うようだが、その実力は日本のオーケストラでは圧倒的に抜きんでている。これではへたな外国オケでは敵わないだろう。N響は常に模範的な演奏をそつなくこなす、というイメージもあるのだが今宵は違う。私の位置からは弦楽群のメンバーの顔がよく見えたが、かなりの熱演ぶりである。完璧なアンサンブル。破綻が出やすい金管が常に完璧なのはこのオケくらいのものだろう。分厚く重厚な響きは目を閉じればドイツの一流オケとも遜色がなく、これほどどっぷりとブルックナーの世界に浸れることは幸せな事である。4年前よりも3年前、3年前よりも今回の演奏。歳を重ねるたびに肉体的には衰えたはずの老指揮者は、終楽章ではさらなる輝かしい雄大な生命力を注ぎ込み、終結したのである。心血を注いだ名演というのはこの事だろう。繰り返すがおそらくスクロヴァチェフスキは明日の公演をもってこの曲の演奏を止めると私は思う。素晴らしい締めくくりである。 そして老指揮者はベートーベンと対峙していく・・・ |
このコンビ、来日のメインは「ニーベルングの指環」の公演。いつかは生で聴いてはみたいと思うが、なんせ1公演単価のS席は高すぎて手が出ない。しかし調べてみたら、通常のコンサートも行われる予定を知り、急遽手配して行ってきた。S席だからなのか席は簡単に取れ、しかも2階の6列(最上段)のど真ん中。ここは他のホールと全く違い、この席でも大変ステージに近く、最高の席であった。いつかは座りたかった2階の真ん中。あ〜、私はこのホールの響きは都内、近郊のホールでは最も素晴らしいのではないかと思う。同じワインヤード型のサントリーとは響きは大きく違う。サントリーはどちらかと言うと重厚な響き、ここミューザは爽やかで開放的な音色である。 @私は初めて聴いたが、ロシア管弦楽曲集とか、CDとなってからは「展覧会の絵」と同一カップリングされていることもある作品。だが、あまり知られていない曲であろう。この未完の歌劇の前奏曲はわずか6分たらずの作品だが、一聴してそのあまりの美しさに魅了されていた。「朝日が教会の金の尖塔を照らし、鳥がさえずり、教会の鐘の音がこだまする赤の広場が描かれている。」とパンフの解説にあったが、なるほどと思わせる情景描写が鮮やかである。その爽やかで、愛くるしい程の叙情性に感動し、後日私は急いでCDを発注していた。 A1曲目の余韻が強烈でこの作品は途中までボーっと聴いていたかもしれない。しかしながらこのオーケストラの演奏は素晴らしい。敢えて言うなら木管に今ひとつの繊細さがあったなら、とも思うが現在のロシアのオーケストラでは最高水準ではないか。絢爛豪華で華やかな音色は時に優しく、時に輝かしく、聴き手を大いに魅了させていた。 Bこの曲は生で何度も聴いている。しかし思い出深いのは前にも書いたと思うが、私が貧乏学生時代に初めて外国オーケストラ(ブロムシュテット/ドレスデン・シュターツカペレ)で聴いた時の印象があまりにも強烈であり、その後の演奏はほとんど記憶がない。だが、今宵の演奏は忘れないものになるかもしれない。私のとなりの若い女性は、余程この作品が好きなのか、頭を少し前に垂らし・・・つまり作品の旋律を噛みしめるように聴いていたのが、やや目障りでもあり、微笑ましくもあった。終楽章の頂点では後ろにのけぞっていたのにはびっくりだ。第1楽章の重厚な響き、第2〜3楽章での美しい響き、第4楽章での圧倒的な輝きは、ゲルギエフの繊細な棒さばきに支えられ、団員は燃焼し尽くしていたのである。 アンコールはなし。それでいいのではないか。これほど熱い演奏の後では止めておいた方が良い。この組合せにしてはS席でも格安な料金。しかも素晴らしい演奏が聴けたのだから大変満足であった。 |
久し振りにオペラシティのS席(前から9列目の左側)に座った。他のホールよりも断然、膝のゆとりが違う。椅子の質が他ホールより良いということはないが、非常に心地よい。しかも木の温もりの溢れる内装、そして美しい残響音。あまり来ないが、大変素晴らしいホールだと改めて実感する。 今宵のお目当ては@。私が25年以上愛し続けているロシアの隠れた名曲。2001年には大阪へ、昨年は福岡まで遠征したが、そろそろこういった無茶もこの曲に関しては終わりにしたいと思う。 さてフェドセーエフ。昨年は病気で公演をキャンセルしたことがあった思うが、颯爽とした足取りで登場し、元気そう。第1楽章からゆったりとしたリズムを刻んで行くが音楽は停滞しない。弦の弱音の表現もこの人の指示が団員によく伝わっており、美しい。第2楽章はこの曲の白眉だが、2台の繊細なハープに続くイングリッシュ・ホルンがやたらと巧く、感動的であった。第3楽章の躍動感、終楽章の華麗な輝き、と申し分のない表現だったのではなかろうか。しかし唯一ホルンだけが絶不調であったのが残念である。 A曲の存在は知ってはいても私は初めて接する曲である。舞台の奥には男女の混声合唱団。中心にはテノールとバリトン。さらに2階バックステージに少年少女合唱隊、両脇にブラスが配置されるという大がかりな布陣であった。 ショスタコーヴィチというと交響曲や室内楽から受けるイメージは暗いが、時に「ジャズ組曲」のような明るい作品に出会うこともある。この作品も祖国及び自然賛歌を歌いあげた合唱曲で、明快な旋律と合唱の迫力と繊細さは比類のない美しさをたたえた曲として初耳であっても大きな感動に包まれた。@とうって変わって完璧なオーケストラ、独唱の2名、合唱団の力演といい、誰しもこの場にいた聴衆は息をのんだに違いない。ああ・・・私にとってこれは東フィルのベスト・コンサートである。このような素晴らしい演目を組み、見事な名演を披瀝したフェドセーエフには感謝するばかりである。 |