友よ「まだ教会に行っているよ」

   貴田陽一

 

 

 「ヨーチャン、まだやってんの」。あきれ顔で言う友に、「なーに口ばっかりの野球だよ」。その名は越谷壮年野球連盟・越ケ谷クラブであり、私はその一団員である。

 一年に六試合ある。日曜日朝六時試合開始、その時にチーム編成、即ち九人が集まっていないと負けである。

 従って私は忠実な団員として、員数にかぞえられている。

 一年間六試合の中で私が用いられる時は次のような時である。当球団が大勝している時か、大負けしている時である。

 そんな時の私はあの栄光に輝いた青年時代の名選手にもどり、バッターボックスに入ったり守備位置につく。結果はバッターの時はきまってセカンドゴロである。相手投手の球威に押されて私のバットが一瞬遅く出るらしい。ベンチのチームメイトは、それが当然のように思っているらしい。せいぜい「良く当たったね」が最高のほめことばだ。

 そのチームメイトの中に栗原勇がいる。私が日曜学校の行く道に現れて「アーメン・ソーメン・トットロメン」と悪がきどもとハヤシ立てた私の信仰の敵であった。

 その勇がベンチから最大の声援をおくってくれる。そして球場までの私の車に必ず乗る。その道々の会話は楽しい。彼は当球団の主戦投手である。ちなみに壮年野球は35才以上の壮年で1チーム20名が編成メンバーである。だから若い投手を持っているチームほど有利なわけだが、当球団は主戦投手に彼を置く。彼の老練さとしたたかな投球術が年齢の衰えをカバーしてあまりあるからだ。

 主はほほ笑んでいらっしゃるだろう。少年時代宿敵のような関係だった私達が今一番の仲良しになって車の中に居ることを。あの当時の仲間達は野球から去って行って、たった二人残ってしまったね、と。

 主は教会に私を招いて下さった。多くの友人が「まだ教会に行ってるの」と言う。

 多くの友がそれぞれの人生を送っている。あの顔この顔が浮かぶ、それぞれの戦いがあったろう。

 その多くの友の中から私を選んで今もその友の中で「キリスト者・ヨーチャン」が生かされている。

 それはそうだ、少年時代に私を捕らえて下さった主が、毎週日曜日今も新鮮な心の糧を十分に与えて下さっているからだ。

                                                            (きだ よういち)

 

越谷教会月報『みつばさ』2001年9月号 特集「底から支える十字架の主」より

 

 

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