新マルタ考

薩摩 雅宏

 講壇交換ということで北川辺伝道所の柳下仁先生による御言葉を聞く機会が与えられました。聖書箇所は、有名なマルタとマリヤでした。
 この箇所は、どうしてもマリヤにスポットが当たり、マルタは損な役回りをしています。そのマルタを中心にお話が展開しました。マルタは、主をもてなすためにクルクル働きました。そのことは、決して否定されるものではないこと。このことは、熱心に御言葉に耳を傾けたマリヤの姿勢のほうが主が喜ばれると思っていた私の思いを根底から覆すものでした。柳下先生がおっしゃるとおり、「婦人会ぬきでは、バザーのバの字も始まらない」というのは真実だなと思います。バザーだけでなく、教会のほとんどがそうであるようにも思えます。
 ラザロの復活の場面でも表まで迎えに行ったのは、マルタでした。そして信仰告白をしているのもマルタです。こう考えると、マリヤはおしりの重い妹だったのかもしれません。しかし、実は私はマルタは働き者のクリスチャンだと前々から思っていました。なぜかと言うと、私の義母は「春風マルタ」だからです。
 それから、もう一つ大利根町出身の同僚から聞いたおもしろい話があります。昔、埼玉県と茨城県の間で北川辺村と五霞村を交換する話がありました。しかし、埼玉県は北川辺が穀倉地帯であったので拒否したということです。もし、このとき交換していたら講壇交換どころではなかったのですね。(この話には続きがあって、今では五霞村が工業団地地帯になり茨城県の方が拒否しているそうです)。

(さつま まさひろ)