さくらのころ観る
  能 熊野(ゆや)

澤木八重子

 花が咲き初めたかと思うと慌しく散り去りゆく弥生のころになると、どうしても観たくなるのが、熊野である。
 平宗盛の寵愛をうけている熊野は、今は京都に住むが、遠江(とおとおみ)(静岡)には、娘の帰りを待っている病気の老母がいる。主人に暇を乞うが許してもらえない。そこへ侍女が母からの便りをたずさえてくる。読み終えた熊野が独り言を謡う。
 「草木(そうもく)は雨露(うろ)の恵み、養い得ては花の父母たり。いわんや人間においておや。」
 森羅万象は、あまねく創造主の恵みによって生かされている。ましてや心ある人間にとって父母の養いがどれほどありがたいものなのか。そして、宗盛にむかって
 「花は春あらば今に限るべからず。(然しこの春は)玉の緒(母の命)の永き別れとなりやせん。御暇(おんいとま)を賜り候え」
 と頼むが、そのように心弱くてどうする、それより一緒に花見車に乗って花見に出かけ心を慰めようと、花見を奨める宗盛。
 これから先、清水寺まで、牛車から見る、様々な京都の町並みが楽しい。
 「四條五條の橋の上 老若男女貴賎都鄙(きせんとひ)色めく花衣 袖を連ねて行く末の 雲かと見えて八重一重 咲く九重の花盛り…」
 子安の塔を過ぎて清水寺に到着、すぐに熊野は佛の前に母の恢復を念誦(ねんじゅ)する。一方、宗盛は一刻も早く桜のもとで酒宴を催したい。侍女に迎えをよこす。花の宴どころではない熊野に歌や舞を所望する。
 宴も酣(たけなわ)のころ、折から、村雨が降りきたって花を散らすのを見た熊野は
 「あら、心なの村雨やな。」
 と、散る花と母の命を重ねあわせて、憂色をたたえた面持ちとなる。さすがに宗盛も熊野の心情を察し
 「げに理(ことわり)なり、はやはや、暇(いとま)とらすぞ。」
 宗盛の鶴の一声に、熊野の面(おもて)が白く映え
 「これまでなりや嬉しやな、これまでなりや嬉しやな。かくて都にお供せば、またもや御意の変わるべき、ただこのままにお暇と……」
 熊野は、主人の心変わりせぬ間にと、明るく謡う地謡に送られるように、うきうきと、母の許に帰ってゆく。
 謡曲「熊野」によって演ぜられるこの能の美しくも愛らしい女性の生き様(よう)が、現在も生き、観る人の心を魅了するのだと思う。私は今年もまた「熊野」を見て夢中になりたいと思っている。

 春朧(おぼろ) シテの出(い)で待つ 笛太鼓
 面白く 故郷(さと)に帰らむ 熊野の春

(さわき やえこ) 

みつばさ2003年4月号「私・・・に夢中です!」より

*写真はhttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/duck-hal/yuya.htmより
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