島崎光正 遺稿詩集に寄せて


永野 昌三

 現在の私は頂いた主題のような、何かに「夢中」になることは残念ながらないといってよいでしょう。ほかの人は判りませんが、私がすでに六十代半ばに近いからともいえるでしょう。確かに何かに「夢中」になる時代はありましたが、今日では殆んどありません。
 「夢中」になるということは、一種の感動に近いものでしょう。それは興奮の連続とも言える心の状況ではないでしょうか。今、私は詩を読んでいますが、興奮の連続ということではなくて、ある意味での、詩の内容に対する確認のようなものといえます。
私の敬愛する詩人島崎光正氏の遺稿詩集が二〇〇一年の七月に、教文館から出版されました。

加藤常昭編 「帰郷 島崎光正遺稿詩集」

 すでに多くの方々が読まれていることと思います。
 島崎氏は二〇〇一年十一月二十三日死去(くも膜下出血)八十一歳でした。
 橋本洽二氏の年譜によりますと
「島崎光正一九一九年(大正八)十一月二日福岡にて、島崎光頼・早苗の長男として光正出生。すでに二分脊椎症の障害を負っていた」と書かれています。光正氏の父は医者で、光正誕生の一か月後にチブスで死去しています。光正は信州の祖父母に育てられることになります。生みの母とは生前に一度も会うことはありませんでした。
 島崎氏はキリスト者であり詩人でもありました。その作品は当然、キリスト者のいのちと詩人のいのちが一つの心象のナイーブな詩に結晶しています。一篇を「島崎光正遺稿詩集」から紹介します。

日録 T            島崎光正

 母の胎の
 海の中で拾った貝殻を
 枕辺に
 迎えのしるしに並べ
 私は朝毎に眼覚めている

 八十歳に間近の
 慣いのように

 磯辺に寄せるさざ波の
 衣ずれの
 音をひそませ
 早苗
 早苗
 このしののめに
 また、来たりませ

(ながの しょうぞう)

月報みつばさ2003年9月号「私・・・に夢中です!」より