サッカー大好き          

  中島 信子

 今の私にはこれといった趣味はない。以前は墨絵に懲っていたがやめている。  
 さて、夢中になれるのはやはり「サッカー」である。兄が中高とキャプテンをしていた事もあってか、Jリーグ始まって以来のファンである。
 隣の子が中学でサッカー部に入っていてよく雑誌を買ってあげたりしていた。細かいルールがわかっているとは云えないがとにかく90分間はテレビにかじりついている。手には選手名鑑を持っていて徹底的に選手名を覚えようと努力している(ボケ防止に)。もっぱらテレビ観戦なので45型のプラズマが欲しいのである。終了後のさわやかさは格別である。
 「アー私はどうしてサッカー選手と結婚しなかったのかなー」とぼやいていると、里帰りしていた娘が「もうおそい!」と捨てゼリフを云って私の前を通り過ぎて行く。              
 若き日の私は、スポーツなんてバカにしていたが、今はちがう。スポーツの礼賛者だ。年老いて行くにつれ、彼らの逞しい身体に魅せられてしまうのだ。本当にスポーツは美しい生きた身体芸術だ。神が人間にのみ与え給うたものの一つだ。人間は鍛えれば鍛える程美しい体になるのですね。極限までベストを尽くす精神力の強さ!毎日の苦しい鍛錬、練習があってこそ実を結ぶ事が出来るのだ。「求めよさらば与えられん」で信じて努力すれば必ず賞をもらえるのです。(ウラワレッズがんばれ頑張れ!)
 
 時に思ってみることですが、私は一度、サッカーボールになってみたい(出来れば昔からの白黒のものが良い)。あの若人たちの逞しく美しいフォームで蹴られてみたい。そしてあの白い網にゆらりと波を立てながらはまってみたい。近い将来天国の門に入るであろう私は、あのボールのように美しくゴールしたいものである。多くの「ディフェンス」(サタン)をものともせずくぐり抜けて行く、高速ドリブル上のボールでも、ボレーシュートのボールでも、オウンボールのボールでもなんでも良いのだ。とにかく無事にゴールしたい。
 今や世界はオリンピックモードに入っている。その運動の原点を思い出させるアテネのプニクスの丘にて人類愛を体現する事が出来ますように!スポーツマンシップの欠如しているこの地球に早く平和が訪れますように。そして、スポーツが世界平和のために役立ってくれますようにと切に祈るこの頃です。

        (なかじま のぶこ)


越谷教会月報みつばさ2004年7月号「私・・・に夢中です」より