「GODBREATH」を追っかける 

              橋爪 協子

                   

  別れが来ると知っていたけど 本当の気持ち言えなかった
  色とりどりの折鶴たちに こっそり話しかけていました 
  愛する人たちの優しさ 見るものすべて愛しかった
  もう少しだけでいいから 皆のそばにいさせてください 
  泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えていた
  祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした  (INORI)


 長々とごめんなさい。ヒロシマの原爆の像のサダコをテーマに作られた歌で、作詞は、GODBREATH(ゴッド ブレス)というロックグループ(四人)。リーダーは、サダコの甥の祐慈(YUJI)さん、ボーカルでもある。曲は、モンゴルのアーティスト。
 春、所属する研究所主催「軍隊のない国コスタリカ」訪問を控えて、平和のシンボル「折鶴」を伝えようと資料集めに熱中していた時、インターネットでこのグループの存在を知り、ライブに初めて出かけたのは、一年前。
 ぎんぎん、ちかちかのライブ会場で、彼らは、「折鶴に平和を」のメッセージで、「たいせつな夏」「SADAKO」等を歌い、時には、平和について熱いトークを展開。 以来、東京でのライブに駆けつけている。
 二歳で被爆したサダコは、十二歳で亡くなった。
 
  
突き刺さる雨の色は黒く 
  焼き尽くされた街を染めていた 
  汚れた時代の犠牲者に 
  なった幼いひとりの少女 
  その命をむさぼる悪魔を 
  誰にも止めることは出来なかった・・・
              (SADAKO)


 被爆七年後に発行された「原爆の子」には、何万人ものサダコがいる。かれらの歌は、聴く度に私の胸に痛く響き、被爆の日の情景が涙となる。
 六月、「越谷母親大会四十周年」に際して、彼らを呼ぶことが出来た。まだまだこれからのミュージシャンであるが、メッセージ性を大切にして、大衆におぼれない姿勢で伸びていってほしいと祈っている。
 アメリカ ニューメキシコ州サンタフェには「子どもの平和像」、シアトルには「サダコの像」、スペインには「サダコ学園」が。このほかにも世界のあちこちにサダコの強い生き方に共鳴した人達がいるという。
 NHKヒロシマが出版した「サダコ」では、そのすべてに近い詳細がわかる。
 こうしてサダコに近づきながら、GOD BREATHを見守り、追っかけることが「わたし・・・に夢中です」に近そう。

(はしづめ きょうこ)  




越谷教会月報みつばさ2004年9月号「私・・・に夢中です」より