都内歩き 

中井勇二

 最近、都内を歩くとき、予め地図に記されているキリスト教会に丸印しをしておいて、コースの途中にその教会に立ち寄ってみます。
 教会(敷地)内に入れる所は少ないのですが、豊島区南大塚の巣鴨教会の敷地内に、山田耕筰作曲、北原白秋作詞のからたちの花発祥地碑がありました。歌といえば「男はつらいよ」ですが、柴又駅前に車寅次郎(渥美清)の像が立っています。帝釈天から江戸川に出ると、「矢切りの渡し」があります。
 渋谷は教会が多いところです。私が毎週木曜日にインターネットで礼拝予告を送っていますが、そのときに添付する文章の「福音のタネ、笑いのネタ」を書かれた山北宣久先生が牧される聖ヶ丘教会があります。渋谷道玄坂には与謝野晶子の「母遠うて瞳したしき西の山相模か知らず雨雲かかる」の歌碑が立っています。
渋谷から南に歩き目黒に出ると、江戸時代中期の儒者青木昆陽の墓があります。途中道を尋ねると「かんしょ先生」の墓はこの道を行くと教えられました。四百年経った現代でもかんしょ先生と呼ばれているのかと墓地へ行って見ると、墓碑に「甘藷先生墓」と記されていました。


             

 昔、日本橋を起点にして各街道に一里塚がありました。文京区向丘に追分一里塚跡が区指定史跡になっていますが、板橋区志村坂上には大きな榎がある中山道の志村一里塚があり、北区西ヶ原には岩槻街道(お成り街道)の西ヶ原一里塚が残っています。越谷市にも日光街道に、埼玉県指定の蒲生の一里塚が草加市寄りにあります。

       

 墨田区には、賀川豊彦先生ゆかりの東駒形教会(本所賀川記念館・光の園保育学校)が建っています。以前は隅田川テラスにはホームレスの人たちが沢山住んでいましたが、今は全く見当たりません。都が保護したのでしょうか。

       (なかい ゆうじ)

越谷教会月報みつばさ2005年11月号「私・・・に夢中です」より