歩いてます

  岡林 邦子

 日光街道というより、東武線の日光駅から浅草駅まで歩いた。
 日光駅まで電車で行き、三駅分くらい歩き、電車に乗って帰り、次は乗った駅まで電車で行き、また三駅分くらい歩き電車で帰る。この繰り返しを約二年かけて歩いた。
 スタートは秋だった。日光連山の紅葉を楽しみながら日光杉並木を、冬は真っ白な日光連山を背に歩いた。新栃木を歩いている頃は「春」になっていた。雨の日も歩いた。新鹿沼あたりでは個人のお宅の「わたしの美術館」に心暖まる時が与えられ感謝。
 初夏は太平山のあじさいを。秋は桜で有名な権現堂堤の紅葉を楽しんだ。
 寒い冬は、春日部あたりを歩いた。
 二度目の春、せんげん台から越谷に向かって歩く予定。「今日は私に任せて」と心に秘めて歩き始めた。ところが…
 日光街道(旧四号線)は車も多いし、歩道が狭いので、駅を降りて西側を歩くことにした。住宅街を咲き始めたお庭の花に見取れ、お喋りに夢中になり、住宅表示も「袋山」「大林」。大丈夫、私の知ってる地名。もうすぐ越谷。ところが、気がつくと標示が「岩槻」。えっ?どうして…おかしいなと思いつつも歩いていると、川?橋がないと進めない。どうしよう!でも、道を間違ったおかげで、越谷の梅園の梅の花たちが私たちを迎えてくれた。
 この時から、なるべく線路から外れないで歩こうと仲間は心の中で思っていた。
 ぼたんの時季は西新井大師へ、しょうぶの時季は堀切へ、北千住あたりは、まだまだ道幅の狭い昔の商店街で懐かしさを感じ、楽しく歩いた。
 最後の「浅草」ではおいしいご馳走をいただき、「浅草寺」へ。
 この二年間、日光街道だけでなく、寄り道も楽しんだ。日光の滝へ。そして都内の散策も。年末には「江戸五色不動」を一日で巡った。「目黒」「目白」は耳慣れた地名だが、「目黄」「目赤」「目青」の不動尊を巡った。(詳しくはインターネットでどうぞ)
今年から、水戸街道というより、常磐線をまた歩き始めている。 

(おかばやし くにこ)


越谷教会月報みつばさ2006年4月号「私・・・に夢中です」より