「私は…に夢中です」から解放される日

貴田 陽一

 十五歳で就職しました。定時制高校に行きました。不安でした。その年のクリスマスに長尾丁郎牧師により受洗しました(一九四九年)。
 最初の給料で念願のハーモニカを買いました。その楽器店の店主(プロ)から、ハーモニカを教えてもらいました。みっちり三年間毎週水曜日の夜、夜学から帰る私を待っていてくれました。あれから五十七年ハーモニカを吹き続けることになりました。
 十五歳は私の出発点となりました。そして今もその時の仕事を続けています。これも五十七年。
 夜間大学を卒業した年、合唱団に入団しました。以来、五十七年歌い続けることになりました。
 父の影響ではじめた俳句も高校時代が出発点でした。
 その私も、七十歳を越えてしまいました。
 与えられたテーマは「私今…に夢中です」です。
 しかし私は、今、この三つの趣味が、主イエスさまによって与えられ、守られてやって来ることができた幸せを感じています。合唱団五十周年の記念演奏会の折、代表をしている関係から、演奏会が終わったら解散しようと持ち出しました。団員から「五十人の団員を見捨てないで」と迫られました。以来ギアを入れかえて四年です。
 俳句は父の主宰していた句会の後を継がざるを得ず、歴代の主宰から遂におはちがまわって来ました。
 夢中になったら私はもたない。
 いかに、どこまでか、持たせることかが私のテーマでしょう。
 そして、今も楽しくてしょうがない、ハーモニカも合唱も俳句も、主イエスさまが何時の日か止めさせて下さる時まで、うたい、吹き、句作りを続けていくでしょう。
 イエスさまに感謝しつつ、仲間たちに感謝しつつ。 

  (きだ よういち)


越谷教会月報みつばさ2006年11月号「私・・・に夢中です」より