四十の手習い

          李 文慧

 孔子は『論語』の中で「四十不惑」(四十にして惑わず)と述べた。つまり四十代の生き方がとても重要だと推察できる。
 この年になると、少年期や青年期みたいに趣味でも遊びでも自分がのめり込めるものを探すのは難しい。簡単に見つかるのは生活習慣病、成人病ぐらいのものか。振り返ると、好奇心旺盛な少年期は、いろいろな興味があって、あるときは一カ月毎に変わったものだ。向学心強烈な青年期は勉学に対して地道だった。最後に夢中になったのは七年前CAD資格を取得することの時である。四十代になって以来、自分から積極的に何かを学ぼうとする姿勢はなくなったというように思う。
 幸い惰性に流されていた時、私は越谷教会と巡り逢えた。特に聖歌隊に参加してから、周りの方がピアノをお弾きになり、教会の為に奉仕しているのがとても羨ましく思った。いつか讃美歌を弾き、主を賛美できることが私の心からの願いの一つである。
話は半年前に遡る。ある日私は家族に「そろそろピアノ勉強しようかな。」「この年だから無理、無理、大変だよ。」私は負けじと「もう十数年間パソコンに携わる仕事をしているから、指の動きに関しては自信あるよ」と言った。しかし、いざ始めてみると、指の他が素直で正直だった。自信があるなんてとんでもない、目で見た音符に指がついていけず、左右の手も合わせて弾けない。特に左手は半身不随みたいに言うことを聞いてくれない。もっとも困るのが、せっかく楽譜を覚えて、指の動きを覚えたのに、いざ先生の前に出てみると指が思い通りに動かないということである。ため息が出るばかりである。しかし不思議とこのようなことになってもやめようとは思わなかった。今はどんなに忙しくても焦らず楽しくピアノに触れるようにしている。
 私のやる気を自然に芽生えさせてくれた神様に感謝いたします。

          (り ふんすい)



越谷教会月報みつばさ2006年12月号「私・・・に夢中です」より