夢母恵(ポエム・・・母の恵みし夢)

岡林 信雄

 今まで帰省する時は、一人か家族連れでしたが、今回母の没十九周年(日本古来の言い方だと二十回忌)にもあたり、妻と二人で松山教会の永眠者記念礼拝および墓前礼拝に出席しようと私の実家に参りました。
 帰省の毎に松山城公園や、道後公園などを案内したが、今回は、有名な所ではないが、ポエムシティ(詩の街)松山にふさわしく、しかも他所から其の詩情に惹かれて、句等を作るために来松した作家を記念する場所に連れて行こうと思い、句より小説で名を残した漱石の『坊ちゃん』の中に出てくる、「ターナー島(地図上の名称は「四十島」)見物に行きました。
 その島は、岸から百メートル余の所に、大小数個の岩が海面から頭を出し、その内の一番大きなのは、こちらからみて右端の物で、頂上に数本の松が見え、背後の島や頭を海面より突き出した大小の岩を背景に、うつくしい風景画を見ているような気分にさせます。
 漱石はその島のことを「・・・『あの松を見たまえ、幹がまっすぐで、上が傘のように開いてターナーの絵にありそうだね』と赤シャツが野だに言うと、野だは『全くターナーですね。どうもあの曲がりぐあいったらありませんね。ターナーそっくりですよ。』と得意顔である。・・・」と書いています。


 また、漱石を来松させた子規は『初汐や松に浪こす四十島』の句を読んでいました。たしかに中秋の名月の大潮で強い風が吹けばあの松の上を波が超えるでしょう。(後で調べた所、漱石のころの松の木は枯れ、保存会の人が植え替えたそうです)
 もう一箇所は実家近くにある、種田山頭火が最期を過ごし『朝は澄み切っておだやかな流れひとすじ』『夕焼けうつくしく今日一日つつましく』(山頭火)と詠った「一草庵」です。しかしここは、十代のころ見た景色と違い観光客向けに整備されていました。

 これからの隠遁生活では「詩の街」出のキリスト者として、記念の場所でなく、マニアにしかあまり知られていない、故郷の学校と教会の先輩で、音楽托鉢家とか大空誘人とよばれ、中原中也に影響を与えたといわれる「永井叔」について夢中で、慌てず急がず無理せず少しずつ調べ心の糧にしていきたいと思っています。

(おかばやし のぶお)

越谷教会月報みつばさ2008年2月号「私・・・に夢中です」より