出会いの中からひろい続けて
板倉 朋江
ウーン、私が夢中な事?もの?無い!それで原稿を引き受けてどうするの? が、心のつぶやき。我を忘れて欲しいもの、食べたい物、したい事は今は本当に持っていない。ただ、今まで生きてきたその折々に出会ったものが、うまい具合に私の引き出しに納まっていて、必要に応じて取り出したり、気が付くと今の私に寄り添ってくれたりはしています。こんな穏やかな「夢中」を、書かせていただきます。
“みる”事が好きです。子どもの頃はテレビ、少し大きくなって映画、そして「おやこ劇場」での生の舞台観賞は、私の中でかなりの割合を占めています。それは、好きなものだけを観るのではなく、様々な作品を一人一人の心の糧となるように見続ける条件が整えられていたからでしょう。“観る”までの間の話し合いや作業の中での人との出会いも大きな財産です。下見と称して、アンテナに引っかかった作品は観に出掛け、「これだ!」と感じたものは、何とかして越谷でやりたいと、仲間と一緒に具体化し続けました。
この会のもう一つの活動に、キャンプ等をゼロから創るというのがあります。そこには若者との出会いがありました。元来人見知りの私がこの担当になった時は、ドキドキものでした。が、その場に集ってくる高校生以上の若者は、真っ直ぐで正直で、時には傲慢な言葉を悪いと判りつつ吐き、何十分ものだんまりはざら、という人達でした。彼らと共に活動を創る過程で、私は彼らに魅せられたのだと思います。とことん話しました。夜中の電話も何のそのでした。この出会いがあったから、私は何歳の人でも一人の人間として捉える視点を持てたのだと思います。こう書いてくると、私の夢中は、もしかしたら年齢を問わない人達との出会いなのかもしれません。そしてその人達の発する言葉が時々きらめいて私の心の引き出しに飛び込んでくるのもひそやかな楽しみです。
(いたくら ともえ)