老後の楽しみ

山口 明子

  「私・・・に夢中です」これほど私に不適切で無縁の言葉はありませんのに、何のイタズラか、とんでもない的はずれの矢が当ってしまいました。(宝クジなら嬉しかったのに!)。
 私は世にも珍しいほど不器用、無趣味人間で、過去から現在に至るまで、何一つ夢中になったこともなく、ダラダラと年齢を重ねてきてしまいました。その上昨今では、体は痛んで動かず、脳細胞は萎縮して、いつもボーッとしているだけなので、とてもじゃないけど今さら何かに夢中になろうなど、そんな気力も体力も欲もありません。
 こんな比類のないような無能な私を神様は憐れんでくださったのでしょうか。ささやかな慰めと楽しみを与えてくださいました。「聖書を学ぶ」ことです。とはいっても決して夢中になっているわけではありません。そんなことをしたら、すぐに息切れして、つぶれてしまうことは目に見えていますので、今の私の足取り同様にカメの歩みでいくしかありません。
 汲めども尽きない不思議な泉のような聖書の世界を垣間見る時、何か生き生きとした充実感が湧いてきます。
 そして、イエスキリストを通して、生き方、死に方を教えられると、死にかゝっているような私にも生きる力が十字架上から送られてくるように感じ、「あなたのみ言葉は、わたしの道の光。わたしの歩みを照らす灯。」(詩一一九編一〇五節)が身にしみてきます。
 残念なことは、せっかく教えていただいても、聞いたこと、読んだことをすぐに忘れてしまうことです。それでもその時受ける深い感動と喜びだけは心に強く残ります。そしてある「夢」を抱かせてくれます。
「老いゆけよ、我と共に!
 最善はこれからだ。人生の最後、
 そのために最初も造られたのだ」と。
   (ロバート・ブラウニング)

        (やまぐち あきこ)

越谷教会月報みつばさ2009年12月号「私・・・に夢中です」より