今月の特集題 心を開く
お礼拝 大好き! 池田和美 |
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冬休み、すっかり専業主婦に戻っていた私は「さあ三学期、またお仕事がんばるゾ!」と心のスイッチを切り替え、幼稚園での生活が始まった矢先のこの原稿依頼「心を開く?」まあどうしましょ!わからないなあ、とつぶやきながらも今までの自分を思いめぐらせてみました。 幼稚園でお仕事させていただくようになり、お礼拝に出席して−−けれどどのお話もみんな難しく、石橋先生に「神様を中心とした生活を送ってみないか」そう言われても、それがどんな生活なのか全く予想もつかない日々でした。ところが今、私はお礼拝を守ることが実にうれしい。どう表現したらこの思いをお伝えすることができるんだろうか。過ごせた一週問に感謝することから始まるお礼拝、先生のお話がグイグイ心の中にしみこみます。自分と重ね合わせ反省させられ、神様の方へ神様の方へと私の心が動いていくのです。讃美歌をうたいながら、なぜだろう、涙が出てきてしまう私がいます。幼稚園の事を思って祈ってくださるお祈りが私の心を前へ前へと押し出してくださいます。 時折見上げる十字架に血を流されているイェス様を思い、私の心はキュンと痛くなります。そして頌栄の頃にはいつも決まって私の心はおだやかです。お礼拝のどのひとつも、私にとっても大切なんです。いったいどうしたことでしょうか。自分でもほんとうに驚いています。けれどそれは、わからないとばかりつぷやいていた私は、きっと頭の中だけで考えていたんだと思います。心は開かれていなかったのでしょう。けれど心を、扉を開けてくださって、今はこんなにも豊かな日々を過ごしています。わからないを繰り返していた時と、生活それ自体は何も変わっていないのにね。やっぱり神様ってすごい!! 若かったあの頃も、子育てに夢中だったあの頃も、そういえぱ頭の中だけで考えていたっけなあ。自分がやらなければと気負ったりもしていたなあ。今も考えるのは同じだけれど、その最後を神様に委ねて−−ずいぶんと楽チンになりました。思い通りにならない時でも素直な思いで「そういう時もあるんだなあ」と思えて、なんだか毎日が楽しい。だからこれからもずっと神様を思って生きていきたいなあ。 勧められて見た映画「ベンハー」であふれる星の輝きの中でお生まれになったイェス様と、子ども達と一緒に迎えたページェント礼拝が重なって深く深く心が震えました。神様が真ん中にいるこの幼稚園にいさせてくださってありがとうございます。 (いけだ かずみ)
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こころ 晴れ予報 田中郁子 |
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キリストの無条件の愛にまるごと受け入れられている私は、主の前では赤児のように心開かれて、平安でいられるのです。ところが人の中の私は、心に扉を付けています。その扉は嵐が吹くとバタンバタンと開いたり閉じたり、雨が降るとギシギシきしみ、乾くとひび割れて隙間風。どんな天候でもお人がさっと出入り出来る扉にしなけれぱなりません。 聖書には「キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。」(ローマ15・7)また「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。」(ヤコブ1・19)とあるのに、これが全然出来てないのですから、相手だって扉を閉めてしまう筈、心の空模様に左右されている交わりなんていい筈ないですよね。と言う訳で私、「イエス様の愛」の学び直しを、またもやせねばなりません。 三永恭平先生の著書「心を聴く」に「聞く」と「聴く」を比較して、聞くは、門の中に耳を書くので、門外の声を門内で聞いている形だか、聴くは、耳へんにツクリは十と四(目)と心を書く。これは「心の目を十字架に向けて耳を傾ける」という意味を持つとありました。また英語では、聞くはhear聴くはlistenでListening is more than hearing.「聴くは聞くに優る」とありました。今の私に必要なのはこの「心を聴く」ことなのです。最近私は、文教大学の図書館に通い、カウンセリングの本を読み漁っているのですが、その機を一にするように、次のような場面に居合わせることになりました。 長い病から癒されつつある孫娘が、ある夜母の腕の中で、心の奥からやっと言薬になって出て来る思いを語り始めていたのです。先日、長く暗い淵から抜け出して、しゃべって笑って歌うようになったのに、なおも心の底に癒し得ぬ傷痕が埋もれていたなんて・・・・。しかし、この夜を境に、本来の輝きを取り戻した孫娘は今、穏やかな時間と環境の中で、母の愛に応え、心全開間近なのです。寄り添う母の忍耐はまだ続くのでしょうが、早春の日だまりで共に心和ませ、ありのままを受容しています。そう、家族も周囲の人々も皆、なのです。 深く聴くことも、無条件の受容も寄り添い続けることも、全ては愛することに尽きるのだと、父なる神とみ子なるキリストの十字架の愛の真意に、私は今、強く打たれています。 「交わりの中で、ひとりが他の人に対して負っている第一の奉仕は、他の人の言葉に耳を傾けるということである。」(ポンヘッファー) (たなか いくこ)
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越谷での三年を振り返って 岩井英明 |
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何事もお尻に火がつかないと始められない所謂“泥縄式”の私も、引越業者のトラックが迎えに来る寸前になんとか最後の荷物を運び出し、今わずかぱかりの荷物と布団だけ残った六畳一間の部屋で、この一週間の懸案であったみつぱさの原稿にようやく手をつけた。振り返ってみると、十八歳で住み慣れた故郷の姫路を離れてから、四年間の京都での学生生活、会社に入社してから配属された大阪での三年にわたる生活、駐在を命ぜられ赴いたベトナム・ハノイ市での一年強の生活、帰朝後の大阪での半年だけの生活、その後転勤による越谷での三年に及ぷ生活、そして今月からは転職し新天地での未知の生活を始めようとしている。 「根回しにたらい回しで目が回り」のサラリーマン川柳を地で行くような生活で、自分の思う方向、また流されるがままにここまで来たようにも感じますが、その場所場所での神様の守りと計画を感じずにはおれません。 テレビもなかった厳格な両親の管理下から解放され初めて体験する京都での一人暮らしの時も、さまざまな誘惑からともすれぱ教会生活から離れてしまいがちな私でしたが、学生も多く集う教会に導かれ、励まされつつ学生生活が送れた事。 共産主義国家ベトナムでは、初めの数力月は教会はおろか全くクリスチャンとの関わりもありませんでしたが、その後、神様の不思議な方法によって現地で礼拝を守ってる外国人の交わりに導かれ毎週礼拝を守れた事。 大阪の阿倍野教会では、毎通の礼拝により親戚達と交わりが出来た事。また須賀さんの兄さんを初めとする良き信仰の先輩であり社会人の先輩達と出会えた事。そして未知の土地越谷へ赴任して来る時に須賀さん兄弟が架け橋となっで越谷教会に導かれ今日まで来れた事。 「数えてみよ主の恵み」とありますが、その時に私たちは分からなくても神様は「時にかなって美しい」すぱらしいものを絶えず与えてくれてた事を感じています。 また、クリスチャンホームで生まれ育った為か、信仰“捜し求めて得た”というよりは“与えられた”という、ぬるま湯に浸かったような信仰生活で、これまでも神様と離れてしまいそうな時もありましたが、絶えず神様が私を捕らえていて下さった事を思わずにはおれません。「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」(新改訳詩編23編6節) 今年の最初に与えられた御言葉です。 これから神様がどんな事を用意されているのかは分かりませんが、どんなところに行っても絶えず主の家につながって歩んで行きたいと思います。最後になりましたが、これまで励ましていただきありがどうございました (いわい ひであき)
越谷教会月報みつばさ2002年2月号「心を開く」より
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