今月の特集題 関係の中で生きる

     -不安と喜び-

 

                       主の声を聞く       M.S

 

今、目の前にイエス様が来て「さあ、行こう」と言ってくれたら、私は何もかも放っですぐついて行きたいのです。

日常の生活は、子どもの頃考えたものと全く違い、世俗の真っ只中で、祈ることすら忘れてしまうほどの騒がしさです。いつも他人の目や思いを気にし、自分の存在を確かめながら生きています。時には自分の存在が無に等しく、意味のないものの様に思えたり、自己を主張するあまり、他人を批判したりします。その度に、心が空しく、涙が流れていても、もしや自分が神から見離されてしまったサタンなのかと自問自答するのです。

聖書には、常に信じる者を救い守る主の御言葉が語られています。日常に疲れ、御旨がどこにあるのか迷ってしまう時、聖書を開き御言葉が示されることを期待します。時には励まされ、時には、自分の祈りは主に届いているのか、自分はちゃんと主に向かっているのかと不安です。答えなどいつまでも出ないのではないかと漠然とした不安がぬぐえないのです。  

私は自ら、主から離れた場所を居場所として選んでしまいました。御言葉に聞き従うと誓いながら、こんな所まで来てしまった。私の信仰はそんなものだったのかと。  

教会で奉仕する方々の姿を見る時主に一段近づいているなと羨ましく思います。しかし一方で、自分が同じように、やってもやっても癒されない傷を持っている気がしてしまいます。その傷は自覚なしに御旨をどこかへ落っことしてしまい、自分の中に留まらない様に思えるのです。しかも私はそれを自分で選んでしまった。今、私は地の果てから主を呼んでいるのです。  

誕生日に「主はあなたを迷い子のままにしておかれない」という御言葉と共に牧師先生からハガキを頂きました。礼拝中お話を聞きながら、今の状況を先生に話した訳でもないのに私の為に語られているのかと思うことがよくあります。不思議な一瞬です。そんな時、教会に繋がっている意味というのを強く感じます。教会に繋がってさえいれば、迷ってしまって帰る道を見失ってもきっとたどりつける。一緒に祈ってもらえるんだと。  

ケネス・グレアムの「たのしい川ベ」でモグラとネズミが神様に出会った時のように、非常な静けさと幸福を感じて、その声を聞き、光をあびていたいです。  

この機会を与えて下さった方々と牧師先生ご家族に感謝し祈ります。

(M.S)

 

     私はクラゲ         一柳茂樹

 

「主はわたしの岩、砦、逃れ場」

−詩編を拾い読みしていると、よくぷつかる言葉です。

作者はどのような境遇に置かれていたのか、常に存亡にさらされていたのか、尋常ではない文句です。現代では、大病をし、人から裏切られ、また、徴兵され迫撃戦で死が予想される状況にあるなど、霊・肉ともに追いつめられた時、自然に口をつくのでしょうか。

学生時代、無縁の言葉でした。若さだけで十分でした。山に夢中になり、剣、穂高、谷川へ通い続けました。岩壁に身をなすりつけ、一歩・一歩ピッチを上げ勝ち取っていく。困難を後にし、たばこをぐいぐい吸い込むと、喜びが紫煙となって雲の彼方にきえてゆく。末はアイガー北壁からヒマラヤのランタン・リルンへと思いを馳せたものでした。

あれほど熱に浮かされた山でしたが、就職を境に徐徐に遠ざかり、加齢とともに疲れ、迷い、諦めが支配、あげくの果てに大病。人並みの変遷を経て福音書、詩編にたどり着きました。「知らずに犯した過ち、隠れた罪からどうかわたしを清めてください」どうしてこのような感情を言葉にできるのか。このように謙虚にさせる祈り、願いは「主は右にいまし、わたしは揺らぐことはありません」と揺らぐことのない信仰へと鍛えられるのでしょうか。

ひるがえって、ただ日曜日ごとに、惰性で説教を聞いている私には、濃厚な神との交わりはありません。が、少なくとも詩編を通して、そこから浮き彫りされる主を肚の中に蓄え、発酵させ、日々の生活の中で主と向き合う−そんな信仰を着たいと願っているものの、日暮れて道遠し。「死の陰の谷を行く時も、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」−23編のように預け切る事は出きません。

中年最盛期の折り、軸がぷれ、迷うことばかり。なにをしたら満足出きるのか、また人の生き方、死に方の問題もよぎります。最近テレビである俳優の生き方をみましたが、召される三日か四日まえのインタビュ−、痩せ衰えていましたが、家族とともにいる時間、笑顔が透き通り輝いていました。主に委ねた時「主はわたしの光、わたしの救い」ヘと変えられるのでしょうか。

毎日、バイブルに親しみ、機軸をそのつど修正し、信仰の醍醐味を味わいたい、古い人から新しくされたい。これからも教会の末席をけがす日曜日になりそうです。

(いちやなぎ しげき)

 

弱く小さな者と共に生きる   清水 泉

 

先日、素晴らしい講演を聞くことができました。足利市にある成人知的障害者更正施設社会福祉法人「こころみ学園」園長の川田昇先生のお話でした。

学園では、生徒達が自立できるようにと始めたぷどう作りからワインが生まれ、沖縄サミットで世界各国の首脳達に振る舞う大役をいただきました。田崎真也の舌に絶賛されたワインは、38度の急斜面に植えられたぷどうから作られています。

歩行困難な障害者達が一歩一歩山を登り、一本一本雑草を抜いていくのです。普通の大人でさえきつい斜面で黙々と草を抜いていくのです。

一たす一ができない、ひらがなが読めない子ども達が自立していくには、働ける場所が必要と言われます。障害者の親はこの子を残して先には死ねない、一日でもいいから我が子より長く生きたいと願うのです。

貧困だった幼い頃、落ちこぼれた小学一年生、傷ついた先生の一言。後でご自分が教職に就いた時、クラスに一人や二人、その時の自分がいて見過ごすわけにはいかなくなったのでした。他の先生の協力により特殊学級を校内に作ってしまったのです。教頭職が嫌で三日で退職した後、依頼されて施設を四つ作りましたが、そこに居る子ども達が冷暖房完備の中で輝きを失っていくのを見て、自分で作ろうと思い立ったのでした。

子ども達の手を見て、まるで赤ちゃんのような手をしている。働く手ではない。手にマメを作りシワになった手ではじめて生きていけるというのです。

川田先生の福祉の原点は母の大きな愛と、落ちこぼれであった自分と、戦争で生きながらえてしまったことへの償いでもあると言われました。そんな生き方にイエス・キリストの姿を垣間見るのです。

今の私は、小学校の役員をしていて毎日学校に出て行く時もあり、時間的、精神的に余裕がないのです。人の間で傷ついて、嫌になることもあります。でも川田先生の話を聞くと小さい小さい自分に気づかされます。

貧しい土地で45年に亘って障害者たちと共に生きていることを淡々と語られる先生の姿に感銘するのです。園の子どもたちの生きる姿が82歳の先生の活動の源になっているのです。

私自身も地域やPTAの人達との関わりの中で生かされています。神の業に無駄がないように、一つ一つに意味があるのです。人に仕える大切さにふれることができて感謝です。

 (しみず いずみ)

 

越谷教会月報みつばさ2002年7月号「関係の中で生きる−不安と喜び」より

 

 

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