今月の特集題 子育て-この命あふれる者と共に-

 

共に生きている       渡邉敏美

 

我が家には命あふれる者−子どもたち−が二人いる。一人は越谷幼稚園を卒園して今、小学校三年生。もう一人は越谷幼稚園のゆり組に在園している。入園前、石橋園長先生から「チューリップのはながさいたらようちえんにきてください」と書かれたカードをいただいて、待って、待って、やっと入園式を迎え、越谷幼稚園のお友だちのひとりになった。

もう随分前の事になるが『幼な子と共に』の「花は必ず咲く」が私の心に深く残っている。「四月になったら咲くのに、三月、二月、一月に咲く事を求め過ぎる教育を、今の社会では求め過ぎている事はないでしょうか。子どもは四月に咲く花を一月に咲かせる事は可能です。可能だからと言って、それをさせて子どもは幸せでしょうか。四月に咲く花を一月に咲く事を求める事が子どもの幸せにつながるでしょうか。一月、二月、三月とその月にふさわしく、三歳、四歳、五歳、六歳とその年齢にふさわしい生活をし、しっかりとした根をはり、芽を出し、その年齢にふさわしい花を咲かせて行く事が子どもの育ちを健康なものにして行くのではないでしょうか」というものだった。越谷幼稚園のお友だちは豊かな季節の中で、その時々の遊びを楽しんでいる。ドロダンゴ、おにごっこ、だるまさんころんだ、どんぐり拾い…その年齢にふさわしい生活を心から楽しんでいる。また、幼稚園でいろいろお話を聞いてくる様で、家でそれを一杯話して聞かせてくれる。

「ママと離れていても、お心とお心がつながっているから大丈夫なんだよネ」「命とお心は神様がくださって、とっても大事なんだよネ」実にビックリさせられてしまう。そしてつい最近、夫が具合を悪くして二〜三日家で休んでいた時に、それはそれは献身的に看病をする姿をみせていた。

そんな子どもたちを見ていると、私の心までホカホカッと暖かくなってくる。子どもたちから一杯幸せをもらって、親が育っているのかもしれない。子どもたちは、しっかりとした根をはり、芽を出し、どんな花を咲かせてくれるのだろう。子どもたちから一杯楽しみをもらって、親が育っているのかもしれない。

子どもたちを見ていると、私の心までホカホカッと暖かくなってくる。家の真ん中に子どもたちがいて、この命あふれる者と共に、生きている。

(わたなべ としみ)

 

 

子どもと共に生きる      加藤雅春

 

ご存じ無い方も多いと思いますので、簡単に自己紹介をします。

子育て歴は5年の、2児の父親です。最近礼拝に行くと、妻が会堂に、私が母子室に娘2人と出席していることが多いのは、妻(ハンナ)が未だに皆さんの名前と顔が一致しないからです。私の伸びてきた髭のせいか、母子室にいる父親が目立ったのかどうかは定かではありませんが、求道歴7年目の私に”みつばさ”の原稿依頼が来てしまいました。

次にうちの子ども達、まず長女は共生(ともき)です。神様と共に生きる、皆と共に生きるという願いと、私の好きな建築家黒川紀章の「共生の思想」より、名付けました。次女は、芽生(めばえ)です。聖書の詩編65編11節から、日本基督教団上諏訪教会の牧師夫人である妻の母親が名付けてくれました。

平日の2人は、登戸保育所に通っています。朝夕の送迎の内、毎朝の送りと、金曜日の迎えが私の担当です。朝は時間が無いため、子ども達を先生に預けると、職場に直行します。昔のオムツをしていた頃と比べると、かなり楽になりましたが、未だに夜の寝付きが悪い芽生です。私が先に寝ると目を指でつついて起こそうとしますが、我慢して寝たふりをしていると、あきらめて寝てくれます。妻がいるときはまだいいのですが、一人で子ども達を見ているときはもう太変です。改めて、母親の偉大さに敬服する時でもあります。子育てをしていて、大変だなと感じるときに、共生が生まれた一力月後に職場復帰した妻のがんばりを思い出すと、自分もやらねぱと思うのです。

子どもの寝顔を見ると、それまでの苦労が嘘のようで、まるで天使のように見えるから不思議です。子どもの事を分かってあげることはとても難しく、また今回のテーマである“子育て”について改めて考えると将来のことまで深く考えておらず、その場しのぎだったことを感じます。

そこで、今回改めて考えたテーマは、「家族で礼拝を守る」ということです。教会では、自分はまだ子ども(求道中)であり、子ども達と共に神様から学んで生きて行きたいと思っています。先日の礼拝後に「お子さん達大きくなったね」と声をかけて頂き嬉しいと思いつつ、教会に来たの久々だったかな?と反省しました。今後は、妻の実家のように神様と共に暮らしでいく家庭を築きたいと思います。

(かとう まさはる)

 

代筆、妹はつらし     諏訪幸子

 

原稿を依頼された姉は、「ゴメン書けない。代わって!」と締め切りの翌日の朝一番に、電話してきた。ギリギリまで苦悩していた様が分かり、無下に断る訳にもいかず、代筆に至る。

悔しいかな、私が20になろうが、30になろうが、姉妹の立場は逆転することはない。

テーマをもらって、片目をつぷり遠目で見る。情けない事に、こうしないと生命の瞬きが見えない。どっぷり子育てに漬かっていた身に、この原稿は第三の目を与えてくれた。

母となった最初のお正月、こんな年賀状をもらった。

“お互い、神様から授かった宝を大切に育てていこうね”

今でも時折思い出す、忘れられない言葉となった。しかし、長女が生まれて5年半、2人の子を授かり、24時間子どもと一緒の生活。トイレももはや1人の場所ではなく、夜中だって子どもの声で目か覚める。たまには1人になってリフレッシュしたいなあ。長女が描いてくれたママの顔、覚えたての文字で書いてくれた「だいすきだよ」の手紙。他にもいろいろ母としての喜びも、もらっているけど、不安もある。

そんな時、実家が近くて本当に有り難い。大人の目が増えることで自分もちょっと余裕ができる。そんな事で叱らなくていいと言われ、自分も子どももホッとする。(姉日く、母も昔は叱ってたよ!)

教会の方にも、沢山声をかけてもらい、多くの方に子どもの成長が見守られている事、そして母親としての私を支えてもらっている事は、本当に感謝です。

子育てって忍耐が必要ですよね。自分が保育者の時は“待つ生活”子どもの成長を待つ、そのままの、今の姿を喜びをもって受けとめる……やってたはずなのに、いざ、自分の子育てになったら、「いつまで待ったらい−んだ−!!」と吠えたくなる事もある。

子どもをちゃんと育てなきゃと思うと、思い通りにいかずイライラしたりするけれど、子どもは育むもの、命を愛でるんだと教えてもらい、こころの持ちようが少し変わった。

母親歴5年。まだまだこれから。しっかりしてるけど甘えん坊の長女とおしゃまな次女。成長をずっと見守れるって幸せだって、忘れてました。自分を見つめるよい機会となりました。

 (すわ さちこ)

 

 

越谷教会月報みつばさ2002年11月号「子育て−この命あふれる者と共に」より

 

 

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