今月の特集題 クリスマスの喜び

 

義母と一緒のクリスマス    榎本寿子

 

「クリスマスの喜び」と言う題を頂いたのですが、難しい事は分からない私には「クリスマスの喜び」と言えぱ「クリスマスのプレゼントの事」しか頭に浮かんで来ないのです。そこで、今年はとてもすぱらしいプレゼントを神様から頂いているので、その事をお伝えしたいと思います。

 

 

♪ハレル ハレル ハレル

ハレルヤ 主をほめよ

ハレル ハレル ハレル

ハレルヤ 主をほめよ♪

と、この讃美歌の様に今年のクリスマスは、今までに無く主をほめ称え、讃美したい気持ちでいっぱいなのです。

それは、私の義母(はは)が今年の五月に九十九歳の白寿のお祝いを済ませた一力月後に、脳溢血で倒れてしまい入院と言う事になってしまったのです。一時はどうなる事かと心配したのですが、三力月後の暑い日に退院する事が出来ました。それ以後は自宅で医師の往診を受けながら療養する迄に快復したのです。半身不随で寝たきりの生活になってしまったのですが、義母の頭の回転はすこぷる良くて、時々思いがけない言葉で周りの者を笑わせたり感心させたりしているのです。

この間もお見舞いに行った折に、姉や妹の手厚い看護を受けている義母の姿を見て、私が「お義母(かあ)さんは我が家の皇太后様ですね」と言うと義母は「皇太后様もこれじゃあ形無しだね」と笑い飛ばす余裕を見せるのです。又別の日に「御機嫌は如何ですか」と声をかけると「御機嫌は上々!」と元気な返事がかえってきました。「おばあちゃん冴えてるね。スゲェや」と孫達も感心する事しきり。この様な義母を見ていると、体の痛みは勿論の事、心も塞ぐ日もあるだろうと思うのですが、そんな事はおくびにも出さず、ユーモアに富んだ言葉で看病する者達を逆に励ましてくれているのです。

今では入院していた時に比べで食欲もあり、軟らかい物なら大概の物は「おいしい、おいしい」と言って食べられる様になりました。この事は周りの者にとっても一番うれしい事でした。クリスマスには義母にどんなプレゼントをしようかと皆で考えているところです。さあ、もう一度神様に心からの感謝と讃美を捧げます。

♪ハレル ハレル ハレル

ハレルヤ 主をほめよ

ハレル ハレル ハレル

ハレルヤ 主をほめよ

主をほめよ ハレルヤ

主をほめよ ハレルヤ

主をほめよ ハレルヤ

主をほめよ♪

最後に私の拙い歌を義母に贈ります。

縁側に白寿となりし義母も出で

五月の空を子等と眺むる

若葉風ゆっくり浮雲押す日和

白寿の義母の生れし日を思う

(えのもと ひさこ)

 

心の奥の間−闇を照らす光    佐藤祐子

 

今年も待降節に入り、一本目のろうそくに明かりが燈った。また幼稚園の子ども達と共に、イェス様をお迎えする準備が始まる。子ども達は神様の話に真剣に耳を傾け、心の中をきれいに暖かにしようと一生懸命考える。みんなで心を合わせてページェントをささげ、世界中の人々が幸せになるようにと祈り献金をささげるのである。一人ひとりの子どもの純真さに触れ、ひたむきさに感動するうちに、いつの間にか大人の心まで清められ、豊かにされ、たくさんの恵みでいっぱいになるのである。

こうして私の心も暖かにされ、御子を迎える準備がすっかり整ったように見えるのだが、私の心には奥の間があるのだ。様々な怒りや不安が誰にも見せられない暗闇となり渦まいている。

まずは夫に対して。この人といるとろくな事がない。四年前にリストラに遭い、生活が大きく変わった。やっと落ち着いてきたのにまたその危機があるかもしれない。どんなに支えても、根底がゆらぐ。夫もきっと大変なのだと思うが、もういい加減にしてと言いたい。

そして長男。たくさんのお支えをいただき今度成人式を迎える。免許を取り車で出かけるが、帰るまで気が気ではない。おまえは一人で大きくなったのではないのだ、と言えばうるさそうにする。親が198円で5箱ティッシュを買って来る中、悠然と248円の保湿ティッシュを使う。何足もスニーカーが並ぷ。おまえはムカデか。そんな経済観念で一人でやっていけるのか心配は尽きない。

そして次男。自分で受験すると決めたのに本当に勉強をしているのだろうか。ゲームをしたり、マンガを読んでいる場合ではないだろう。家には浪人とか下宿という選択肢はないのだ。なるようにしかならないが心配は尽きない。

こうして私は独り心の奥の間で、怒り心配し、空回りしているのだ。もはや一人ではこの闇のゴミを片づける事はできない。何本ろうそくを燈しても明るくはならないだろう。

しかしイェス様は奥の間がある事を、しかもそこがものすごく散らかっている事を知っていて下さり、そこを照らすために生まれてきて下さったのだ。一人ではない、共にいるとおっしゃって下さるのだ。私だけではない。夫にも長男にも次男にも、それぞれの心の中にイェス様は生まれて下さるのだ。きっと大丈夫。夫も子どもたちも、照らしだされた自分の道をしっかり歩いていくだろう。

自分一人で切り開いてきたかのように思ってきた傲慢さに気づかされ、背負えもしない人の荷物を背負おうとして立ち往生していた自分がそっと押し出され、また歩き出せる気がした。感謝。

(さとう ゆうこ)

 

私のクリスマス       清水雅行

 

毎年十二月になるとその日に向けて日を追うごとに街は華やかに変貌します。イルミネーションが輝きを増し、クリスマスソングが街を包むほど、私の心は曰く言い難い悲しみに沈んでゆきます。イエス様が生まれた時を同じくして、時の王が、べツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子を一人残らず殺させたという歴史を思い出す時、その幼い一人ひとりの親の心の計り知れない辛いできごとを思う時、私にとってのクリスマスは、静かにイエス様が生まれた意味を捉え直しつつ尊ぶ日となりました。今年のクリスマスは特に私の大好きな、私よりもずっと神様の近くにいるおともだちと心を合わせて祝いたいと思います。そしてこの文章(てがみ)を君に捧げます。

初めて会ったのは何時だったか、もう忘れてしまいました。でも、越谷幼稚園しらゆり組のころだったと思います。それは交通事故のように、突然遠くの方から走ってきて「ドン」と体ごとぷつかって、捕まえようとしてもすぐに腕を振りほどいて行ってしまう君。笑顔はとても素敵で、綺麗な音楽が流れると自然と体が動き出す君。気に入ってくれるかな?と思いながら私のお気に入りの歌のテープをプレゼントした時のこと。後にお母さんから喜んでいたと聞いて自分もとても嬉しくなったこと。何かのコンサートの休憩時間にホールで久しぷりに出会った時、ちゃんと覚えていてくれたこと等。途切れ途切れの思い出が一つにつながったのは、今年の幼稚園のバザーの時の園庭での再会でした。片時もじっとしていることのない(ところしか知らない)君が、手をつないでくれて、しぱらくの間、じっと私の側に寄り添ってくれて、きちんと「こんにちは」の挨拶もしてくれて、ちょっと会わないうちに随分と落ち着いて、成長した姿にとても感動しました。

今度会えるのは今年のクリスマスかな?もしかしたらすれ違ってしまうといけないので、君としっかりしてるお姉ちゃんとお母さんと、そしてお父さんにも、「とびきりのメリークリスマス」言っておきますね。

まあちゃんへ

 (しみず まさゆき)

 

 

越谷教会月報みつばさ2002年12月号「クリスマスの喜び」より

 

 

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