今月の特集題 恵みの上にも恵みを
又○○○です ごめんなさい |
中村 壽美子 |
春三月、ベランダ越しに見える桜の莟はまだ固い。この原稿が載る頃には満開か、散り初めか…などと思いつつ、その頃私は数えて十数回目の引越し準備を始める事になるなあと、まだ他人事のように想像してみたりしている。 予(かね)てから覚悟していた事だった。いや、覚悟と云うよりむしろ私は早く夫と一緒に暮らしたいと望んでいた。大阪に単身赴任して早や三年、このたび諸事情が重なってついに「お呼び」がかかったのだ。「待ってました!」と応えて行きたい。 娘は幼稚園で働かせて頂いてちょうど一年が過ぎた。もう独りで人生を歩ける。子育ては十分に楽しませてもらった。自立には願ってもない好機である。七年前、当時高校一年だった娘を残して夫婦でバングラデシュへ赴任した時と比較してなんと心穏やかに受け止められたことか、身体がニつ欲しいと涙したあの切なさが今回はないのだ。 感謝である。感謝以外のなにものでもない。 四十歳代までは無我夢中で過ぎた。五十の声を聞いてから少し落ち着いて世の中を見渡せるゆとりのようなものを感じ始めた気がする。特にこの三年、キリスト教カウンセリングや介護の世界を少し覗かせて頂いたおかげか、生から死までの長いスパンで自分や他者の人生を考えられるようになってきた。 人は誕生から七歳位までに無意識の内に「人生脚本」を書いており、それによって生きると云う。その脚本には両親(養育者)の育て方が大きく関わっているそうだ。自分自身がどんな「人生脚本」を書き、どう生きてきたのか、探りつつ振り返る学びは誠に興味深く且つ納得のゆくものだった。そして嬉しかったのはその「人生脚本」は何時でも書き直し可能であると云う点だ。それこそ真にイエスさまとの出会いではないかと思い当たった時、そうだ!これだ!と独りで興奮してしまった。私が書き直す以前にイエスさまが脚本を書き直して待っていてくださったのだ。その事に私が気付くのが遅かっただけなのだ。偽りや不正、醜い欲望が禍巻くこの世の中で、これこそ真実と云う確信が与えられている、こんな私にさえ。だから躊躇せずに、示された道を行こう。この道には必ず希望がある。 慣れ親しんだ越谷教会、石橋先生、鎌田先生、川端先生ご夫妻、信仰の先輩や友、幼稚園の先生方とのお交わりの日々の上に、次なる教会での出逢いを重ねていこう。 恵みの上にさらに恵みを! |
(なかむら すみこ) |
恵みの二乗 |
豊川 昭夫 |
頂いた特集題は「恵みの上にも恵みを」。これを数式で表せば「恵みX恵み=恵みの二乗」となります。この二乗という数は、実に大化けします。 ここに一枚の新聞紙があります。厚みは1ミリの十分の一の0.1ミリとします。この新聞紙を二つに折ると厚みは倍の0.2ミリになります。さらに二つに折ると0.4ミリです。さらに折ると0.8ミリとなります。では、何回折ると富士山(3776メートル)の高さを越えるでしょう。答えは、たったの26回です。式は0.1X2の26乗です。嘘だと思うなら、電卓ですぐ計算できますので試してみてください。 さて、振り返って神様の私達への恵みはどうでしょうか? 我が家では、ここ数力月、長男の高校入試で、てんやわんやでした。希望した県立高校は不合格となり、本人も心が痛んだでしょうが、この不景気の中、こちらの懐も痛かった(何しろ次々と後が控えていますから)。さらに、ここ数力月、我が応援する浦和レッズは、全く勝てず11連敗を喫してしまいました。確率で言えば11連敗というのは、2の11乗ですから、2048分の1です。まあ、よくも負け続けたものです。この現実を直視すると神様の恵みなんて、チットモないじゃないかと思わずにはいられません。 しかし、今までの自分の人生を顧みて見れぱ、困難な時、辛い時を経て、今の時がある。そして、困難な時、辛い時にも、神様の大いなる恵みがあった事をいやというほど後から知らされます。まさに「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(コリントU6章2節)なのでしょう。だから、長男には「神様がお前に一番良いと思う道を与えて下さったのだ、今回の事を糧にしてコツコツ真面目に勉強していれば、3年後には、『こんなにも凄い大学に受かっちゃった、かえって3年前は不合格でよかったね』ということに絶対なる!」と言い、妻には「連敗を経験することによって遥しくなり、3年後には『ああ、また浦和レッズ勝っちゃった、今年も無敗で優勝だね』ということに絶対なる!」と言っています。 私達に与えられている、神様の日々の恵みは、新聞紙ほどの0.1ミリの恵みかもしれません。しかし、その恵みは、私達が良い時にも、悪い時にも、常に与え続けられているのではないでしょうか。そうです!恵みの十乗、百乗、干乗と。それは、富士山の高さよりも遥かに凌ぎます。 「恵みの御業は神の山々のよう」(詩編36篇7節)。この恵みに生かされた幸いを感謝しながら、毎日を力強く歩んで生きたいと思います。 |
(とよかわ あきお) |
感謝 |
岩井 真紀 |
越谷教会、越谷幼稚園でお世話になった3年間を振り返った時まず心に浮かぶのは「感謝」の二文字です。幼稚園の子ども達、御父母の皆様、職員の方々、教会の方々、そして神様に心から感謝しています。 大学を卒業後シンガポール日本人幼稚園で4年間勤め2000年4月から越谷幼稚園にお世話になりました。実家は大阪、親戚がいるわけでもないこの地に何故か導かれ「どうしてここにいるんだろう?」と不思議に思うこともありました。けれど神様は私を越谷に送ってくださり3年の間にたくさんの大きな恵みをくださいました。 越谷幼稚園で子ども達と向き合う中で私が育てられていたことを今感じます。それまでの私は「見せかけの自分」だったように思います。人からどうみられるかを気にして一生懸命背伸びしていました。でも子ども達と心と心で向き合おうとした時見せかけでは通用しません。きれいな絵に仕上がっていてもそこに子ども達の楽しい気持ちが入っていなければ意味がありません。子どもの素直でストレートな表現に時に助けられ、特には課題をもらいながら毎日必死でした。毎日が真剣そのものでした。そうして子ども達の心を見ようとしていくうちに少しずつ「見せかけの自分」の殻がはがされ「ありのままの自分」になっていったように思います。肩の余分な力が抜けたような感じです。「ありのままの自分」の存在を子ども達が受けとめてくれ、御父母の方々が支えて下さり、そして幼稚園の先生方が広く暖かい心で認めて下さいました。至らない面の多い私のありのままの姿を受けとめてもらえることの安心と有り難さを知りました。周囲の方々の優しい気持ちに支えてもらっていることに感謝しながらもこれからは「ありのままの自分」で安心することなくかえていける面はかえていく努力を惜しまないように歩んでいきたいと思っています。このことに気づかせてもらえたこと、たくさんの大切な出会いを与えてくださった神様に感謝です。 もうひとつ。私は4月12日に越谷教会で出会った岩井英明兄と結婚致しました。これからの人生を共に歩む兄弟に越谷教会で巡り会えたことに心から感謝しています。神様の深い計画と大きな業を感じずにはいられません。また私達の結婚に向けての歩みを祈り支えて下さった教会員の皆様にも感謝の気持ちで一杯です。この場をおかりしてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。 恵みに満ちた3年間でした。感謝の気持ちが自然にあふれ出ます。今のこの気持ちを大切にしながら神様につながるよい家庭を築いていきたいと思っています。 |
(いわい まき) |
越谷教会月報みつばさ2003年4月号「恵みの上にも恵みを」より |