伝道する教会

今月の特集題  聖霊に満たされて


友の死をとおして
鈴木 恵子
 思いおこすと今から17年前、私は神様を求めて一心に求道しておりました。当時私には内田泰子さんという二歳年上の親友がいました。
 私は、彼女の死を通して神様の御臨在を仰ぎ見ることができました。
 彼女は、東京の両国でお父様の亡き後を継いで割烹料理店を守っていましたが、その日常生活の無理がたたり坂道をころげおちるように持病である腎臓病が進行し、遂に人工透析を受ける事になりました。私が教会に行っている事を知り、彼女は聖書を読んで聞かせてほしいと言いました。彼女が初めて聖書を手にして創世記の一章から二章までを読み共に祈った時、彼女の目からは大粒の涙がこぼれました。その時彼女は、「いいお話ね」と言いました。そして「私は永くは生きられないから、もしもの時はこの写真は遺影にしてね」と言って一枚の写真を私に手渡しました。
 ー力月後再ぴ彼女を訪ねようと思っていた矢先、彼女が川の中を流れに逆らいながら歩いている夢を二晩続けて見たのです。胸騒ぎを感じ電話をしたところ、肺水腫で危篤状態であると知りました。この時は、一時的に回復しましたが二週間後、ご夫君に海が見たいとせがみ、お医者様の反対をおして伊豆に旅行に行きました。早朝彼女は海を見ながらひざまずいてお祈りしていたそうです。その姿を見て、ご夫君は驚いておられました。彼女は振り返りながら「神様にお祈りしなけれぱだめよ」と言っておられたそうです。それからまもなく東京に戻る車中で容体は急変しました。
 翌朝彼女は安らかに天に召されて行きました。葬儀は仏式で行われましたが、私は小さな聖書と手紙を棺の中に入れさせていただきました。共に教会に集うことはできませんでしたが、彼女の事を石橋先生にお話ししてお祈りしていただきました。彼女も心から神様を信じていたという事を確信しています。
 又、彼女の死から一力月後、不思議な夢を見ました。彼女はとてもうれしそうにほほえみながら白い馬車に乗り天に昇って行く夢でした。後に聖歌648番「馬車よおりてこい」を歌った時、彼女がイエス様と共にいるということを思いました。又いつか彼女と再会できる事を信じています。
 日常生活の中でさまざまな事につまずき、悩み失敗ばかり繰り返していますが、何があっても神様はいつも共にいて下さり導いて下さり守っていて下さることを信じる事ができる幸いを感謝します。
(すずき けいこ)

一日二十件
N.T
 「Tさん、電話とって」「ハイ、すみません」。またかと真後ろに座っている支店長に頭を下げながら、ひっきりなしにかかって来る電話の応対をする。
 「何で二時になるのに出て行かないの、先輩方に回り方を教わると良い」。
 私ばかりが注意され全く面白くない。他の女性にはチヤホヤして人気を得ようとしているクセに。
 「もっと速く歩きなさい」「オレの顔見るんでなく、書類をアンダーラインしながら聞いて」。課長もなかなかである。
 銀行の表回りも今月で丸二年となり、担当地域が狭い割には他の人達と同じ位成果が上がり始め、不思議だが感謝である。定時に帰りたいが為にのんびり屋の私が、書類の整理も速いと言われる様になった。
 「今、忙しいので、どうぞお構いなく」とか「家(うち)は変動があるのは怖いからやらないよ」とおっしゃるお客様でも、しばらくして外貨預金や投資信託を店頭へいらして買われたりする事もあり、そういう時はやはりお何いして良かったと嬉しさがこみ上げてくる。又、お伺いするとお茶の間へ通して下さり、とくとくと、人生論を説かれるお客様もあるし、「しかられる間が花よ、がんばりなさい」と励まして下さる方もいる。(教会の方へのセールスは一切いたしませんのでご安心下さいませ)。
 「神様、今日は良いお話しがありません。どこを回ってもお客様が居ません」。お留守のお宅にはひと言添えた名刺をポストに入れておくが、時々淋しくなって道端でお祈りする。今満開のバラを観賞しながら、一日二十件をノルマに今日もがんぱり過ぎぬ様、真面目にコツコツやる。余りやり過ぎると、帰宅して子どもの世話もしたくない程くたびれるので、気を付けている。
 この不景気で、お客様の金利やサービスヘの不満も年中聞かなければならないし、体力的にも厳しい仕事である。しかし、多くの方々との出会い、上司や仲間との付き合い方、今まで全く知らなかった経済の勉強等、本当に素晴らしい人生経験をさせて頂いている。
 神様は、苦しいけれど今の私に最も必要とされている道を通らせて下さっているのだなあと感謝である。また私も、お客様に喜んで頂ける仕事が出来る様に、又、この仕事を通して少しでも自分自身が成長出来れば、と願っている。


聖霊に満たされることを祈って
榎本喜美夫
 「聖霊」という言葉からは、すぐに聖霊降臨日(ペンテコステ、今年は6月8日)が思い起こされます。イエスの復活後50日目、使徒たちが集まっているところに、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒言行録2章3〜4節)とありますように、キリストの教えを広めることの中心にあるのが聖霊の力であったことがわかります。
 福音の宣教ということになりますと、日本の現状はお寒い限りです。クリスチャンは人口の1%ほどしか存在しません。ザビエルによって伝えられたキリスト教は、安土桃山時代・江戸時代を通して、時に為政者の道具として認められたり迫害されたりしました。明治維新後は、日本の近代化に大きな役割を果たしますが、信仰の対象としてよりは文明・知識修得の面での働きが中心でした。今の時代も余り変わっていません。
 今年度のテーマ「伝道する教会」とはどうあるべきか。終戦後の農村伝道は一定の成果をあげましたが(私もそうした中で導かれた一人です)、現代の物質文明の豊かさ・心の貧しさの中で、福音の果たすべき役割は非常に大きなものがあるはずと思います。地域に根を下ろし、イエスの教えを宣べ伝える使命を持つ教会の目指すところは何か、が問われているように思われますが(すでに構想に入っている、または着手されていることばかりですが)思いつくままに。
○青少年に対しての居場所の提供(放課後、休日など一定日の設営。相談に乗ったり、施設管理の面など、世話役が必要?)
○教会を利用しての地域へのメッセージ発信(クリスマス、バザーで実施済ですが、コンサート、講演会など)
○高齢化社会への対応研究(グループホーム構想に基づき推進中)
○礼拝出席が日常生活の一部となる環境作り(教会員はそうなっていることが充分みてとれますが、非クリスチャンから見れば礼拝出席は特別なことです)
○先祖崇拝としての墓地・墓所をどうするか(一般家庭にあっては仏壇があり、お彼岸・お盆・命日など家族による墓参は日常生活の中にしっかり根付いています。クリスチャンホームでもこうした習慣を定着させれば、家庭でもキリスト教になじんでゆくのではないか。教会墓地がありますが、いろいろな面での拡大構想を)
 具体的にどう進めたらよいかのアイデアが出てきません。教会として将来の方向を考える際のヒントのひとつにでもなればと思いつつ。
(えのもと きみお)

越谷教会月報みつばさ2003年6月号特集「伝道する教会 聖霊に満たされて」より


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