伝道する教会

今月の特集題  わたしの元気のもと



心の元気 身体の元気
榎本 寿子
 私の、「元気のもと」はわたくし流ですが三つにわけられています。その一つは、「元気の源(もと)」二つ目は「元気の素」三つ目は「元気の元」と言う風に。
 一つ目の元気の源はもちろん神様からの御言葉と神様のお守りとお恵みです。肝心要の源です。
 二つ目の元気の素はいくつかありますが、まず孫と言う事になります。孫は可愛いと言いますが本当に可愛いものです。孫の事を思うだけでうれしくなります。会うと更にうれしくなります。孫は今1年4カ月になりますが、まだほんの片言でしかしゃべれず、歩けるようになる迄にはもう少し時間がかかりそうです。
 私が訪ねて行くと、玄関迄ハイハイしてきて笑顔で迎えてくれるようになりました。「ケイスケクーン、こんにちは」。「抱っこ!」と腕を伸ばし体重が少しずつ増えてきた喜びを感じながら抱き上げてギュッ!しばらくの間抱っこしたままの時を過ごします。何と幸せなひと時でしょう。今では孫は私の小さな恋人となりました。しかし、この幸せはいつ迄続くでしょうか。せいぜい幼稚園へ行く迄でしょう。そう思うと今の内にうんとたのしませてもらおうと思っています。そこで孫の歌がひとつできました。
  
幼な児の乳の移り香ほのぼのと
      別れし後もほのかに匂う

 拙い歌ですが、何とか三十一文字にまとめられる様になりました。
 それともうひとつは、小学生の頃から憧れていたピアノ。講堂で先生が弾くピアノの音に魅せられていたのです。その憧れのピアノのレッスンを受けられる様になりました。
  
憧れのピアノの手習い還暦を
      過ぎて叶いし譜面のまぶし

 短歌が何とか出来上がった時と、ピアノの宿題がなめらかに弾ける様になった時は思わず「ヨシッやったね」と指パッチンをしてしまいます。
 又、平成園のボランティアに参加させていただき(現在都合により休ませていただいておりますが)これも私にとっては他の何にも代え難いもので大きな力となっています。
 三つ目は身体の元気の元です。それは胃腸の弱い私を気遣ってアガリクスが良い事を教えて下さる方が居て、アガリクスを飲む様になった事と、朝毎にパンに塗って食している黒ゴマペーストと、時々思い出した様に駅のあたりをウォーキングするおかげで身体の元気が保たれていると思っています。
 こうして数えあげるときりがない程沢山の元気のもとを神様から頂戴している事に気付かされます。その事を思うと感謝の他ないのですが、反省ばかりの毎日を送る事になってしまいます。神様の前に一歩でも近付く事が出来たらと願う毎日です。
(えのもと ひさこ)

希望
遠藤 孝
 「私の元気のもと」と原稿依頼を受ける。「元気のもと」と言われても、暴飲暴食の私。これといって健康に注意ははらっていない。塩分を控え目に摂取しているくらいだろうか。人間ドックで「血圧が高いので塩分を少なめに」と言われてはいる。家族からは「お新香の食べ過ぎ。味は薄くても量をたくさん食べれば、塩分を取りすぎます」などと注意されるばかりの食生活である。「控え目にしよう」と思っているだけで実践していない。食生活では、野菜を多く摂取するよう心がけている。
 春から夏場の生活は、早起きをしている。日の出前に起き、コーヒーを一杯飲み、4時30分頃から外で仕事をし、暑い日中は昼寝、薄暗くなる頃まで働く。昼寝が午前の疲れを癒し、元気を取り戻してくれているようだ。昼寝が出来るのは、昨年の四月の定年退職をしたおかげである。大病らしい病気もせず、定年まで仕事をすることが出来たことに感謝している。
 一度だけ入院したことがある。一学期末に腹痛をおこし下腹が痛くなった。テストの採点・評価などの仕事がたまっているので、かかりつけの医者にいき「盲腸なので、痛み止めの薬を下さい」とお願いして痛みを散らしながら、脂汗を流しながら仕事をした。通知表を渡したあと、すぐに紹介の病院へ、検査後、救急車で転院し手術した。「虫垂炎から腹膜炎をおこしていますので、膿がでなくなるまで、管をつけておきます」とお医者さんからの説明を受けた。
 十日ばかり入院しただけで、大病せず、退職まで仕事ができたのも、主のお導きと感謝しています。
 肉体の衰えは、ヒシヒシと感じていますが、己の生きる生活は主のお守りと導きに感謝し、希望をもてることが「元気のもと」であると思う。
 「このキリストのお蔭で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」(ローマの信徒への手紙5章2節)
 これからも聖霊のお導きに生かされていることを信じ、希望をもって生活していくことが、わたしの元気のもとであります。
(えんどう たかし)

古本屋巡り
大矢 真理
 私が現在学んでいます神学校では、火曜日から土曜日迄授業があります。日曜日には各学生が奉仕先の教会へとむかい、実際の牧会の現場での学びを致します。そして月曜日が休息の日として与えられています。一人一人休日の過ごし方は違いますが、私はよく東京へ出かけて古本屋を巡り歩き、リフレッシュをして元気を与えられます。
 吉川からJRの都区内フリー切符(¥1300)か新越谷から東武鉄道の東京散策切符(¥1260)を買い求めて出かけます。行く場所は西荻窪、早稲田、神田神保町、世田谷の奥沢、川崎の新丸子等です。キリスト教書店といいますと銀座の教文館や御茶ノ水のCLCブックセンターや市ヶ谷の聖文社等の書店がありますが新刊では値段も高く購入したくても手が出ないことがあります。
 一年生の時に上級生より神田神保町にキリスト教古書の専門店が一軒あることを教えていただき訪ねて行きました。私の性格は一つのことにはまりだすと熱中し過ぎるぐらいのところがあり、案の定古本屋巡りにも見事にはまってしまいました。専門店以外にもキリスト教関係の古本があるのではと思い一日かけて歩きまわった事もありました。一般の古本屋で比較的キリスト教関係の古書を取り扱っている古本屋が早稲田に一軒、神田神保町に五軒、川崎の下丸子に一軒あることも発見いたしました。
 神学校に入学した時には数冊しかなかった本が今では机に、本箱に収めきれないぐらいになりました。そのほとんどの本が古本屋を巡り歩いた時に安価で購入したものです。何度も足を運ぶと買い求めた本が私の購入した値段より安く出ている事があります。悔しい、と思う事もありますが、コヘレトの言葉三章一節には次のような御言葉があります。『何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。』神様が与えて下さった時に示されてその時の価格で本を購入したのだ。この事に感謝をしなければならないのだ、と考えるようになりました。
 もう一つの元気を与えられることは、電車に乗り先頭車両で景色を眺める事です。鉄道少年(今では鉄道中年ですが)の頃を思い出させてくれます。私にとって古本屋巡りをすることは電車にも乗れるので一石二鳥で元気を与えられるのです。神学校での学びがあと二年ありますが、神の国へむかう電車の運転手(伝道者)としての学び、訓練を元気のもととして与えて頂きながら励んでいきたいと思います。
(おおや まこと)

越谷教会月報みつばさ2004年2月号特集「伝道する教会 わたしの元気のもと」より


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