伝道する教会

今月の特集題  私の伝道への祈り



日々新たに
清水 広幸
 『御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。(中略)忍耐強く、十分に教えるのです。』 (テモテU4・2)
 私という人間を通してイエス様を指し示して生きたい。17年前、キリスト教学校に奉職した当時、生徒に気に入られる先生になるよりも、生徒が神様との出会いを体験するお手伝いをしたいと思った。自分自身がこの学校で尊敬できる師と巡り会ったことと、聖書の授業がキッカケになった。人生の生き方を決定付けた大きな体験は何にも代えがたい物だったからである。
 しかし、学校現場はたやすくない。キリスト教学校といえども公教育を担い、キリスト教信仰を心から望んでいるわけではない生徒や家庭が多い。その生徒たちにもどう伝えていくかが課題だった。
 私は高校時代から導かれた浅草教会の役員だった故山本牧師(2003年8月召天)のことが忘れられない。この方から礼拝の守り方を繰り返し教えられた。その背中がいつも神様を指し示していた。礼拝10分前には会堂の最前列の定席に座り、黙想して準備をされていた。どんなに忙しいときでもいつも同じだった。献金の祈りでは難解な説教を一文で要約して、聖書レポートの我ら学生は大いに助かった。「神様は生きて働いているよ」「聖書は不思議だよ」と笑顔で励まされ、熱心に学び祈られる姿を良く見かけた。浅草教会の新会堂は諸般の事情で15年かけても実現しなかったが、故山本兄が牧師として赴任された一年後それは見事に結実した。主の大きな御力を感じた。
 私の前には毎日1130名もの生徒が送られてくる。この生徒たちと接していて怖いとか優しいとか言う前に、あの先生はどこか違うと思われる生き方をしたい。
 授業、クラス、クラブそして生徒指導などなどいくらでも機会はある。毎日が真剣勝負だ。生徒は自分を写し出す鏡に見えてくる。気持ちの余裕や暖かさがあればそれが伝わるしその逆もある。私の全体を通して生徒達にも何かを伝えていくことが出来たら幸いである。
 まだ、故山本先生のようにはなれないが、背中から無言の教育が出来るようになりたい。神様を信じる素晴らしさを伝えたい。その為には私自身が日々新たにされて、神様に委ねて行くことだと思う。
(しみず ひろゆき)

祈りの奉仕
酒井のぞみ
 私は現在、教会学校中高科の担任の一人として奉仕をさせていただいています。中高生と共に礼拝を守り、その後、お茶をしながらカードゲームをするなど、毎週とても楽しくすごしています。
 しかし楽しいことばかりではなく、奉仕をさせていただいてから常に悩まされる事があります。それは、時々まわってくる説教の当番です。私のような知識もなく経験もなく、特別信仰に厚いという訳でもない者が、どうして神様のことを話せるでしょう。しかし対象者はこれからいよいよ信仰を深め、教会へと繋がり、やがては教会を支えるであろう若者達ばかりです。ヘタな話をしたら、その純粋な目でもって自分の不信仰を暴き、神への不信にも繋がるでしょう。それはとても恐ろしいことです。しかし、恐ろしいことであると同時に、大きな希望でもあると思うのです。話によっては、そのまだ若い心に、神の愛と賛美をいっぱいにもたらすことが出来ると思うのです。それは何と重大な役割でしょうか。なので私は、恐れ多くも誰か一人でも『神様はなんて素晴らしいんだ!』と私の話を聞いて少しでも思ってくれたらと、いつも悩み考えているのです。
 私は話を考えるとき、それはいつも神様から降りてくるものだと思わずにはいられません。何故なら、考えようとする度に、私は自分が何も知らない者であることを思い知らされるからです。
 毎回、毎回空っぽの自分を見つけることは、焦りをうみます。なので何回も何回も聖書を読みそして祈り自分を見つめます。私は自分の心がまだ若く何も知らない、ということで、話の対象である若い者たちにかなり近いことを知っています。自分のほうが何も分かっていない者だと思うのです。なので、私の話はいつも自分自身へ向けてのものなのです。
 自分自身が納得し理解できる話でないものを、どうして受け取ることができるでしょうか。とても当たり前なことですが、いつもそれでつまずくのです。それは、常に私がこうして今を生きてここに居るということが、特別なことだということを忘れてしまうからです。当たり前の様に送っているこの日常の至る所に神様は存在していて、一緒に歩んでくださっている。そのことに毎回気付かされる私は、伝道とは程遠い、悩みと共に感謝を思う、祈りの奉仕をさせてもらっていると思っています。     
(さかい のぞみ)

祈りとの出会い
小槻 節
 祈る、ということを最初に学んだのは、中学生のころ行った英語塾が聖公会系の教室で、月に一回程度は学習前に牧師先生の説教(英語の先生は別)と祈祷、讃美歌斉唱がありました。
 例によって説教は全く覚えていませんが、讃美歌(頌栄541)は毎回同じなので覚えました。また祈りはそれまでの経験にはなかったことでした。中学生の事ですし、教会学校ではなかったので、随分騒がしかったように記憶しており、今思うと真剣に話されていた牧師先生に申し訳ない気持ちですが、この時の祈りの経験が、ひょっとして大学生になってからの受洗の恵みにつながった一つかもしれません。
 青年会(私にもそういう時代がありました)の時に行ったワークキャンプや夏の海の修養会では昼のプログラムや夜の集会では勉強や祈祷があり、どちらかというと祈りは苦手でした。
 何を祈って良いかわからないのです。ほとんど今日の疲れを癒してください、明日も元気に働けますようにでした。他の方が祈られると、その上手さや自然にでてくる祈りに感心することが多いのです。
 求道者や新来者の方にとって牧師先生の説教と同時に、信徒の姿勢、祈りというのは別の面での伝道の働きがあるのではないでしょうか。私が越谷教会へ来て伝道牧会部で随分教わった故飯窪兄が、お元気のころ「定年退職したら、教会のお年寄りや体の不自由な方を教会まで送り迎えする運転手になり、礼拝出席へのお手伝いをしたい」と明るく言われていたのを思い出します。
 教会員には定年はありません、いつまでも現役のままです。ひとりひとりの祈りが教会を形づくり、教会員を育てる大きな力になるのでしょう。
 私の長男は越谷幼稚園を15年前に卒園し、現在大学生で札幌で独りぐらしをしています。教会には行っていませんが、越谷幼稚園で愛情あふれる教えを受けたことが、いずれかの時に生きてくると信じています。
 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6・33〜34)
(こつき たかし)

越谷教会月報みつばさ2004年3月号特集「伝道する教会 私の伝道への祈り」より


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