今月の特集題 この命あふれるもの
田中 郁子 |
この夏の学びのレポートでお許しを。 園庭環境と子どもの情操 ―生命溢れた原風景を伝えようー 山口大学教授 荘司泰弘氏 (7/31) 荘司先生は「森の幼稚園運動」を推進しておられる。「私たちが子ども時代を過ごした環境は、優しさ温かさ、安らぎに満ちていた。いたる処に雑木林や水場があり、すべての生物や無生物が支えあって生きていた。私たちはこの原風景の中で育てられた。思いやりや優しさが育つには『生命と向き合える場所』『生命にじっくり関わる時間』が必要である。この原風景を持つ私たちは、子どもたちの為に『生命溢れる環境作り』の実践者になろう」と語られた。昔、園庭の一部を雑草園にして、虫たちの生息を喜んだこと、その枯れ草と落ち葉で焼き芋をしてアドヴェントに入って行ったこと、園庭一面水場になっちゃって嬉しい悲鳴を上げたことを思い出す学びだった。 幼き者への声と言葉 小塩 節氏(ドイツ文学者・前フェリス女学院院長・ひこばえ幼稚園園長) (8/3) 小塩先生は「母親の声は人生にとって決定的なものである。言葉としては覚えていなくても音として脳の基本を造っていく。子どもと向き合った優しい声が人を育てる。母親が話しかける声が如何に大切かWHOの調査で『親から声をかけられなかった子どもは生きていけない』ことを示している。未熟児の赤ちゃんは、保育器の中で愛の声、母の声を聞けぬため、ストレスで胃潰瘍になる。大人も子どもも共に遊ぼう!みんなで迷惑を掛け合いながら、関わりあって生きていこう!家庭の中の孤食は子どもたちの悲劇を生む。『日毎の糧を与え給え』と祈りつつ健全な食卓を取り戻そう」と語られた。 NHKスペシャル 子どもが見えない (9/4〜9/5) @ 大人の知らない世界。 A 大人はどう向き合うか。 二晩にわたってNHKの掲示板への書き込みと、ゲストティチャーによって展開したこの番組の中で、六年生の四十数名のクラスの内三十数名が死んだら(殺されたら)生き返ると思っていることが明らかになった。(永遠の命・復活とは関係なく・・) この事から死の問題、生命の問題に向き合って本音で語り合う時間が必要であることに至り、北星余市の先生が「生きている感動を共有する場面を日常の中で確保して行こう」と結ばれた言葉に、朝ドラ「天花」からの多くの学びも載せて終わります。 |
(たなか いくこ) |
佐藤 祐子 |
今年は思いがけず年少児の担任をさせていただいている。なんと言っても十年ぶり。メンバーは十二人。コロコロプクプクとみんな可愛い。 遊びの時は怪獣になる。初めの頃、「食べちゃうぞ」と追いかけると半泣きで逃げまわり、中には私の顔を両手で挟んで「先生、先生に戻ってよ」と訴える子もいた。が、半年たって手強くなった。戦いを挑む者もいる。そこでキックなし、パンチなしのルールが導入される。うっかり一人を抱え上げ、お腹をパクパクしようものなら、ぼくも私もの列ができ「一日一回ずつ!」と全部で十二回。これで私の衰え始めた筋力も鍛えられているのは確かである。 「みんなの事大好き」と言うと、ぼくは?私は?とくる。うっかり「○ちゃんの事大好き」と言おうものなら全部で十二回大好きを言う事になる。 「今日は九月のお誕生会」と言う。ぼくの?私の?とくる。うっかり「○ちゃんは十月」と答えると、全部で十二回お誕生日を言う事になる。これで私の実に怪しい記憶力も鍛えられているのは確かである。 小さいけれど、友だちを求め合う。やり方はまだあまり上手くない。「どうして私の事わかってくれないの?」とメロドラマ調の発言がでたり、いきなりたたき合ったり、大声で泣いたり、お決まりの「入れて」「いいよ」「ごめんね」「いいよ」で和解が成立したり。そうしながら、自分とは違う他者がいる事、気持ちを通じ合わせなくてはならない事、妥協する事などを学んでいく。 子どもたちの柔らかな心はスポンジのように、様々な事をどんどん吸収しぐんぐん成長していく。その心に一番初めに染み込ませたい物は何か?神さまと人とに愛され受け入れられている事を知り、そこから生まれる信頼と感謝。のびのびと自己を発揮し表現する力。自分と同じように他者を大切にする思いやり。人と人が共に生きるのに必要な気持ちと言葉。子どもたちがこれらの事に触れ、心が強くしなやかに成長していけるよう、私たちは環境を整えていきたいものだ。子どもたちが幸せそうにしている姿、成長していく様を見ていると、大人も忘れかけていた暖かさや失いかけていた柔らかさをとりもどせるような気がする。大人も子どもも皆、誰かに愛されたい、誰かを愛したいと願いを持っている。互いに大切にし合い、共に生きていきたい。 今、年少児は牛乳パックでできたパワージェットをしょって、地球の平和を守るため、園内を走り回っている。笛も号令もいらない。あとは、よーいどんの合図を覚えてくれたら運動会はきっとバッチリだ。 |
(さとう ゆうこ) |
棚橋千恵美 |
日曜日の朝、礼拝堂の中は小学科の子どもたちの声でにぎわっている。 椅子の間を縫って走り回ったり、ホールに繋がる扉を思いっきり開けて飛び出して行く。園庭・ホールでは、幼稚科の子どもたち、保護者の方々が共に交じっての光景が見られる。「もうすぐ、お礼拝が始まります」のアナウンスを聞いて、遊んでいた子どもたちが礼拝堂へと集まってくる。 小学科の礼拝に出席している子どもたちは、その大半が越谷幼稚園の卒園児である。幼稚園の働きの大きさを思う。「先生、お友達を誘って来たよ!」と嬉しそうに報告してくれる子どもたちがいる。教会学校が楽しい場所となっていることが嬉しい。この子どもたちが教会へ繋がり続けてほしいと心から願う。 だが、高学年になるにつれて教会を離れて行く子どもが多いのが現実だ。また、ある時から全く教会から離れてしまう子どもたちもいる。部活等、理由は色々考えられるけれど、あきらめちゃいけない! 自分達の居場所、ここに来さえすれば・・の期待感を懐いて集まれる場所が教会であってほしい。子どもの姿が見えない教会が増えている中で、越谷教会は礼拝堂が子ども達でいっぱいになる教会だ。幼稚科から小学科へ、小学科から中高科へ、そして青年会へと繋がって行くことを願いながら、この恵まれた環境に感謝しつつも慣れてしまうのが恐いと思う。 3回目を迎えた啓明星教会との交流は、青年会だけではなく教会全体に熱いメッセージを与えてくれた。啓明星教会の青年達の賛美はもの凄いパワーだったし、大人たちは総立ちになって、子どもたちは夢中になってワーシップに参加していた。越谷教会の青年の賛美は、啓明星教会の青年達の大きな刺激を受け、一人ひとりが本当に良い目をして歌っていた。 今、私は小学科で4年生の担当をさせていただいている。学年ごとにわかれる分級の時間では、一方的に話しをしてしまうことがある。子どもたちは教えられようとして教会学校に来ているのではない。子どもたちが、何を求めて教会学校に来ているのかを、子どもたちとの対話の中で探って行きたいと思う。 教会学校は、教会のお一人お一人の祈りによって支えられています。教会学校のために、そこに繋がる子どもたち一人一人が、主の愛の中で成長させていただけますように、これからもお祈り下さい。 |
(たなはし ちえみ) |
越谷教会月報みつばさ2004年10月号特集「この命あふれるもの」より |