今月の特集題  主にある希望



我が家の希望
加藤ハンナ
 前回、原稿依頼をいただいた時「今は絶対お受けできません。 ほかの仕事の締め切りが月末です、他の時期なら苦になることではないのですが」と、声色が変わるくらいの勢いでお断りして、今また同じことを言いたいような状況下にいる、饒舌にまくし立てた自分を 呪っている。つまり誰にも余裕ある日々など一生来ないのではないかと考えてしまう。
 家族のこと、自分のこと、仕事のこと、仕事に付属する義務や更なる仕事。性別年代を超えとかく現代人は忙しい。そして、生活が便利になっていく筈なのに、原始的な問題を突きつけられることが多くなる。毎日、新聞紙面を埋めるさまざまな事件には十戒で戒められたようなことばかり。「人を殺すことなかれ」「父と母を敬え」。情報倫理・生命倫理・技術倫理さまざまな倫理が問われる。 倫理とは仲間内の掟である。
 今年ベストファーザー賞を受賞した俳優(四児の父)が興味深いことを言っている。「なぜ自分が選ばれたか分からない。我が家は家族というより『族』、族のおきてに従わなかったらどんなやつでも半殺し、たとえばトイレで自分が入った時、トイレットペーパーが終わってしまったのにスペアを入れておかなかったら子どもであってもただじゃおかない」。恐ろしい。まさに族の掟だ。この族の掟が改めて必要な時代かもしれない。
 現代は多様な価値が他者の命やいきづらさをも踏みつける。希望の持ちにくい社会だからこそ主にすがりまとわりつきたい。人間らしく生きていくには、自分を律して生きていかなくてはならない。そんな時、信仰の先人の姿を思い出し、自分を奮い立たせたい。母教会で聞いて育った戦中のクリスチャンの話や物静かな方の堅く熱く貫いた信仰の話等である。それらの方は、今は天に召されたり、闘病中で、家庭で祈りをささげている。これは全国各地の教会の、信仰の先輩の姿であろう。 早く越谷教会の先輩の話もお聞きしたいし、そんな交わりも深めたい。何より子どもたちに自分の姿を示さなくてはならない。
 最近、我が家の二人の子どもが日曜学校へデビューした。保育所育ちの二人も何とか仲間に入れていただいている様子。たくさん聖書の話を聞いて育ってほしいし、子ども讃美歌も覚えてほしい。そして夫がポケットマネーで二人に讃美歌と聖書をプレゼントしてくれた。「信仰が我が家の財産」と言っていた両親も喜んでいる。 我が家の明るい出来事である。    
(かとう はんな)

インターネットによる恵み
斉藤 文男
  「いつまで続くのだろう」というのは、パソコン依存症になっていることである。聖書の教える偶像礼拝に気を付けねばと思う。
 定年を延長して一年を過ぎた頃、以前から弱かった胃痛腰痛の悪化、それにストレスから来る貧血で体調がすぐれず、65歳位まで働きたいという思いが果たせず25年勤務した大手タクシー会社を退職した。
 家で休養し失望していた私を見かねて、コンピューターの仕事をしていた娘が「パソコンは面白いから」と勧めてくれ、シルバー人材センターやNTTのパソコン講座で学び、わからない所は娘におしえてもらい、パソコンを始めた。チャット・メール・ホームページ検索・ゲーム・音楽・プロ野球のライブ・ワード・インターネットと新しい情報が次々と分かるので、パソコンの持つ不思議な魅力に夢中になった。退職し孤独で人間関係が希薄になっていたので私の心に刺激を与えるのに十分であった。
 中でもキリスト教のインターネット放送で、FEBC・BBN(聖書放送)神奈川の福音派の教会のビデオによる礼拝祈祷会讃美や、鎌倉雪ノ下教会のホームページ、その他多くの信者の証しや、牧師、神父のメッセージ、教団の山北議長のユーモアあふれるメッセージ、以前ラジオの放送で聞いたことのある、高校生の頃自殺を図って手足の不自由な田原米子さんのいきいきとした命あふれる証し等、神様はインターネットを通して沢山の霊的な恵みを与えてくれました。勿論朝五時半に起きて、自分の足で出席し神様をほめ讃える越谷教会の礼拝も主にあって希望を与えてくれます。
 しかしまだ自分の家庭の問題が解決しないのと、家族を信仰に導きたい、人間関係を円滑に、人間関係を豊かにという思いから、それには自分自身が変わらねばということから、9月からカウンセリングの勉強を始めています。心の問題に関心を持ったからです。このような私にも神様はこの夏に初孫というプレゼントを与えてくれました。感謝です。孫を見ながら神様のなせるわざは不思議だなあとつくづく思っています。孫というのは、そのしぐさを見ているだけで何時間見ていても飽きないものです。澄んだ瞳を見ていると、不思議な喜びに満たされ、この子にイェス様のことを伝えなければと主にあって希望がわいて来ます。
 「誰でも幼子のようにしなければ神の国にはいることはできない」。このみことばのように、幼子のように素直に、恐れず、人生はまだこれからだという希望をもってイェス様に従い歩んでいきたいと思っています。
(さいとう ふみお)

主権は神にあり
大野 アイ
 「わが身ののぞみは ただ主にかかれり 主イエスの外には よるべきかたなし」(讃美歌280番1節より)
 私達は週のはじめに霊の糧を頂くために神様との礼拝を守ります。神様のメッセージを牧者を通して、泉の如く恵みの中に吸いこまれていくのです。目まぐるしい時の流れの中にいつも確かなものを求め続けます。自分の思いではなく、凡て神様の思いに近づきたいと願う者です。
 50余年前に来日されたヘレン・ケラー女史に、もし神様があなたに一つだけ望みを下さるとしたら、と問いかけました。そうしたらヘレン・ケラー女史は世界に平和を望みたいとお答えになったそうです。ご自分の三重苦の苦しみをいやしていただきたいという、質問者が期待していたようなご返事ではなかったのです。
 今私達の住んでいるこの地上での荒廃しきった状況の中で(列王記上3章9節から)、「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与え下さい。」と願ったソロモンの事を思い起こします。「僕は聞きます。主よ、お話し下さい」と言い切った青年がその国の王となって国を治めたと記されています。
 3年前ニューヨークでの同時多発テロがあった3日後、経済アナリストの某氏が、この国を治めている方が傲慢であるからこういう事件が起きたと話されていた。ソロモンの様に神様のみ心をお伺いしていたら、こんな事件は起きなかったのではないでしょうか。神様が下さる知恵を素直に受けていたら、世界中を引き入れてしまう程の大きな問題にはならなかったのではないでしょうか。多くの犠牲が払われてしまい、心痛む昨今です。世界に平和を望まれたヘレン・ケラー女史のお祈りを、後に続く者として、我等も祈り求めていきたいと思います。
 十字架上のイエス様のみ顔を仰ぎ見るとき、人間の罪のためにご自分が身代わりになられたという事実の中に、私達は今生かされている事をもっともっと心から感謝をしなければいけないと思っています。
 「神よりおくられしみ子イエス 十字架の死に勝ちよみがえり われの罪をも救われた 主は今生きておられる わがうちにおられる 全ては主のみ手にあり 明日も生きよう 主がおられる」
 私達はいつも神様を中心にした生活を続けていきたいものです。
 「主権は神にあり」。
(おおの あい)

越谷教会月報みつばさ2004年11月号特集「主にある希望」より


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