今月の特集題 一歩一歩
藤森恵美子 |
「あらっ、今日はひとり?」「息子さんは?」朝礼拝で周りのかたが声を掛けてくださいます。 「今来ます。ワンセットですから ハハハ」と私。下のトイレに寄って礼拝堂に上がって来ます。こだわりの行動パターンのひとつです。 自閉症の息子、崇至は34歳になりました。 一歩一歩、いえよたよたと一緒に歩いてきました。越谷幼稚園児の頃は可愛かったのに、すっかりおじさんになりました。 なぜ「教会に行く」と言うのかなと思いますが、一緒に主の祈りを祈り讃美歌を歌う時、主が招いていて下さると確かに思うのです。 彼なりに成長はしましたが、大人になると又違った問題が出てきます。他の人と興味を持つ対象が違って例えば、看板の文字、商品名などにジーッと見入ったりして他の人の目を気にする事がありません。周りから見ると奇異な事です。独り言も出ます。気持ちの混乱する時は何度も何度も同じ話を聞いてやらなければなりません。忍耐のいる事です。 自分の思う事を充分に言葉で表現出来ない、他人の思惑や微妙な感情を読み取れない、対人関係の障害は社会生活の中で大きな困難をきたします。視覚から入る事は教え易いのですが、見えない事は教え難く、その場面に合った行動等は特に難しい事です。 一般社会での就労は夢かもしれませんが、木工の電気鋸の仕事では、素晴らしい集中力と技を与えられて「ワークスみぎわ」で無くてはならない貴重な存在とされています。「みぎわ」との出合いも教会での事でした。 大好きな仕事をして、日々の生活を家族と一緒に地域で送らせたい。 ノーマライゼーションと言われて久しいけれど、少し変わっていると生き難い世の中です。 苛々した今の社会で崇至の行動が他の人に不快に映り、トラブルになりはしないかと何時も不安を感じています。私も家族も崇至のあの明るい笑顔が大好きです。 何時も、いつまでもあんな笑顔をしていて欲しいと思います。 そんな息子と私に「私はあなたと共にいる」と言い切って下さる主が居て下さる事は大いなる慰めであり、支えであり、感謝であります。 |
(ふじもり えみこ) |
佐藤 傑 |
僕は、今年1月9日に成人式を迎えることができました。これも皆さんの暖かい支えがあってのことだと思います。さて、今回のみつばさのテーマ「一歩一歩」ということですが、このテーマを考える際に、自分が今いる状況を見つめ直してみました。 僕は今、専門学校の二年生で、就職も決まり、今春からいよいよ社会に出ようとしています。普通なら「希望と不安を胸に抱え…」と言うのかもしれませんが、今の僕には、はっきり言って不安しかありません。なぜなら、仕事につく為の資格が取れるのかも解ってないし、もし取れたとしても、ちゃんとした仕事が出来るのかも解らないからです。 僕が選んだ仕事は、自動車整備士です。前のみつばさで、池田君が「仕事を選ぶ上で幸せなことは、趣味と仕事が同じで両立していること」と書いていました。僕もその理由で、専門学校を選んだのですが、入学初日に「自動車整備士は車の医者だ。人間の医者のように直接人の生死にかかわることがなくても、君達のミスが間接的に人を殺すことになる」と学校の教師に言われ、正直ビビリ自分の考えが甘かったことを痛感させられました。そこで、学生の内に「命の尊さ」について学ぼうと決意しました。その頃、青年会の活動も盛んになってきて、僕にとって教会が行き易い場になっていましたが、「命の尊さ」についての答えはでませんでした。 しかし、昨年、その時は突然来ました。鎌田先生の死です。皮肉にも、僕は鎌田先生の死を通して命の尊さを学びました。あの時は、何で?どうして?ふざけんなよ!と、どうしていいか解らない感情が次々に込み上げてきて、後に残ったものは、すごい脱力感だけだったのを覚えています。 大切な人の死…それは、回りにいる人に、悲しみ、憎しみ、怒りとして、その人達の心に深く傷跡を残すものだと知りました。もし、このような感情を自分のミスのせいで他の人に与えたとしたら、そんなことを考えると怖くてたまらなくなります。だから、僕は、人の命を預かるという責任感を持ち、キッチリした仕事をしていかなければならないと改めて感じ、そして、輝ける、未知なる未来へと向かって、一歩一歩確実に歩んで行きたいと思います。 こんな、幼い文を読んでいただき有難うございました。 |
(さとう すぐる) |
森田 基子 |
越谷の風を温かく運んでくれる、“みつばさ“は、心なごむ唯一の愛読誌です。この私が、誌面にのってしまうなんて…いいのでしょうか。 二十数年前、親元から離れ、越谷幼稚園の先生として一歩をふみだした時から、私の人生は大きく変わりました。当時の教会員の皆さま、幼稚園職員の先輩方には温かく迎えていただき、感謝、感謝!! みのり多く、心豊かな五年間を過ごした後は、結婚・子育てと人として女性として、階段を一歩ずつ歩んできました。時には、大きくふみはずして痛い思いをしたり、ある時は、何歩も後退して悲しい気持ちを奮い立たせて立ち上がった事もありました。 それらを振り返る今思うことは、ひとつひとつが神さまからの試練であって、おかげで、何歩、前進できた事かと思います。 今、キリスト教保育から離れ、普通の私立幼稚園で主任という立場をまかされ、孤軍奮闘中です。 喜び、迷い、悩む事も沢山あります。自分の選択が正しかったかどうかわかりませんが、いつも心は「越谷からのはじめの一歩」 教会員一人ひとりの “温かい笑顔” 田中郁子先生をはじめとする先輩方の、“厳しさとユーモア” みことばである “たたけよ!さらば開かれん” “互いに許しあいなさい” これを忘れずに心にひびかせ、日々与えられた状況・自分の今やらなければならない事を冷静に受けとめ、一歩ずつ、前進あるのみ!!と、自分に言いきかせています。 心の中にある信仰を見失わず、一歩一歩、歩み続ける事は容易な事ではありませんが、とりあえず、もう少し頑張ってみようと思います。 明日も、きれいな朝やけが、 みられますように!! |
(もりた もとこ) |
越谷教会月報みつばさ2005年2月号特集「一歩一歩」より |