今月の特集題  主の恵みの中で



浪花の風に吹かれて
中村寿美子
 大阪に転居して早や一年九ヶ月。
 街を歩けば耳に「六甲おろし♪」目にはトラトラストライプ、スポーツ各紙の大見出しにいたっては勝っても負けても「タイガース」、もうっ、信じられないっ!!先祖代々由緒正しき巨人党である私共夫婦、全く居心地の悪い土地に来てしまった・・・とボヤクことしきりでしたが、まあなんとか気を取り直して暮らしております。
 越谷教会を離れるのはこれで三度目、正直なところもう転勤はこれで終わりにしてもらいたいのが本音です。いつも転居先で初めての教会に通い始める時、こう見えても小心者で臆病な私は(誰ですか?笑ってるのは!)ドキドキ緊張してしまいます。自分の事をどの位説明すればよいのか、又知りたい事をどなたにお尋ねすればよいのかと不安になるのです。一からの人間関係をスタートさせるには、教会でも地域でも本当にエネルギーを要します。そして自分の事をよく知っていて下さる方々の中に居られた時の有難さをつくづく思い知らされるのです。                             
 そんな事の繰り返しだった私にとって、たまの帰省の折に出席する越谷教会のお礼拝はまさに居心地の良い安心して居られる場所です。前奏の頃にはまだあちこちに空席があっても、ひたひたとまるで潮が満ちて来るごとく、いつの間にか礼拝堂がいっぱいになるあの充足感が、たまらなく好きです。そして素朴な十字架を見上げつつ皆さまの力強い讃美歌の声に包まれると、なぜか胸にグッとこみ上げてくるものがあるのです。一言では表せないさまざまな思いが凝縮してしまうようです。
 みことばに正されたつもりなのに、隣人を愛せない、なお他者を裁く自分がいます。世界に平和をーと偉そうに祈る我が足元で、身内の仲に争いがあるのを看過している自分がいます。神さま、どうしたらよいのでしょうか?と祈るなかで気付かされた事は、苦しむべき時は苦しみ、現実はありのまま受け止めてその只中に身を置け、逃げるなと云うことでした。すべては十字架のイエスさまが贖って下さった、神さまは赦して下さっている、怖れずに、出来ることから感謝してやってみようと思いました。淀川堤に立ち浪花の風に吹かれていると、神さまが「まあ、あんたはん、ぼちぼちやりなはれ」とおっしゃっているような気がするのは身勝手な私の思い過ごしでしょうか・・・。
 「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネによる福音書16章33節)     

(なかむら すみこ)

与える事、与えられる事、叶える事
上平 貴昭
 「うっちー!」
 教会の友達は自分のことをそう呼んでくれます。教会限定のこの愛称は教会に行った時だけ(課外活動などでは聞けますが)しか聞けないので、週一でしか会わない(課外活動などでは会えますが)みんなと教会で会えるのはとても楽しみなこととなっています。
 とても居心地のいいこの教会に初めて来たのは中学一年の時です。キリスト教の学校に入学した僕は、一学期に一回出される課題を提出するために学期に一度現れる人として教会に来てました。来ていたというよりも行かされていた感じです。
 そんな教会にもちょくちょく来たり、イベントに参加するようになりました。高校でも相変わらず課題が出ていたので教会に来ているうちに周りの人達と仲良くなり、本当にいつの間にかそうなっていた感じです。今となっては課題が自分とみんなをつないでくれた感じです。
 そうやってつながりを深めていく中でみつばさを書くことになりました。
 「主の恵み」って一体なんだろう?と考えてみた時、今周りにあるある一つ一つのことが主が与えてくれた恵みなのだと思いました。
 自分は4月から大学三年生になります。大学生活も折り返しに入り、社会へ出る準備をしていかなくてはならなくなります。学校の先生になりたいという夢はあるものの具体的に何をしていこうというのはなく、不安もあります。しかし、そうした夢を持てること、それ自体幸せなことだと思います。そして幸せとは大小関係なく主が与えてくれた恵みなのではないでしょうか。
 幸せなことというのは忘れてしまいがちです。不幸なことがないとはっきり分らなかったりします。しかし、健康であること、親、友達など周りの人がいて支えられていること、夢を持てること、好きなことをできること、色々なことが幸せなことだと思います。だからせっかくの主の恵み、幸せを毎日噛み締められえばいいなと思います。
 そして、主の恵み、それは道しるべになるものではないでしょうか?恵みがあるからこそ頑張ることができると思います。これを書いてみて、恵みが与えられるものばかりでなく、その与えられた恵みにより、周りの人に恵みを届けることが出来れば、それは素敵なことだと思います。
 最後に…与えられたたった一度の人生で夢を叶えることは素晴らしいことだと思います。皆さん、夢を叶えてください。
(うわだいら たかあき)

祈りを合わせて
安間亜都子
 皆様、お元気でお過ごしでしょうか?私が越谷の地を離れ、静岡に越してきて10年・・・。変らずに届けていただいている「みつばさ」をいつも楽しみに読んでいます。今回、原稿の依頼の為、みつばさ委員の方よりお電話までいただき、「私で良ければ」と書かせて頂くことになりました(本当に懐かしく、ついつい長電話になってしまいました)。
 今、住んでいるところは新しい家が建ち並ぶ住宅街ですが、それは一角のみで周りは山、田んぼ、畑に囲まれたのどかなところです。越してきたばかりの頃、「なんて空が広いんだろう。」ととても感動したものです。タヌキ、イタチにも時々お目にかかりますが、ヘビに遭遇した時はさすがに驚き、叫びながら100メートル位走って逃げましが、今では「ヘビか・・・もうすぐ春だなあ。」と眺める余裕さえ持てるようになりました。
 ご近所づきあいでは、田舎特有の「寄り合い」があったり、自治会の役員も多数あったりとなかなか大変ですが、近所のおじいさんから野菜を頂いたり嬉しいこともたくさんあります。
 子ども達は中学一年生と小学三年生になりました。学校まで5キロ、2キロの道のりを通い、すっかり田舎の子らしくたくましくなりました。
 越谷に住んでいた時と生活環境がガラリと変り、戸惑い、迷うことがたくさんありました。そんな時、私にとっての「みつばさ」は励ましであり、心の拠り所でもありました。「みんな元気なんだ。こんなことがあったんだ。」と思うだけで元気になれました。
 今回、原稿依頼の話を頂いたとき、「石橋先生はいつもお祈りの中で遠く離れている方々のことを祈られるんですよ」と聞き、涙が出る思いでした。今にも折れそうな枝を神様が繋ぎとめて下さった、と感じました。
 このような毎日の中で神様のことを思い、向き合うときを与えられたことに感謝し原稿を書いています。遠く離れていても、一本のぶどうの木の枝に私も加えられている・・・そのことはどんなに心強いことでしょう。越谷教会の皆さんと祈りを合わせ、日々歩んでいきたいと思っています。そしてまた、お会いできる日を楽しみにしながら・・・。
(あんま あつこ)

越谷教会月報みつばさ2005年3月号特集「主の恵みの中で」より


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