今月の特集題  赦しの恵みの中で



礼拝から遣わされる喜び
清水 広幸
  「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
            (ヨハネによる福音書20章21節)
 私の一日の生活の大部分は元気な中2男子生徒212名との関わりです。中2の5クラスを担当しA組の担任もしています。当然ですが一人として同じ生徒はいないので、皆それぞれに悩みや問題を抱え苦しみながらも「元気な姿」をしてはいます。とことん付き合っていく内に生徒の人格や家庭の中に触れていかざるを得ない現実が沢山あります。現代の少子化社会の中では生徒の問題=家庭や保護者の問題であることも多いからです。言い方を変えれば生徒はその影響を受け、時には犠牲になっている時もあるのです。華やかに見える(?)私学に入ったから円満ではなく、色々な問題が噴出したり露呈したりするのです。
 こんな生徒もいます。約1年間の闘病の末に父親を見送った生徒、母子家族の中での個食と深夜帰宅の寂しさに耐える生徒、両親の離婚問題や不仲、クラブの中のレギュラー争いで傷ついた生徒、自分の言動で周囲の友人との関係が悪くなって悩む生徒、学力問題で落ち込んでいる生徒…。数えたらキリがありません。思春期真っ盛りの生徒は色々興味があるのですが、同時に多くのことで悩み傷つき生きる場所を見失うことがあるようです。「学校に慣れる1年間」を終えたこの2年目は、「生活と学習の確立を目指す」ことを学年目標にしています。いよいよ夏休みを迎え2学期の始業式ではどんな「眼」をして登校するのか今から楽しみです。‘魔の中2の夏’を彼らはどう過ごすのかハラハラドキドキです。
 生徒の様々な問題に対応する時に何時も問われ試されるのは「自分の存在」です。あなたは何処に立つのか、どんな人間なのか、どう見るのか…その事が常に厳しく問われます。常に考える事は、私のような小さく不十分な人間が決して自分の力や思いで立っているのでは無いという告白ができないときには間違えやすいことです。イエス様が弟子たちに常に寄り添い、優しく厳しい眼差しで導いてくださったように、どのような時にあっても、神様が共に居てこの小さな器を用いて遣わしてくださっているのだという確信を持っていたいと思います。願わくは在学中に生徒が一人でも多く福音に触れて欲しいのです。
(しみず ひろゆき)

神様の愛を思い起こして
須賀 工
 「赦しの恵みの中で」をテーマにみつばさの原稿を依頼され、いろいろと考えた結果、ルカによる福音書10章25節〜37節の聖書の御言葉が与えられました。ご存知の方はおられると思いますが、それは「善きサマリア人」のたとえの話しです。実は、この箇所は、6月19日にCSの説教で私に与えられた箇所であります。実に単純な内容で、一度聞いたら誰も忘れないこの箇所は、CSの小学科でも良く出てくる有名な箇所であります。小学科の説教の中で教師は度々、「善きサマリア人のように隣人を愛する人になろう」と子ども達に伝えます。この私も何度もこの箇所の説教を聞き、この言葉を聞いた憶えがあります。しかし、私達はこの「善きサマリア人」のようになれているのでしょうか? 私自身は、率直に言うとなれません。むしろ、私には追いはぎに半殺しにされるユダヤ人にこそ本当の自分が見えるように思います。神殿のあるエルサレムからエリコへと向かうユダヤ人の姿は、教会の思いから、神様の御心から離れてしまう罪ある私が想像できます。又、道中追いはぎに会って半殺しにされるユダヤ人の姿は、神様の御心から離れてしまった私の疲れ果てた姿や自分の罪の中にある死の恐怖などが想像できます。裏切られ、疲れ果て、悲しみ、心が痛み、もう生きている心地もしない私の姿。しかしイエス様は、このたとえに出てくるサマリア人のように私に憐れみを感じ、やさしく私に触れ、救ってくださいます。
 私の罪の為に神様は、御子イエス様を十字架に架け、私の罪を贖ってくださいました。これを除いてどんな救いがあるでしょうか?これが、キリスト教の中心的なテーマであります。この聖書箇所は、罪ある私の姿を思い出さし、それを通してイエス様の十字架上の救い、赦し、そして愛を思い起こさせる箇所であるといえます。救いそして赦しは、私だけではなく、みなさんに与えられた大いなる神様の愛であります。毎週の礼拝だけではなく、祈祷会や日々の祈りの生活の中で私達は、この神様の愛に触れています。神様の愛は、私達のいつも身近にあり、私達をいつも守ってくださいます。もう私達は、死を恐れる事は無く、疲れる事も、悲しむ事もありません。しかし、このように言っていても社会の中で私達は、何度も罪を犯し、疲れ果て、誰かの助けを求めます。そのような時ほど神様の愛は、輝きを増し、私達を救ってくださいます。サマリア人のように隣人を愛する事は、私達にとって難しい事です。しかし、キリストの愛を人に伝える事は出来ます。赦しの恵みの中で私達はいかされています。更にその赦しの愛を宣べ伝える使命が私達には与えられているのです。神様、あなたが与えてくださる愛に感謝します!
(すか たくみ)

越谷教会月報みつばさ2005年7月号特集「赦しの恵みの中で」より


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