今月の特集題  主暦の恵みに生きる



みことばからの出発
池田 和美
 時にアクティブに時に心静かに、その季節を様々に呼応して、楽しんでいる幼子と場所を同じにしながら、ただひとり、巡る季節を横目に、どの月もどの月も同じ作業に背中を押されている私のもとへ、今年もまたページェントのやさしいピアノの音色と愛らしい子どもたちの声がアドベントの時を知らせてくれました。
 アドベント、それはまだ子どもたちを教会の幼稚園に通わせているというだけで、神様から遠く離れていた頃、同じクラスの娘の友達の、クリスチャンであるそのお母さんから「アドベントのこの時、池田さんに謝らなければならないことがある」と告げられた。聞けば、母たちの何気ない会話で嘘をついてしまって、ずっと心のなかで悶々としていたというのです。私にしてみれば全く覚えていない位の小さな事だったのに―。けれど、今ならその思いが痛いほどよくわかります。
 イエス様ご降誕の喜びの日は、大切なひとり子を私たちの罪を許して下さるために贈って下さった神さまの大きな愛を思いながら、一切の心の中のゴミを取り除くことなしには迎えることができません。気をつけていても、よくよく考えていても、いつのまにか重ねてしまう罪を自身で問い直し「ごめんなさい」を考えるこのアドベントの時をなくして一年は終われない、と思うのです。
 そんなふうに自分のことやまわりのことを思い巡らし、神さまに問いながら迎えるクリスマスは私にとってこの上ない喜びです。ここの場所を大切にしながら、ずっと生活していきたい、と毎年思わされるのです。
 「面倒くさいという言葉は嫌い」何気なく開けた新聞のクリスチャンである佐藤初女さんのこの言葉が心に釘打ちされ、探し当ててガイアシンフォニー2番を見ました。深い感動でした。青森の地で食を通して、心を病んでいる人を癒し続けていらっしゃいます。80歳を過ぎている今でもずっと―、ただひたむきに心をこめて人や食物の命と向かい合っているその姿に強く心を打たれました。聞けばそれはみことばからの出発だったのです。
 けれどこんなうれしい出会いの一方で「まるでドラマ!」の状況の末、誰よりも先に天国へ行ってしまった兄を思う時、「どうして?」と疑問ばかりが膨らみとても受け入れることができない大きな悲しみの日々もありました。礼拝でお話を聞き、涙ながら賛美すると次第に心が落ち着いてくる事を感じ、その深い悲しみの中で生きる意味を考えさせてくれました。
 いつの時も神さまに問いながら、ひとつひとつのアドベントをすごしていきたいです。今自分に与えられている事に心をこめて向かい合いながら―そして80歳になっても初女さんのようにみことばを大切にする日々を送ることができたら、うれしいです。
(いけだ かずみ)

越谷教会月報みつばさ2006年1月号特集「主暦の恵みに生きる」より


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