今月の特集題  主にあって一つ



初心者である私の理解
李 文慧
  聖書を読み進むと、さまざまな領域にわたって主にあって一つであることが随分強調されていることに、誰でも気づくでしょう。
 パウロはフィリピの教会の兄弟たちに、主にあって一致するように求めました。「主にあって」というのは、常に神様と結びつき、導かれながらということです。自分勝手に生きるのではなくて、主にすべてをゆだねることから始まるのです。私はこう思っています。「一つ」というのは、クリスチャンも「一つ」であること。神様が一人ひとりに与えられている賜物も、個性も、能力は皆違います。しかし、父と主イエスが一つであるように、すべてクリスチャンは主への信仰において一致すべきなのです。私達はキリストに結びつくことなしには一つになれません。つまり、主イエスを信じるようになった人たちは、一つです。それ故に、「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:26〜28)とパウロは答えています。したがって、お互いに愛し合い、認め合い、「わたしの目にあなたは価高く、貴くわたしはあなたを愛し…」(イザヤ43:4)であるのならば、主イエスに救われた一人ひとりがキリストの体として働くことができます。ポイントは、主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つであるように、クリスチャンも一つであります。
 具体的な言葉でパウロがフィリピ1:27〜2:11と4:2〜5、エフェソ2:11〜22と4:1〜5、コリント1:10〜13で書いています。
 神様は分派分裂、争い事を許しません。クリスチャンがこの世のすべての相違を越えて、主にあって一つである事を望んでおられます。そして、私達の教会がいつも集まるごとに、心を一つにして祈る教会であることを主は願っているのです。
最後、ヨハネによる福音書(17:11、17:20〜23省略)をもってこの文章の締めくくりと致しましょう。主イエスは殺される前、私達のために願い求めて下さっています。「一つになる」このみ言葉が強調して、何度も繰り返されていることは意味深いです。これはとても大切な答えです。
(り ふんすい)

いつも一緒に
亀井 道子
 「主にあって一つ」というテーマで、と原稿を依頼され考えてみたのですが「主にあって一つ」ということは、結構難しいことだな、と思いました。私たちは「主にあって一つ」と日頃、気軽に聞いたり口にしたりしますが、自分の現実を見るとちょっと躊躇するような言葉です。
 洗礼を受けて40年余りがたちます。最初の8年間は、信徒として外から、残りは牧師と結婚したことで中から、教会をずっと見てきました。教会には様々な方々が来られます。自分と合う人もいれば、合わない人もいる。喧嘩の出来る人もいれば、出来ない人もいる。教会ででなければ出会えなかった方もいます。それぞれが、もちろん私も含めて、問題を抱え罪を抱えて生きています。だから、一つになることは易しいことではありません。
 そんな中で分かったのは、神様の前で自分のどうしようもなさを正面から、逃げずにしっかり見つめ、神様の前に一人で立ってしっかり悔い改めをした人は、年齢、性別、性格の違いを越えて互いに分かり合える、ということです。たとえ、最初私とは合わないと感じたとしても、です。これが主にあって一つ、ということでしょうか。「自分は神様がいないと生きて行けない」「自分の中には誇れるものは何もないけど、神様が全てを持っておられて、それで自分は豊かに生きていける」という共通の思いが私たちを一つにしてくれているように思えます。その思いがある時、例え激しく喧嘩をしても、お互いに後で神様の前で自らを見つめ、悔い改めの祈りをし、互いの為に祈っていることが信じられるのだと思います。
 私には、信仰の友が数え切れない程、あちこちの地にいます。普段、殆ど音信不通であっても、ひと度何かあると祈ってくれる友は、本当に嬉しい存在です。それらの友は、遠く離れていてもお互い主の守りの中にあることを信じられるし、向こうもそう思っていることが分かっているからです。みんな、主の守りの中で一つの存在です。
 この越谷の地でも、多くの出会い、交わりの時がありました。昨年の八月に突然現れた私たち夫婦を、自然体で迎えて下さりさりげない配慮を持って私たちが気持ち良く居られるようにして下さったこと、本当に感謝しています。
この半年間は久し振りのノンビリした時でしたが、何となく落ち着かない時でもありました。でも、神様は様々な豊かな出会いというプレゼントをもって私たちを励まし、元気づけてくださったことを、心から感謝しています。
(かめい みちこ)

越谷教会月報みつばさ2006年2月号特集「主にあって一つ」より


特 集      HOME