今月の特集題  イースター



新しく生まれ変わる
酒井のぞみ
 イースターと聞いて思い浮かぶのは卵です。母のお腹に居た時から教会に来ていた私は、当然の様に越谷幼稚園に入り、そのまま小学科で毎年の卵を貰っていたわけですが、最初はその意味を知りもせずに、只美味しい卵の貰える日だと、単純に喜んでいた事を覚えています。でも流石に、今では卵の意味を多少なりとも理解しているつもりです。
 卵からは新しい命が生まれて来ます。それはイエス様と私達の事を指しているのではないでしょうか? イエス様の死は、お弟子さんやマリアさん達に激しい絶望を与えたと思います。裏切った事も何も出来なかった事も、もう何もかもが取り返しがつかないと、その死に絶望し悲嘆に暮れた事でしょう。しかしイエス様は復活なさり、「幸せでいなさい」と婦人達の前に現れてくれます。婦人達は激しく喜び、その足に抱きつきます。絶望は壊され、今までに無い大きな喜びと共に初めてイエス様を知ったのです。死をも計画の内にある神の力と、死を破壊し絶望を退け、どうにもならないと云う想いを吹き飛ばし、そして私達の罪をも赦して下さったのです。婦人や弟子達は、イエス様に出会った瞬間から、例え肉や血は同じでも、まったく違ったものへと生まれ変わったのだと思います。それは、私達にも云える事ではないでしょうか? イエス様の死と復活を思う時、私達も罪に塗れた自分は死に、何度も新しく生まれ変わるのです。
 卵を貰って単純に喜んでいた子どもの私は、それでも小学校高学年から、毎週のイエス様の話を楽しみにしていました。中学生になった時、私は一年間、暗闇を凍った心で歩く事になりました。ほとんど死んでいた心が、それでも何とか生きていたのは日曜日があったからです。日曜に教会へ行ってイエス様と向かい合う事で、月・火・水・木・金を何とか生きていけたのだと、未だに鮮明に思い出します。月曜日は一番苦しい曜日でした。日曜に一番遠かったからです。
 今、私はとても強くなり幸せに生きています。暗闇も見えず心も暖かくなっています、多分。しかし、イエス様の話をわくわくして聞いていた私や、イエス様と向かい合っていた中学生の私に、今の私は少しも適わないのです。でもそれを知っている私は、とても幸せだと思っています。
 最後に、この原稿を書くにあたって、またイエス様と向かい合い、新しく生まれ変われるきっかけを与えてくれたみつばさ委員会の方達に感謝致します。     
(さかい のぞみ)

浪人中の罪
上田 拓郎
 昨年の四月から一年間、僕は浪人をし、主の導きにより今年はミッション系の大学に入学することができました。
 一年間、勉学の時を与えて下さった天の父に感謝します。
 今月のテーマ「イースター」、僕たちの罪の為十字架にかけられた主の復活祭でありますが、やはりこのテーマを語るにあたり、浪人生活をはずすことはできません。
 浪人中の生活を振り返るといくつもの罪が思い起こされます。
 毎週行っていた日曜礼拝を休みがちになってしまったこと、毎日開いていた聖書もだんだんと開く回数が減っていったことなど、天の父への感謝の気持ちが浪人中には薄れてしまいました。
 主の支えにより導かれるということも忘れ、我の努力が進路を開くと思い込んでいた時期もありました。
 過去を振り返ると間違いに気付くことはありますが、過去の時点ではなかなか間違いだと気付くことはできません。無意識の罪とも言えるかもしれません。
 もしかしたら、この原稿を書いている今でさえ無意識に罪をおかしているのかもしれません。
 しかし、天の父は自身の愛によって罪人である僕たちを主と共に生かして下さいました。
 僕たちの罪が赦された「イースター」、この恵みを感謝いたします。
(うえだ たくろう)



越谷教会月報みつばさ2006年4月号特集「イースター」より


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