今月の特集題  聖霊の働きへのめざめ



祈りの言葉が出ない時も
小幡 正
 今の仕事はアルバイトで、生活は楽ではない。もっと条件のいい仕事をお与え下さい、正社員になれますように、もっといいアパートに引越せますように、自分のパソコンを買うことができますように、と願う自分がいるが、神様に祈る時、言葉が続かなくなったりすることがある。
 地下の連絡通路やガード下には、仕事や家がなくて苦労している人がいる。病気や体の障がい、戦争や紛争、迫害、貧困に悩む人は世界に大勢いる。まずその人達のために祈らなければ。自分には住む家も与えられ、バイトではあるが自分を活かせる仕事も与えられているのだから感謝しなければ、と訴えるもう一人の自分(もしかしたらエエかっこ言いたがる偽善者っぽい自分なのかも)がいるからだ。
 この二人の自分(?!)の祈りがうまく調和できなくて、心の底の願いを神様に話せなくなったこともあった。しかし、願いごとを述べないでただ「解決の道を開いて下さい」「最善の道をお与え下さい」「みこころにかなった形で」などとだけ祈っても、それも正直でない気がして嫌だった。
 聖霊の働きについて聖書にはたくさん書かれているが、その中で、変な言い方かもしれないが「いちばん好き」なのは、どう祈るべきかわからない時「言葉に表せないうめき」をもってとりなして下さる(ローマの信徒への手紙8章26節)聖霊の働きだ。
 神様のご計画とは、人を細いレールの上を進ませて不自由にするようなものではないと思う。むしろ、人の心の底からの声にならない嘆きや叫びにも、神様は強い関心と深い愛をもって耳を傾けられ、そしてそれは、全く新しい神様のみわざが示されることにつながるのだ、と信じている。そこら辺が神学的にどう考えられているのかはわからないが、そうに違いないと信じている。
 今まで多くの人達が神様につながり続け、神様に訴え、神様に感謝と願いを述べ続けてきた、そんな数え切れない一人ひとりのすばらしい人生が、それを証しているからだ。それに、イエス様も、願いごとをたのんだ女性に、すぐにかなえては下さらないように見えても、彼女がさらに熱心に訴えた時、「それほど言うなら」と彼女の願いを喜んでかなえられた(マルコによる福音書7章24〜30節)。この異邦人の女性に対してそうだったように、今も生身の体と心をお持ちになった主が、生き生きとした関係を持って下さり、また新しいドラマを展開開して下さる、そこに祈りが力を発揮する「余地」がちゃんとある。
 イエス様にこの地上でお目にかかれなくても、聖霊によって私達との間のパイプはしっかり確保されていると信じて祈り続けたい。
 代々の聖徒らを強く生かしたる御霊を我にも与えたまえ(讃美歌270) アーメン

(おばた ただし)

越谷教会月報みつばさ2006年6月号特集「聖霊の働きへのめざめ」より


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