今月の特集題  伝道者を生み出す教会へ



聴いておられる
森谷 愛
 「家」と言えばここ大林に三回建てた。越谷に市政が施かれた直後で、初回は宮内庁鴨場の松林が聳え、一面に桃林が広がる、さながら楽園に極小の家を建てた。
 教会の方々が大歓迎して下さった。45軒の農家があったが、大変親切で気軽にお茶を飲みに寄ってくれた。二回目は、二階家で次女誕生と同時に完成し、家庭集会が始められた。
 妻の絵画教室の生徒が多数となり、増築した際に、屋根の継ぎ目の雨漏りが止まらず修理を重ねたが、傷みが激しく17年目で現在の家を造った。
 三回目のコンセプトは、家庭集会向きである事。末娘も17歳と成ったので、親と子の居住区を分ける事とした。親子分離の成功の鍵は、自室の居心地の良さにあると、兄妹の個室を二階の東南にとり、この三室をホールで結んだ。そこにオーディオとTVを置き、皮のソファーをL字に、桜材のコーヒー・テーブルを奮発、トイレも付けたが、これが、大誤算であった。そこは、就寝時に使用するのみで、いつも通りキッチン前の大テーブルに友人らと陣取って、夕食は大勢で盛り上がり、友人の一泊二泊は当たり前、アメリカからの友人達は三か月滞在と、家族だけの夕食は覚えていない。三人が巣立つと、夫婦だけの静かな生活になったが、娘夫婦が家建設の土地探しを始めたのを知り、同居を薦めた。現在は、公務員の新しい息子と、六か月になる孫娘が加わって元通りの五人家族である。教会はキリストにあって祈り合う故に家族なのだと今更に思いが深くなる。教会の祈りが集中し、我が家の子等もCSが楽しくて欠席せずに通い、三人共、中・高生時に受洗した。
 かつて主の日毎に、我が子と友人達を車に詰めるだけ積み込んでCSに送迎した日々を懐かしく思う。今はCS教師の妻を送迎している。
 長男和夫は、彼を「牧師にする会」によって祈られ召命された。又、妻はある神学生の幼い日から彼を牧師にと祈り続けていた。和夫が海外宣教師としてNYの日本語教会赴任が決まった時、「そこには行ってはいけない」と言う、しきりの忠告があったが、果たしてその通りになった。彼は内外から伸べられた救いの手を振り切って、バーミングハム長老教会へ赴いた。そこには日本企業が密集し、多数の単身赴任の若者がいる。彼等に福音が伝えられたなら、家族へ・社会へ・世界へと光が広がる力になると信じる。生活を日米協会の専務理事として支えつつ働いている。ここにも教会の祈りの集中を覚えて感謝である。その後、NY日本語教会は、年配のベテラン女性教師によって維持されている。我々夫婦もこの為、切に祈った。主にあって祈り合う教会の一員である事に感謝し祈り続けていきたい。
(もりや めぐむ)

私を知って下さる神
東京神学大学大学院1年 田中 光
 今回、石橋先生のお誘いによって、越谷教会で奉仕させていただくことになった東京神学大学の田中光といいます。自己紹介も兼ねながら、この与えられたテーマについてお話したいと思います。
 私は現在、ホーリネスの流れを汲む基督聖協団という教団に属しております。そして、私の父はその教派の牧師です。私は幼いころから父の説教を聴いて育ちました。日本は、人工の1パーセントしかクリスチャンがいないと言われて久しいですが、しかし、その中に占める牧師家庭の息子、娘の割合は、更に少ないのではないかと思います。地方に生まれ育った牧師家庭の人間なら分かると思うのですが、教会というものに対する認識が殆どない場所では、やはり自分は少し変わった家庭に生まれたのだろうか、などと考えてしまうものです。私の場合もその思いが強くありました。しかし、同時に、自分は意味があって、この場所に居るのかもしれないということも考えるようになっていきました。
 その思いに強く導かれたのは、大学生のときでした。私は東北学院大学のキリスト教学科というところで学びましたが、保守的なキリスト教の環境の下で育った私にとって、そこでの聖書批評学との出合い、あるいは全くタイプの違うクリスチャンとの出会いは、私の信仰と献身の思いとを強く揺さぶりました。そんなある時、ある方から送られた聖書のみ言葉が、私の心を捕らえました。「しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られている」(ガラテヤの信徒への手紙4章9節)。私は、自分で神を知ろうとして自らの力により頼んでいたが、私が知る前に、もう神は私を知り、出会ってくださっている。もう私が頑張る必要はない。この神に全てゆだねよう。私はそのような思いに導かれてゆきました。短い紙面では伝え切れない部分があって歯がゆいのですが、このとき与えられた思いが、今も私を生かしています。
 今夏、私は自分の教派で夏期伝道実習を行いましたが、その時、私は御言葉が語れない、整えられていない、もうだめかもしれないと何度も思いました。御言葉を語る人間が、実は失格者の典型のような人間ではないのか、という不安が重くのしかかりました。しかし、私はこの夏、先程の御言葉の意味を今一度考えました。「知る」とは、「認識する」という意味にどまりません。神は、全人格的に私と「関わって」下さっている。弱いところがあってもなお、です。「私はお前を究めている。その上で言うのだ。御言葉を語りなさい」そう、神はおっしゃっているのだと思いました。私はこの御言葉に立って、語るものとして生かされてゆくと信じています。
(たなか ひかる)



越谷教会月報みつばさ2006年10月号特集「伝道者を生み出す教会へ」より


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