今月の特集題  新しい年 -原点に立ち帰る-



平安でありますように
斉藤 文男
 新しい年が来た。不信仰で神様にそむき逆らった自分にも懺悔の意味も込めて今日までの年月をふり返って見る。
 多感な青年の頃キリスト教伝道放送ルーテルアワーも終わり「あなたも誠の人生の平安を得る為に無料聖書通信講座を受講なさいませんか」この人生の平安と、無料という言葉につられて受講する事にした。送られて来た真新しい新約聖書を読んで行くうち、このような書物があったのかと思う程に引かれ、まるで真綿に水がしみ込むようにむさぼり読んだ。その後羽鳥明牧師の世の光という番組も聞き、紹介状を携えて越谷教会の門を叩いた。教会では長尾丁郎牧師を始めとして暖かく迎えてくれて逆に(大変な所に来てしまった)というのが第一印象であった。その後教会には夕拝に出席したり山内國男伝道師が訪問したりしてくれていた。二年位してそんなに聖書を読んでいるならという事で受洗した。その頃の私は内向的で劣等感が強く、聖書は毎日読んでいたが教会の敷居が高くなり、時々出席するという信者であった。それでも教会のともしび館で行われた農村伝道修養会に泊まり込みで出たり、青年会に出たり、楽しい思い出もあった。
 その後、長尾牧師は天に召され勇牧師も去って、献金だけはするが教会には時々出席するというその程度の信者だった。
 その後26歳の時に結婚もし、何事もなく過していたが2年位して家族の中に引きこもりが出た。彼は高校を卒業して2年程会社勤めをしていたが、ある日少し遊ぶと言い、車で北海道に行ったり放浪生活が始まった。その後家に戻って来たが、昼間寝て夜起きるという生活になって行った。いろいろ助言したり励ましたりしたが、効くのはその時だけで翌日にはやる気がなくなるという繰り返しの生活であった。大人しい父は夜になると酒を飲んでは彼に不満を言っては言い争いが始まり喧嘩をし、あげくの果ては取っ組み合いの喧嘩になり家の中が大混乱になるという日々であった。そんな私は(神様助けて下さい。力を与えて下さい)と祈るだけであった。そんな中で母はリウマチという持病が悪化して入院したが治らず家に帰り療養していたが、その後病の床に就くようになって行った。
 混乱している様子を子どもに見せたくない妻は、家庭の中が嫌になり家を出て行き、私も家を出た。家庭崩壊の始まりである。
 その後様々な出来事があり、山あり谷ありの試練が続く、長い長いトンネルが続く毎日であった。
 定年になり時間の余裕も与えられ教会の礼拝にも続けて出席出来るようになり、そして光も少しずつ見えて来た。
 遠まわりしたが心に平安も与えられ、主に従いつつ生かされています。
(さいとう ふみお)

喜寿に想う
澤木八重子
  私の誕生日は1月8日なので新年になるとすぐ誕生日を迎える。小学生の頃は3学期の始業式と重なるので冬休みの昨日までお正月気分でご馳走を食べたり、暖かい家の中で家族団らんのうちに過していたのに今日からは凍える寒さのなかを登校しなければならない。しかし、久しぶりに友達に会って家に帰る頃には太陽は燦々と輝やき朝の辛さはすっかり忘れさっている。
 しかし、年を重ねるうちに肉体的な辛さに加え多様な人間の生き様を心の深い所で受けとめなければならなくなってくる。
 愛、信頼、背信、相克、そして避けることのできない死、これら様々の人間模様を太宰治の走れメロス、森鴎外の高瀬舟、そして、夏目漱石のこころから読みとることができた。
 社会に出てから朝夕の勤めは自転車で通ったが、五分ほど走ると必ずある店の前を通らなければ勤め先へは行けない。間口四間ほどのその店は、大きな木の枠のガラス戸が4枚、いつも透明に磨かれていた。そのガラス戸を通して見えるのは白い蓮の花や金の蓮の花、背後の棚にはいくつもの白一色の陶磁器が並べられていた。私はその店が近づいてくると、まっすぐ前だけを見て通り過ぎようと思う。しかし、店の前を通過する時、私の目だけは、ちらっと横目で店の中の品々をしっかり見てしまうのだ。
 そう、その店は町にたった一軒しかない葬儀屋だったのだ。その瞬間(ああ、わたしも何時かはこの店の世話にならなくてはならないのだ)と意識するようになり、この思いは心の中で重い鉛となっていつまでも忘れることはできなかった。
 昭和28年、ある日、亀有の友人から「家でお話会があるからいらっしゃい」と誘われた。彼女の六畳の和室には男女5、6人と牧師さんがいらっしゃった。その方は手にした聖書を朗読し、話をされた。「神様は、このわたしの罪のあがないのために独り子を十字架にかけられた。それほど、私を愛してくださったのです」。
 私は、これまで、イエスキリストの名前を聞いてはいたもののどういう方か全く解らなかった。(ああそうなのか、私の諸々の罪のために死んでくださった方がイエスキリストという方なのだ)と思った途端、胸がいっぱいになり、止めどなく涙が流れ落ちた。
 今も讃美歌332番の
  主はいのちを   あたえませり
  主は血しおを   ながしませり
  その死によりてぞ われは生きぬ
  われ何をなして  主にむくいし
 この讃美歌をうたう時、初めて主イエスキリストにまみえ、主の御前にひざまずいた信仰の原点を忘れることはできない。 
(さわき やえこ)

越谷教会月報みつばさ2007年1月号特集「新しい年 -原点に立ち帰る- 」より


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