今月の特集題  光の子に恵まれて



今を生きるエネルギー
和田 和恵
 東京で一人暮らしをしていた時も、結婚をし千葉に住むようになった今も、ずっと越谷教会のみつばさは読んでいました。越谷教会に携わるたくさんの方々の生き生きとした文章にいつも励まされてきました。まさか、そのみつばさに、自分の文章が載る日が来るとは思ってもみませんでしたが、いつも温かく迎えてくださる越谷教会の皆様に感謝の気持ちを込めてペンをとらせて頂きました。
 我が子…自分のお腹に宿った新しい命がこの世に生まれ出た2005年4月9日。この日の事は、決して忘れません。小さな目・口・手・足、そのどれもが愛しくて、出産した日の夜中は嬉し涙が止まりませんでした。普段、感謝の薄い私ですが、この時ばかりは「神様こんなステキな命を誕生させてくださり、ありがとうございます」と祈らずにはいられませんでした。
 守るものができると人は強くなれる、とよく言われていますが、母となった私は、守るべき我が子のおかげで、たくましくなったと思います。日常の色々な事をマイナスに捉えてしまい、落ち込みやすいタイプでしたが、いつもパワー全開の我が子の前では、くよくよしている時間などありません。「まあ、いいか。仕方ない。明日は頑張ろう」と我が子から明日を生きるエネルギーをもらっています。
 我が子を通じて、たくさんのママ友だちもできました。今はメールというツールがあるせいか、今までにないスピードで知り合いが増えています。私はかなりマイペースなので、このママ友だちとのつき合いは試練の連続!神様は我が子を通じて、私にたくさんの生きるエネルギーと共に、私が成長するための様々な試練をくださっています。
 ストレス社会、地球温暖化、絶えることのない戦争…我が子の生きていく道のりは、決して平坦ではなさそうです。だからこそ、幼い今の時期を、たっぷり愛情をかけて育てていきたい!その思いだけで、毎日過ごしているような気がします。 
 公園に行ったり、サークルに出かけたり、子ども中心の生活は、大変なこともあるけど、とても楽しく充実しています。
 神様から恵まれた光の子は、私にとって今を生きるエネルギー源です。
 直ちゃん、生まれてきてくれてありがとう。神様、本当にありがとう。
(わだ かずえ)

光の子と共に
諏訪 幸子
 我が家の子どもたちも、お蔭様で小学四年生と二年生になりました。越谷幼稚園、教会学校の中で育てられ、教会員の皆様に成長を見守られている事は、感謝ですし、母である私の喜びでもあります。
 それぞれが、伸び伸び成長しています。嬉しい事です。長女はちょっぴり(かなり?)生意気にもなってきましたが、それが成長とも思えるようになってきたのは、母として私も成長している証拠でしょうか。   
 我が子が大きくなってきたせいか、幼稚園のオリーブ(預かり保育)で出会う子どもたちが可愛くて仕方ありません。
 3才児はまだ手足がぷくぷくしていて、何をしても何とも可愛らしいのです。年中・年長組の子どもたちも、「何して遊ぼうか」と、瞳をキラキラさせています。かるたをしても、お相撲をしても、かけっこをしても、何とかして勝つぞと、何度も挑んできます。
 年長組のHくんの土俵際の粘りは大したものです。負けたくない彼が編み出した技です。子ども対大人だから成り立つ戦略ですが、土俵の外に送り出そうとしても、足をひょいとあげてぶら下がり、また土俵の中に戻ってくるのです。何度もそんな事を繰り返している内に、こちらの体力はへとへとになり、土俵際で堪えきれず遂には自分が出てしまいます。勝って喜んでいる顔がまた、何とも言えず、いいのです。
 夏休みのオリーブでは、毎日のようにセミ捕りに行きました。一日に三度も行った時もありました。年中組のYくんはすっかりセミ捕り名人、二百匹は捕まえたでしょう。私もかるく見積もっても百匹以上は捕まえました。泥だんご作りも、ピカピカにしたいと力が入ってしまうのは保育者です。こんなに子どもたちと蜜に、豊かな時間が持てて幸せな事だと思います。
 子どもはどの子も、やっぱり神様から授かった光の子だと思うのです。光の子と過ごせる事は、大きな恵みです。
 親の愛は無償だと言われますが、子どもから親に向けられる愛情もまた、まっすぐ親に向いています。愛しているようでいて、同時に子どもからも大きな愛をもらっているように思うのです。大きくなってくると、駆け引きめいたものが見え隠れする時もありますが、根本的なところでは幾つになっても変わらないのではないでしょうか。
 『神様はどんな時もあなたと共にいて下さる』という事が、この先の子どもたちの支えになりますよう、祈っています。
(すわ さちこ)

越谷教会月報みつばさ2007年11月号特集「光の子に恵まれて」より


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