今月の特集題 福音を多くの人々へ
小幡 正 |
メリー・クリスマスという言い方は、好きではない。別に外国の行事を祝うわけじゃないのだから英語じゃなくて「降誕祭おめでとう」、でも降誕祭と発音しても通じにくいし「クリスマスおめでとう」でいいじゃないか、と思ってきた。しかし、日本のクリスマスの大事な側面を、私は見逃していたようだ。 スーパーに就職して6年たった頃、仕事の関係で夕拝の方にも出られなくなった。それからの11年、ただ仕事に追われるだけの日々になり、日曜は休めず、平日の休暇の海外へのひとり旅だけが生きがいとなった。 入学・就職シーズンに子どもの日、お中元に七五三にバタバタしてるうちに、気づいたら店内は《クリスマス・ソング》の大洪水、でもさぁコレって違うんだよナ本物のクリスマスってもっと静かに心をすまして待つもんだ、とか思いつつも、プレゼントの包装の応援にかり出され、自分のほかの仕事を気にしつつ顔と声だけは優しく親切に接客、お歳暮も手伝わんならんし、いつの間にか正月も営業になり、おせちも自分は食べないままバレンタイン商戦とひな祭セールに突入…。 そんな販促カレンダーの中のクリスマスを繰り返すうちに、「商魂たくましいコマーシャリズムが、クリスチャンでない人もクリスマス・クリスマスって浮き足だたせるのは、好ましくない現象だ」などと思ったりもした。また、イエス様のご降誕と関係ないように思える内容の《クリスマス・ソング》が街で繰り返されると、耳をふさぎたくなったりした。好きなラジオもクリスマスには聴かない。にせクリスマス・ソング(?!)ばかり聞かされたくなかったから。その代わり本物と思えるクリスマスのCDを聴いて、ひとりで自分を納得させようとした。 クリスマス特価とか「○△屋(店名)のクリスマス」とかエレガント、ファンタジー、これって全然クリスマスじゃないだろホントは、という現象は、日本のクリスマスの中には確かに多い。でも、それらの中には、案外人々の心の奥にひそむ純粋な思いを映し出すような側面も見つけることができるのではないだろうか、と最近思う。師走の労をねぎらうパーティーをやる職場もあるし、買物をしプレゼントや食事を準備し、遠距離の彼女を乗せた新幹線を待ち、遠距離でなくてもハートのマーク入りの携帯メールを送る。お互いの結びつきを大切に思う気持ちや、ふだん気づかない何かを再び求める気持ちが、この時期に呼び起こされる人も少なくないのだ。そのことに私は気づかずに、むしろ自分だけが本当のクリスマスを知ってるような顔をして、自分のまわりのクリスマスから自分を遠ざけて、何かひとりよがりなクリスマスを過ごしていたようだ。 今の私は地元の人間関係がなくなり、教会に誘える人が思い浮かばない。でも、12月の第一土曜日に越谷駅前で教会の皆さんとクリスマスの讃美歌を歌い、キャンドルサーヴィスのチラシを配る貴重な時間が与えられた。帰り道、ふと思った。ほんとうは、イエス様のご降誕と無関係なクリスマス・ソングなどないのではないか、たとえ一見なんの関係もないような歌詞でも。そう、雪の夜の新幹線にも、携帯画面に届くハートマークにも、イエス様は訪れて下さる。これからはそれを妨げず、むしろ感謝し、協力できることがあればぜひ参加させていただきたい。 |
(おばた ただし) |
川田 光江 |
十数年前になるだろうか。私は神様から思いがけないクリスマスプレゼントを頂いた。寒い夜、風呂あがりのゆったりとした私の耳に「アレ!讃美歌かな、本当!」 外に飛び出た私の目の前に、高らかに主を賛美するキャロリングのご奉仕の姿が。信じられなかった、なんと言う喜び、嬉しくて嬉しくて、ポタポタと涙が凍えた地面を濡らしていく。「ありがとうございます」この欠けの多い不信仰な私を、神様は決して見捨てず愛してくださっている。兄弟姉妹をお遣わしくださり、私の向かうべき道を指し示してくださる神の偉大な愛に、ただただ涙して祈りつづけた。 月日は流れ、今の私はといえば相変わらず悔い改めの日々を過ごしている。いい加減な私に、主はキャンドルサーヴィス委員のご奉仕の場をお与えくださった。神様が共に居てくださる事に気付かずにいる人や、待望人でいる人々に「神は、その独り子をお与えになった程に世を愛された」「永遠の命を与えてくださる救い主」と、あの時の喜びと恵みを、愛する兄弟姉妹と共に宣べ伝える働き人として、弱い私達の背中を押してくださいと祈りつつお仕えしている。 クリスマスの飾りがあちこちできらめいている夕方、越谷駅前の広場で、聖歌隊によるキャロリングが清らかに響きわたる。うっとりと聴いている暇はない。ベテランのH姉の真似をしてチラシ配り。「クリスマスは教会へ」と。初めての頃は、チョッピリ及び腰だったが、今は少しベテランかな?「川田さん、こんなところで何してるの」なんて声をかけられたり。でも翌日には、「川田さん越谷教会に行ってるそうよ」と広がる。以前は「あなたがクリスチャン?アッハハ」と笑った友人達も今は「今日は日曜ね、行ってらっしゃーい」と声をかけてくれる。ラッキー「みーんな教会へおいでよ!」 我が家の家庭集会も18年になるだろうか、私が家庭集会から洗礼へと導かれたので、このご奉仕も感謝である。 キャンドルサーヴィスの燭台作りを家庭集会で試みた時は求道中の方もめずらしかったのか喜んで一緒に作り、クリスマスの話にと良き交わりの時となった。兄弟姉妹に助けられ、少しずつ新しい方がお見えになる。神が整えてくださる豊かな学びと交わりは恵みの時である。 自分だけの恵みに滞まるのではなくて、立ち上がりましょうよ。外に出ましょうよ。神の国の平和と喜びを宣べ伝えましょうよ。神様は一人ひとりに良き賜物と働きの場を備えてくださる。心の目と耳を澄ませて、その声をキャッチしなければと強く思う。 主の憐れみと愛に生かされている事に感謝して、喜びを持って、輝いて・・・。いざ行かん。 |
(かわだ みつえ) |
越谷教会月報みつばさ2007年12月号特集「福音を多くの人々へ」より |