今月の特集題 主に感謝
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須賀 工 |
東神大での四年間の学びの時が、無事に終わった。この事が、今、特に感謝したい事の一つである。包括的に言うならば、それは神の導きへの感謝以外に他ならないのだが、そこに連なるものとして、越谷教会の方々によって祈り支えられた事、又、諸教会の支えや共に学んでいる神学生の支えがあった事への感謝は、私にとって欠く事の出来ないものである。![]() 心を一つにする事は難しい。他人の喜びに共感する事も難しい。しかし、唯一の神を共に信じ、心を合わせて賛美できる兄弟姉妹がいる事、悲しみを共に越え、共に喜べる兄弟姉妹がいる事、共に励まし合える兄弟姉妹がここにいる事。この喜びは、神の導きと救いを通してのみ知る事の出来る幸いである。私は、兄弟姉妹と共に、神によって、このような不可能と思えるような喜びの中で共に生かされているのです。そして、この事の故に、私は、不安を超えて、感謝へと向かえるのです。 ![]() 四年間の学びが支えられた事、励まして下さる兄弟姉妹と出会えた事、その事を本当に神に感謝します。 |
(すか たくみ) |
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中村美代子 |
最近出会って心に残った歌の歌詞の中にこんなフレーズがあります。 『笑顔は作るもんじゃない 心の淵からこぼれるもんだね 感謝はしようとするもんじゃない 自然と沸きあがるもんだね』 ![]() 何を隠そう、私が幼稚園でお仕事をさせて頂くようになって一番驚いたことは、子どもたちの「ありがとう」の使い方でした。子どもたちは思いもかけない所で「ありがとう」を使います。製作に使う紙を手渡した時、ブランコを押した時、絵本を読んだ時、ちょっとしたことを手伝った時等々…。大人にとってみたら当たり前なことや、「え?これ位のことで?」と思うようなことにも「ありがとう」と言えるのです。すごいなぁ…と思いました。 本当に小さくて見逃してしまいそうなことに対しても感謝できるこの姿に、教えてもらったことがたくさんあります。 ![]() そんな時、『ありがとうの達人』に毎日会えるのは大きいのです。不平不満だらけのイヤ〜な自分に気付かされ、私に与えられているたくさんの恵みや喜びに改めて目を向けるキッカケをもらえます。 きっと、「感謝」とは自分の感じたことや沸きあがってきた思いを、言葉や態度で表せることなのでしょう。大人になるとなかなか素直に表すことができなかったり、感度が鈍ってしまい、感謝することが難しいことになってしまいがちです。特に神様に対してはそうかもしれません。 でも、その難しさに負けず心のアンテナを磨いて感度を上げ、子どもたちのように小さなことにも「ありがとう」の思いを持ってすごしていける者でありたいな…と思います。そしてその「ありがとう」をきちんと神様に向かっても大声でしていける者でありたいです。 ![]() 「神様、私の近くにとっても素晴らしい お手本(こどもたち)を置いて下さって、ありがとうございま〜す!」 と、お祈りすることにしたいと思います。 (冒頭でふれた歌はAquaTimezの「ガーネット」という曲です) |
(なかむら みよこ) |
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越谷教会月報みつばさ2008年3月号特集「主に感謝」より |
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