今月の特集題 伝道への祈り
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須賀 工 |
今回、『伝道への祈り』という主題で『みつばさ』を書く機会が与えられた事は、本当に感謝であり、恵みであると思います。![]() 私達キリスト者は、十字架の贖いにおいて救われた者とされたのと同時に、神の御業に仕える者として、全ての人が、創造主の神に用いられる器とされているのです。これ以上の恵みがあるでしょうか。私達は神の御前で、謙虚に立とうとします。だから、どこか自分が用いられる器である事から避けようとする時がある。「自分には、こんな事は出来ない」と思った事が、皆様にもあるのではないでしょうか。しかし、私達は、恐れる必要はない。なぜなら、何も持たない者が用いられた事は、聖書を読めば、直ぐに見出せる事であるからです。神は ![]() 私達は、神が今も生きて働かれる方である事を知らされています。だから、礼拝を通して、又、時には祈りを通して、神に自分の弱さを告白しつつ、救われ、日常を歩めるのです。神は、御自身を現す事をやめる方ではないのです。それは、私達が日々、神の救いを感じて生きている事が、証している事でもあるのではないでしょうか。 正に、伝道に向かって、まず始めに祈る事、礼拝する事の重要性は、伝道が神の「生きた働き」である事を私達に再確認する事知る者であり、喜びと畏れをもって神に仕える者なのだと言えるのではないでしょうか。 |
(すか たくみ) |
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森谷エイ子 |
執り成しの祈り「牧師、御家族、礼拝者、求道者、役員会、各会合、教会学校、幼稚園、様々の状況にある兄弟姉妹……」教会の方々のお祈りに合わせて祈る。 祈りが只の暗誦になる時、自身の大きな危機で、助け手は迅速に働かれ歪み捩れを正して悔いと共に立ち帰らせて下さる。 ![]() 18歳で美大の寮に入ると、神無しの解放感からよく学びよく遊んだ。結婚して初めて、生家に在った濃密な神の気配が深く染み付いている自分に気付いた。同時に居住していた渋谷から不思議な経路で越谷教会にキャッチされていた。後に我が家の幼い子等が一家で留守にする際には「神様もご一緒に行きませんか」と置き手紙をするのを見て妙に納得した。 1963年長尾牧師御夫婦が往復7キロの夜道を歩いて来られ、家庭集会を開かれた。40年続いた家庭集会の始めであった。 1970年5月に小海牧師が石垣牧師御夫妻と共に来られ引き継がれた。14年後石橋牧師に引き継がれ、2003年に私が病に罹るまで続けて下さった。この間二世を含め11名が受洗された。 ![]() 夫は30代から用いられた役員を先日病の為辞任した。スポーツ万能の体力で週報棚、スリッパ棚等を有志の役員さんの助力で作り、第二礼拝堂用地の草刈りに張り切っていた壮年期は過ぎ、老いと病を受容する時期に入った。信仰の師、大先輩がお見舞いに訪ねられ、ご丁寧なお便りを頂いた。 (掲載をお許し頂いて)「愛様、長い間長老として、教会の為ご努力ご苦労様でした。長老教会は、牧師と同じ様に引退後も終身長老であります。私も引退牧師として、終身牧師であります。お互い赦された生涯を、教会のため兄弟姉妹のため執り成しの祈りをもって主の御用のためにお仕えしていきたいものであります」。主イエス・キリストのお言葉をお聞きした思いで共に祈らせていただきたいと思う。 |
(もりや えいこ) |
越谷教会月報みつばさ2008年10月号特集「伝道への祈り」より |
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