今月の特集題  伝道への祈り



伝道へ向けての祈りと立ち帰り
須賀 工
 今回、『伝道への祈り』という主題で『みつばさ』を書く機会が与えられた事は、本当に感謝であり、恵みであると思います。
 「伝道の根本」というものが、今回の主題となる「伝道への祈り」特に「祈り」という事に込められているように感じられます。伝道は、実に、多様な方法論を用いて議論がなされ、実践へと向かっていくものであります。しかし、その根本になされる事は「祈り」であるという事を、改めて思わされるのです。伝道には祈りが欠かせない。なぜか。伝道の業が、神の生きた業であるからであります。ここから外れる事は、神の御業を軽んじ、自分の力を誇示している事に他ならないと言わざるを得ないと言えます。何よりも、神が先立ち、神の憐れみにより、神の「生きた働き」に参与させてもらっているという信仰と確信がなければ、それは、人間の都合で全てが成されるものであると言えるのです。
 私達キリスト者は、十字架の贖いにおいて救われた者とされたのと同時に、神の御業に仕える者として、全ての人が、創造主の神に用いられる器とされているのです。これ以上の恵みがあるでしょうか。私達は神の御前で、謙虚に立とうとします。だから、どこか自分が用いられる器である事から避けようとする時がある。「自分には、こんな事は出来ない」と思った事が、皆様にもあるのではないでしょうか。しかし、私達は、恐れる必要はない。なぜなら、何も持たない者が用いられた事は、聖書を読めば、直ぐに見出せる事であるからです。神は、御自身を現す為に、その人にあった仕方で、その人を用いられるのです。ましてや、主イエスを通して、罪から救われ、永遠に神の子どもとされた私達が、用いられないはずがないのです。なぜなら、もし、神がそのような方でないのであるならば、神は、御自身を現す事をやめてしまい、今は生きておられない神となってしまうからです。
 私達は、神が今も生きて働かれる方である事を知らされています。だから、礼拝を通して、又、時には祈りを通して、神に自分の弱さを告白しつつ、救われ、日常を歩めるのです。神は、御自身を現す事をやめる方ではないのです。それは、私達が日々、神の救いを感じて生きている事が、証している事でもあるのではないでしょうか。
 正に、伝道に向かって、まず始めに祈る事、礼拝する事の重要性は、伝道が神の「生きた働き」である事を私達に再確認する事知る者であり、喜びと畏れをもって神に仕える者なのだと言えるのではないでしょうか。  
(すか たくみ)

祈り
森谷エイ子
 執り成しの祈り「牧師、御家族、礼拝者、求道者、役員会、各会合、教会学校、幼稚園、様々の状況にある兄弟姉妹……」教会の方々のお祈りに合わせて祈る。
 祈りが只の暗誦になる時、自身の大きな危機で、助け手は迅速に働かれ歪み捩れを正して悔いと共に立ち帰らせて下さる。
 私は生家が教会であると思い込んでいた。神の気配が家の隅々にまで濃密に満ち、日々礼拝が捧げられ、来客が多く自然に祈祷会が持たれた。幼い私が「宗教は×」と思う程多くの出来事が起きる家でもあった。破産、莫大な負債、母の不治と言われた長年の病。私の感染、妹との別れ、等一例に過ぎない。戦時中は長野県で父一人に特高警察の尾行が付き四六時中見張られ週一回は取り調べがあった。1945年春凍て付く信州の山林を開墾して畑にする為、韓国から男子中学生百名余りが連行され小学校校舎一棟に入った。言葉が通じて友達になった。軍人の監視下、重労働で倒れる少年が出始めると、父は小学生の私を助手にして全員を救出した。嬉しかったが当然父の逮捕拷問を予想して恐怖の日々を過ごした。それが杞憂に終わったのは終戦が近かった為か、尾行者が戦後関西で受洗、役員もされた方だった為かは謎である。
 18歳で美大の寮に入ると、神無しの解放感からよく学びよく遊んだ。結婚して初めて、生家に在った濃密な神の気配が深く染み付いている自分に気付いた。同時に居住していた渋谷から不思議な経路で越谷教会にキャッチされていた。後に我が家の幼い子等が一家で留守にする際には「神様もご一緒に行きませんか」と置き手紙をするのを見て妙に納得した。
 1963年長尾牧師御夫婦が往復7キロの夜道を歩いて来られ、家庭集会を開かれた。40年続いた家庭集会の始めであった。
 1970年5月に小海牧師が石垣牧師御夫妻と共に来られ引き継がれた。14年後石橋牧師に引き継がれ、2003年に私が病に罹るまで続けて下さった。この間二世を含め11名が受洗された。
 1973年4月、教会学校(以下CS)中等科の教師に用いられ35年になった。初めの生徒は小海基牧師、薩摩雅宏CS校長、佐藤祐子先生、近くの0姉方である。この間に牧師3名、神学生1名、と受洗者は数知れず、天と教会共に喜び合う光栄に与った。我が家が子ども達の集会所だった子育て中は、日曜日毎に夫が十数名を車に詰めてCSに送迎した。
 夫は30代から用いられた役員を先日病の為辞任した。スポーツ万能の体力で週報棚、スリッパ棚等を有志の役員さんの助力で作り、第二礼拝堂用地の草刈りに張り切っていた壮年期は過ぎ、老いと病を受容する時期に入った。信仰の師、大先輩がお見舞いに訪ねられ、ご丁寧なお便りを頂いた。
 (掲載をお許し頂いて)「愛様、長い間長老として、教会の為ご努力ご苦労様でした。長老教会は、牧師と同じ様に引退後も終身長老であります。私も引退牧師として、終身牧師であります。お互い赦された生涯を、教会のため兄弟姉妹のため執り成しの祈りをもって主の御用のためにお仕えしていきたいものであります」。主イエス・キリストのお言葉をお聞きした思いで共に祈らせていただきたいと思う。 
(もりや えいこ)

越谷教会月報みつばさ2008年10月号特集「伝道への祈り」より


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