今月の特集題  命を与えられた喜び



わが子の誕生
福田 基香
 わが子の誕生はすごかった!確か、お腹の子は出る道を探しつつ、ゆっくりと回転しながら出てくるのですよね?しかし、わが子は違いました。分娩室へ入り「さてこれからが本番だ!」と思ったほんの数分後、スポーンと飛び出てきたのです。まるで滑り台から勢いよく滑り下りてきたかのように(笑)さすが私の子、元気いっぱいです。

 名前はどうしよう。病室でわが子をじっと見つめながら、考えた名前を呼んでみました。でも、考えていた名前はすべて男らしい名前ばかりで、なんだかピンときません。とうとう退院の日を迎えてしまいました。寒いけどとっても天気の良い朝でした。まるでこの子の出発に希望の光が差しているかのような朝でした。「あっ朝希!」早速呼んでみました。「ともき君おはよう。今日は退院の日だよ。これから新しい生活が始まるよ」。この子にぴったりの名前です。

 朝希が産まれてから、私の生活は想像以上に変わってしまい、戸惑いもたくさんありますが、その何倍もの笑顔を与えられた事を実感する毎日です。

 8月に越谷教会の修養会へ参加させて頂いた時、豊川長老さんから思いがけない一言を頂きました。「参加してくれて本当にありがとう。朝希君がこの場を温かくしてくれているよ。子どもってすごいよねぇ」。とっても嬉しい一言でした。私は越谷教会の方々には与えて頂くばかりで、何も出来ていません。でもほんの少しだけ、朝希が恩返しをしてくれました。私の代わりに…。

 子育てが大変です。でも、私が子どもに育てられているのだと気付かされます。朝希は11月で2歳です。ときかく腕白で、日々追われる毎日ですが、これからも子どもと共に成長をしていきたいと思います。
(ふくだ もとか)

子どもと共に歩む
西野 由香
 娘が通うお礼拝にあまけの様に来ている私が、みつばさの原稿のお話を頂いて良いのか、また、その頂いた題材に何を書いたら良いのか…と、悩みながら書いています。

 子どもを授かった時、生まれた時がきっと一番の喜びの瞬間だと思うのですが、私が娘を生んだ時は麻酔で眠ってしまい、夢うつつな中、看護婦さんが私を起こして娘を見せてくれました。「眠いなぁ」と思った記憶しかなく、私がきちんと娘に会ったのは、それから3日後でした。私が持っていた赤ちゃんのイメージとは違い、顔立ちがはっきりとしていて眉毛もしっかり、でも髪の毛は少ない…今にも寝返りをしてしまいそうなくらいに保育器を足で蹴って移動している、元気なおもしろい子でした。

 娘が一緒に歩いて出かけられるようになると、「だめだよね」と言いながら、道に落ちているゴミを拾うようになりました。ゴミ箱へ捨てたがるのですが、タイミング良く見つかることは少ないため、ゴミ袋を鞄に入れて歩くのが私の習慣となりました。娘と一緒にいると、良いこと・悪いことを改めて気づかされることがあります。

 娘がいてくれることで私の生活は変わりました。娘を通して新しい出会いもありました。娘が在園中、役員をやらせて頂きましが、その中でもたくさんの方々に出会い支えて頂き、娘と同じ様に楽しく幼稚園生活を過ごしました。卒園の時には、支えて下さった方への感謝の気持ちと、この出会いをくれた娘への感謝の気持ちで一杯でした。

 娘は笑う時、本当に楽しそうに嬉しそうに笑います。気持ちに余裕がなくなると、つい忘れがちになるのですが、私にたくさんの喜びを与えてくれている娘のこの笑顔を絶やさずに、共に歩んでいきたいです。
(にしの ゆか)

神に与えられた命
小松田 史
 充実した穏やかな越谷幼稚園の日々から巣立っていった子どもたち。新しい社会の中で色々な事に遭遇するのだろうと少し心配しながらも、元気に行って来ますと出かけてゆく娘の後ろ姿を応援しておりました。

 ある日、私はイジメられていると布団をかぶって泣いているのです。聞くと10人以上から暴力や中傷を受けていたのです。
 「死ね、ウザイ、殺す、キモチワルイ」という言葉が日常的に一年生のうちから使われています。娘は学校に行きたくないとは言いませんでした。また、いじめた子の家の赤ちゃんがかわいかったと言うのです。いじめられる側にも原因があると聞きますが、どうして娘が?という気持ちでした。

 朝、そっと通学班をつけました。たくさんの列が学校に向かいます。途中、一人も後ろを振り返った班長さんはいませんでした。なぜでしょう。後ろの生徒たちは気にならないのでしょうか。ふと石橋先生のお話を思い出しました。「愛」とは後ろの人間を気づかい振り返る事であると(広辞苑より)。

 娘は正義感は強いですが、ジャンヌダルクでもない、一年生です。ですが、ただの一年生ではないと思いました。娘の表情から園の日々から学んだ強い心、支える友だち、愛されていると感じ、どこにでも喜びを見いだせる子。越谷幼稚園の子は皆そうです。
 そんな娘が自分を鏡に映し、「私は嫌われ者のピエロだよ!」とおどっています。その時、悲しみと怒りが社会に対しこみ上げてきました。そんなピエロを演じる娘に寄りそい抱きしめました。

 神に与えられたこの命を大切に預り、守り、一緒に泣き、守ろうと思いました。この時私の中で何かが変わり、新しい温かい光が遠くからさしこむのが見えました。
(こまつだ ふみ)
越谷教会月報みつばさ2008年11月号特集「命を与えられた喜び」より


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