今月の特集題  伝える喜び



笑顔に出会える時
薩摩 牧子
 伝える喜びと聞いて連想する物、伝える伝える…やっぱり笑顔かな?と思います。誰かに何かを伝えた時、心からの笑顔で頷いてもらえたら、それはとっても幸せな気持ちになれるからです。
 それでは伝える手段は?顔を見ながらお話する、電話、メール、手紙…色々ありますが、私が今思い浮かぶ物は『光ちゃん』(私のお人形さんの名前)、腹話術です。
 小学校の卒業式の日に腹話術の初心者講習を受け、それからウン十年!光ちゃんと一緒に生活して来ました。そして、色々な所で腹話術のご奉仕をさせて頂きました。
 腹話術と言うと『おもしろいもの』というイメージがあります。テレビでも、人を笑わせる『おもしろい』腹話術を見かけますし、見て下さる方も、それを期待している様に思います。でも、伝える腹話術となると、話は違って来ます。おもしろくて楽しい腹話術、見て下さる方の心に残る、伝える物がある、メッセージのある腹話術をして行きたいなぁと、この頃特に思います。たかが腹話術、されど腹話術、とっても奥が深いんです。
 私は教会学校の教師をさせて頂いていて、とても幸せだなぁと思う事がたくさんあります。その一つが子ども達の笑顔です。日曜の朝、お礼拝堂に入って来る子ども達に、「おはよう」と声を掛けると、とびきりの笑顔で「おはよ〜!」と返してくれる事があります。その可愛さに「ウワ〜幸せだなぁ」と心から思います。と共に、「この笑顔をなくしてもらいたくないな。この先色々な事があると思うけど、ずっと神様と共に生活してもらいたいな。しっかり伝えて行かなくちゃ」と、教師の責任の重さを感じます。
 腹話術で奉仕をしていると、子ども会や○○教室等に呼ばれる事があります。お人形の光ちゃんを抱っこして出て行くと、キラキラした瞳で出迎えてくれます。教会学校とは違うので『イエス様』のお話は出来ませんが(『神さま』はOK!)、何か心に残る伝える腹話術を…難しい!これからの私の課題です。
 光ちゃんと共に、お年寄りの施設にも行く事があります。一見気難しそうな方でも、光ちゃんを見て笑顔を見せてくれたり、光ちゃんを抱っこしたまま連れて行こうとしたり、「お食べ!」と言って飴をくれたり。光ちゃんを本当の孫の様に可愛がって下さいます。そんな時、言葉では伝える事が出来なくても、心には何か伝える事が出来たのかなぁと思います。
 伝える事、それはとても難しい事です。でも、子ども達の可愛い笑顔、お年寄りの素敵な笑顔に出会える至福の時と信じて、光ちゃんと共に頑張って行きます。
 みなさん、伝える事は喜び!ですよ。
(さつま まきこ)


喜んで伝える者へと
田坂 順子
 すっと心に入ってくるこの主題……けれども書き始めてみると、「伝える喜び」を前面に感じることの少ない信仰生活を送ってしまっているのではないか、とはっとさせられることとなりました。
 私は、幼少から13歳まで小さな田舎に住み、そのうちの5年間は教会もない、仏教の根強い地で育ちました。小学生の時のある授業で先生が「キリスト教では、人間の始まりはアダムとイブだというが、そんなことではなく、人間はサルから進化してきた」と話された時に、そんなはずはないのに、皆がいっせいに私を見たような気がして、下を向きました。また、6年生の時に先生から「あなたのご両親は何の宗教を信じているんだね」と、友人達の前で聞かれ、答えたあとのその場の空気が忘れられず、尾を引くことになりました。以来、家族の宗教を心の奥にしまいこんだままだったように思います。
 やがて、良い時が与えられて、伝えることが始まったのは、ミッションスクールに入学して教会学校のお手伝いをさせていただくようになってからです。子ども達と過ごすことは喜びでした。けれども「伝える」大事なお話の当番の時には、喜びはどこかに飛んでしまいました。それは今も同じでお話の前には、冷たい汗が流れます。とても「伝える喜び」どころではありません。
 あとで感じるのは、語らせていただけた「恵み」であり、お用いいただいたことへの「感謝」です。その後にやっとゆっくりと「喜び」がやってきます。私にとっての「伝える喜び」は、そのようにひっそりとしたものです。よく考えてみると、「伝える喜び」の前にまず、自分に伝えられた多くの喜びがあることに気づきます。
 友人、知人にイエス様のこと、教会のことをお話する時にも、真剣さや懸命な思いが先立ってしまうのですが、何よりも先に「伝える喜び」を持てるようになったらどんなにいいでしょう。
 ペンテコステの出来事の中で、聖霊を与えられた弟子達が喜びをもって伝えていったことを思う時、自分もそうなりたい、と願うのです。
 60代に入り、人生の最終章に向けて、伝える喜びをまず初めにもてる者へと変わっていきたいです。そうさせてくださいと祈りつつ歩みます。神さまが語る言葉を与えてくださることを信じて、喜んで伝える者でありたいです。
 まだ2歳だった孫が♪神しゃま、よい子にしてくだぁしゃーい♪と幼児さんびかを歌った時に、「神さまはね……」と語りかけた時の喜びを思いだします。このような喜びと共に、証していくことができますように。    
(たさか じゅんこ)

越谷教会月報みつばさ2009年6月号特集「伝える喜び」より


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