今月の特集題  養われる喜び



教会に連なる幸せ
林田キヨノ
 青森県の僻地の学校に勤務し、まだ洗礼を受けることに迷っていた38歳の頃でした。小規模なので教職員は15名足らず、その中にクリスチャンが一人おりました。その先生の所に学生時代同級生であったという八甲田伝道所の牧師さんが、ご用で山を下りる時は必ず学校へ立ち寄って行きますので、私とも顔馴染みとなり教会の行事にも参加させてもらっておりました。
 ある時、牧師さんが「青森市の郊外にある療養所へ説教に行くので、社会勉強に行きませんか」と誘って下さったので行って来ました。家からバスで30分、更に汽車で30分、汽車の中で牧師さんが「らいの療養所(今はハンセン病という)は嫌いですか」と聞いたので、結核療養所の様な所を想像していた私は「別に」と言いました。
 駅を降りたら青々とした田園風景が歓迎してくれました。徒歩15分、そして小高い丘に立派な字で、「国立療養所松丘保養園」と書いた大きな表札が有り、両脇の桜並木はよく手入れされてその一画にある講堂らしき建物が今日の礼拝所でした。礼拝所の正面には牧師さんが、その隣に私が坐らせてもらいましたが、面と向かう席に着いたのは初めてなので面映ゆさを感じました。
 間もなく患者さんがゆっくりゆっくり礼拝所に入って来るのが見えました。患者さんならマスクをしているのかなと勝手に想像しておりましたので、目だけを出して顔全体を白布で覆ってる人、足が不自由なのでしょうか背負われて、背負っている人は目が不自由な様子、顔に大きな手術の痛いたしい跡、まるで広島の原爆写真を見ているようで目を見張ることが罪の様でうつむいてしまいました(私の罪の原体験です)。
 ここはどこ、どうしてここに居るのだろうと取り留めのないことが走馬灯の様に浮かんでは消え、消えては浮かんでいるうちに、牧師さんのアーメンの声に我に返りました。帰路は途中から私だけがバスに乗りましたが、いつも利用しているバスなのに乗り越して終点まで行ってしまいました。 
 その後ハンセン病の本からたくさんの事を学びましたが、無知と偏見が罪のない人達を苦しめた事が一番情けなく思いました。それから間もなく、洗礼を受けることが出来ました。雪中行軍でたくさんの兵隊さんが凍死し、一躍有名になった八甲田山の中腹800メートルの所にある伝道所が私の母教会となりましたが、どんなに遠く離れても、神様はいつも側に居て下さり、み心のままにお導き下さる事を思うと感謝でいっぱいでした。
 洗礼を受けるにあたり力を貸して下さった保養園の皆様に安らかな日々を。主にあって祈ります。
 私の大好きな聖句
  マタイによる福音書5章8節(口語訳)
「心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。」アーメン
(はやしだ きよの)


子ども達を通して
滝口 幸子
 毎日毎日、可愛い子ども達と過ごしています。子ども達と過ごしている中、日々色々な事に直面しています。楽しい事では、子ども同士でふざけ合って笑い合っていたり、一人が変な顔をしたらもう一方の子が違う変な顔をしてみたり…。辛い事では、お互いがわがままを言い合って取っくみ合いのケンカをしたり、なかなか私の言う事を聞かず泣き叫んでいたり、それを近所の方に見られて、“虐待だ”と通報されてしまい、私の心がひどく落ち込んでしまったり…。子ども達との日々は、毎日が本当に楽しくて嬉しくて辛くて苦しくての連続です。私が子ども達と一緒に育てられている感覚がしています。
 子ども達とのこの様な時間、これは主イエス様が私に与えて下さった大切でかけがえのない時間なのだと感じました。主イエス様が私に今まで感じなかった様々な出来事や感情や日常を、主イエス様のご判断で私に与えて下さったのだと思います。
 だからこそ、私に早くに子ども達を与えて下さり、この様な日々を過ごさせて頂いているのだと思います。子ども達との日々は新しい発見の連続です。そして私に日々、様々な感情を引き出させてくれます。独身時代に感じた事のない感情を子ども達は、とても簡単に引き出してくれます。
 近所の方による“虐待”と通報された時も、私自身、心がすごく落ち込みましたが私をなぐさめてくれたのも子ども達でした。涙が止まらなかった私に子ども達は「ママ、大丈夫?」と言って優しくティッシュペーパーを渡してくれました。その子ども達の優しさに触れる事が出来たのも、この事件がきっかけでした。この事件がきっかけで、私の心の病が悪化してしまいましたが…。今は子ども達の毎日の笑顔で回復出来ました。
 この様に主イエス様は私にとって必要不可欠だとお考えになり、子ども達と、子ども達との日々の時間をお与え下さったのだと感じております。
 私は子ども達を通して私の心を満たし、養われているのだと思います。主イエス様が私に与えて下さったであろう子ども達。子ども達によって私の心が養われ喜びに変わっています。
 私は子ども達に、そして子ども達を与えて下さった主イエス様に感謝しております。子ども達のお陰で私は日々心の成長をしているのだと感じ、喜びを感じております。
(たきぐち さちこ)

越谷教会月報みつばさ2009年7月号特集「養われる喜び」より


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